8.タツミとダンジョン探索基礎
曲がりくねった闇の中を歩く。
光は頭上のランプだけで、視界の陰影が鮮明すぎるように思う。こういうときは、聴覚だけに頼るのではない。
タツミは理解しはじめていた。
集中するべきは、この坑道の闇そのものだ。
巨大な生き物に手を触れ、その鼓動と息遣いを診察するかのように意識を注ぐ。そうしていると自分が少しずつ、この異常な坑道に適応していくのを実感する。とても自然なことに思える。手慣れた作業の体験を取り戻していくような感覚。
あるいは、これが失った記憶の手がかりなのかもしれなかった。
「次の十字路」
タツミは背後の三人に向けて、ささやく。
「右の方から七十歩くらい。ゆっくり近づいてる。たぶん七人」
「承知した」
真っ先に反応したのは、玲だった。彼女は剣を構えなおすと、タツミの傍らをすり抜け、追い越した。十字路の角へと慎重に足を進める。
「さすがタツミ殿。凄まじいまでの
「いや、あんまり嬉しくないんだけど」
タツミは頭をかきむしり、烏丸に目を向けた。
「この隊列、どうなの? ぼく、ちょっと危険すぎない?」
この状況は、烏丸の提案だった。
タツミを先頭に立て、敵の存在を察知し、奇襲を仕掛ける。他の三人はタツミから十歩分ほど離れて続く。これが各人の適性を最も活かす隊列であり、安全を高めるものだ――と、烏丸は主張した。
確かに、と、タツミも思う。
どうやら自分の感覚は、少なくとも烏丸たちよりも鋭いらしい。ならば合理的な判断ではある。
だが、それと恐怖心はまた別のものだ。
「ぼくが凶暴なゴブリンの襲撃にあって死んだら、特に烏丸をめちゃくちゃ恨むからね。ぼくの恨みの深さ、我ながらちょっと半端じゃないと思うよ。化けて出る。そりゃもうドえらい怨霊になる」
「そうか。俺は先ほどの部屋のように、構造的な罠が気になっている」
烏丸はタツミの愚痴を聞いているのか、いないのか、少し首を捻った。
「ゴブリンは集落を形成し、周辺を警戒していると聞く。悪党が築くアジトと同じだ。罠があってもおかしくない。全員がそれに巻き込まれ、被害を受けるような事態は避けたい」
「ひどいな」
そろそろ、タツミは抗議したい気分になってきた。
「ぼくは被害を受けてもいいのかよ!」
「お前が一番罠を回避できる確率が高い。事前に察知できるだろう」
「きみね、そういうところだよ。そういうところ」
タツミはひどく呆れた。
この男の言動は呆れることばかりだ。
「きみの発言はちょいちょい酷いぞ。ちょっとは他人の気持ちを想像しろよ」
「お前が恐怖を感じていることなら、把握できる」
「うるさいな。ってか違うよ、きみは心理を読むんじゃなくて、もっと――」
「さあ! 来るぞ、烏丸殿、タツミ殿」
玲の鋭いささやき声が、二人の議論を止めた。
彼女はまさしく指示することに慣れた人間、という印象がある。こいつはいいことだ、とタツミは思う。自分にできる気はしないし、烏丸は戦闘の主力だ。全体を見渡してどうこう、という状況に置きたくない。
「朱莉さん。初撃をお願いする。最低でも二人は蹴散らしてくれ――私と烏丸殿、タツミ殿がそれに続く」
「はい!」
嬉しそうにうなずき、朱莉は巨大な《魔法使い》を構えた。銃身のような、銀色のシャフトを正面に向ける。
「
「よし」
玲は剣を目の高さに持ち上げた。
「攻撃開始」
烏丸の返事はない。というより、すでに始めていた。
相変わらず速すぎる――タツミは慌ててそれを追う。
曲がり角の向こうにいたゴブリンは、やはり七匹。朱莉の《魔法使い》が赤熱し、光を放ったように見えた。原理はよくわからない。が、効果はある。
ほぼ同時に先頭のゴブリンが二匹、紅蓮の爆発で弾け飛んだ。勢い余った炎は、傍らの一匹を巻き添えにして上半身を焼く。
「やりました、お嬢様!」
朱莉が叫ぶ。彼女の一撃で、ゴブリンどもは明らかに浮足立っていた。
その隙に、烏丸がさっそく一匹を仕留めている。喉を尖った棒で貫く。手元が霞んで見えないほどの鋭い突きだった。
「むっ」
玲も別の一匹に攻撃を加えようとして、呻き声をあげた。
「貴様は、戦士か」
そのゴブリンはひときわ体が大きかった。ヘルメットのようなものを被り、玲の一撃を受け止めた武器も立派だ。鉈のような肉厚の武器で、錆びが見当たらない。刃は白銀に輝くようだった。
玲が目を細めるのがわかった。
「しかも鬼化武器! これは大物だぞ!」
「少し待て」
ささやいた烏丸は身をかがめ、別のもう一匹を相手取っている。ゴブリンの突き出す尖った棒を弾き、足を貫いて動きを鈍らせる。炎で上半身を焼かれたゴブリンが、破れかぶれに背後から掴みかかってくるのを避ける。
いくら烏丸でも、彼らの相手はもう数秒ほどかかりそうだ。
その間に、玲の体勢が崩れた。大柄なゴブリンの膂力が、彼女を上回っていた。反撃を受ける。
「お嬢様!」
いまにも飛び掛からんばかりの声で、朱莉が叫んだ。
仕方がない――タツミは唾を飲み込んで、前のめりに駆けた。
低い姿勢で、烏丸のように素早く、尖った棒をまっすぐ突き込む。イメージの中ではそのつもりだったが、実際のところは、それほど上手くできた自信はない。
ただ、先ほど土蜘蛛と対峙した時よりは、マシな攻撃ができたと思う。これも経験値を積んだ、というやつだろうか。それとも単なる度胸の問題か。
どちらでもいい。
タツミの繰り出した槍は、大柄なゴブリンの腹部に突き刺さった。手ごたえがあった、というよりも、柔らかいものに止められるような抵抗感。
何かをぼろ布の下に着こんでいるのかもしれない、と思った。
「やばっ」
大柄なゴブリンは大声をあげて、タツミを殴り飛ばした。またかよ、と、タツミは苦々しく奥歯を食いしばる。やられてばかりだ。衝撃で脳が揺れる。
(なんだか、ぼくはなかなか頑丈だな)
朦朧とする意識で、かすかに思った。他人ごとのような感覚だった。
「おのれ! タツミ殿を、よくも」
自由になった玲が、再度攻撃に移る。その頃には烏丸もフォローできる状態になっていた。剣と、尖った棒の先端。その両方を、大柄なゴブリンは捌くことができなかった。
首を裂かれ、胸板を貫かれて、決着はすぐについている。
(なるほど)
タツミは荒い息を吐き出し、なんとなく理解する。
さっきから何度かゴブリン相手に繰り返している遭遇戦――要するに、これはこの手の迷宮での戦闘のセオリーのようなものか。
できるだけ先手を取って、《魔法使い》を撃ち込んで数を減らし、荒事の得意なやつが殴りかかって混乱させる。そのまま押し切る。
ようやくまともな戦いができてきた気がする。
「やるな、タツミ」
倒れているタツミに、烏丸が手を伸ばしてくる。
「なかなか無謀な突撃だった。お前ほど無茶をするやつと、俺は初めて会う」
「言ってろっ」
大きなお世話だ、と思った。
タツミは烏丸の手を弾き、ゆっくりと立ち上がった。
――――
もう動かないゴブリンたちを、烏丸と玲が見下ろしている。
タツミはそれをぼんやりと眺めていた。どうやら二人はゴブリンたちの様子を調べているらしい。
「なるほど、これがゴブリンの戦士か」
烏丸は、ひときわ大柄だったゴブリンの手から、よく磨かれた鉈を手に取った。肉厚の刃はいかにも鋭そうだ。何かを確かめるように、烏丸はそれをランプの光に透かしてみる。
「武器が良い。並みの刃ではないな」
「うん。それは、間違いなく鬼化武器だ」
玲はその鉈と、自分の剣を交互に指さした。
「私の剣と互角に打ち合った。ということは、少なくとも第二階以上の鬼化状態に至っていると思われるな。このゴブリンは、相当な地位にある戦士だったようだ」
「そうか」
烏丸は小さくうなずいたが、どうせ玲の言ったことの半分も理解できていないだろう。せいぜい強力な刃物、という程度の認識しかないに違いない。
彼は現実主義的すぎる。
一方で、タツミはそろそろこの異常な坑道について、ある程度の解釈を進めつつあった。
隙を見ながら、ポケットの中にある『覚書』を読んでみた成果でもある。
(ゴブリンや土蜘蛛は、基本的に何かが『化けた』ものだ。それは間違いない)
タツミの目は、たったいま撃破したゴブリンたちに注がれている。
その死体はまさしく、鉄くずと土くれのようになって崩れていた。肉も骨もない死体。飛び散った血は泥となり、時間が経つにつれて地面と同化していくようだった。
彼らは『妖怪』に似たものだ、と、『覚書』には記されていた。年を経た狐や狸が化けるように、長く使われた古道具が魂を持って動き出すように。
(この坑道、それ自体も同じなんだ)
新宿の地下鉄が化けたものだろう――
櫻庭真一の『覚書』の最後のページには、そんな考察が殴り書きされていた。『覚書』はそこで終わっている。
理解はしがたいが、そう仮定するしかない。少なくとも、ここを出るまでは。しかし妙に納得できる部分もある。タツミの頭のどこかで、この説明はよく馴染む。
(もしかしたら、ぼくは普段からこういう迷宮で活動していた? まさか――)
「タツミ様」
唐突に声をかけられ、タツミは少し慌てた。しばらく俯いて考え込んでいたようだ。顔をあげると、朱莉の姿がある。やや心配そうにこちらを見つめていた。
「どうなされましたか? とても不安そうな顔でした」
「ああ」
無駄な考えを飛ばすべく、タツミは大きく首を振る。
「何でもないよ。今朝から色々あったから、脳が疲れただけで」
「まあ。それは大変です」
朱莉は両手を叩いてみせた。
「私も《魔法使い》を使用していると、しばしば疲れてしまいます。そういうときのために、お嬢様の麗しいお言葉の録音がいくつかあるのですが、お聞きになりますか? すごく気分が落ち着くんですよ」
「え、いや、ぼくはいいよ。もったいない。っていうかさ、朱莉さんと玲さん」
ここはそろそろ、気になっていたことを聞くべきか。タツミは慎重に切り出し方を考えた。
「きみたちは、いつもこういうことやってるの? 仕事っていうか」
「仕事としては初めてです。迷宮探索について、タツミ様たちほど熟練してはおりません。さすが櫻庭先生のお弟子様です。あれほどのノイズの扱い、特に烏丸様の技量は本当に――」
朱莉は横目で烏丸を見ていた。玲と何か言葉をかわしているらしい――どこか遠い目でその様子を見つめながら、聞いてくる。
「あの、タツミ様。烏丸様について詳しくお聞きしてもよろしいですか?」
「あー……うん、まあ。答えられることなら」
核心に迫るつもりが、逆に質問されてしまった。
しかもタツミに答えられることなど、数えるほどしかない。烏丸のことなど何も知らないに等しいからだ。
おかげでひどく曖昧な返事になってしまったが、それでも朱莉は顔を輝かせた。
「よかった! それでは、烏丸様の血液型と星座、出身地、趣味、特技、好きな食べ物、アレルギーのある食べ物と嫌いな食べ物、資格、賞罰、生い立ちとご家族構成を軽く教えていただけますか? あくまでもご参考までに」
「え」
あまりに早口にまくし立てられたため、タツミは間抜けに問い返すことしかできなかった。
「え、なんて? 烏丸の、なに?」
「お嬢様と烏丸様、お似合いだと思いませんか」
朱莉は極めて真剣な目で、玲と烏丸を見ていた。その目つきはやや真剣すぎるのではないか、とタツミは思った。
「勇敢に戦う姿。紳士然とした立ち居振る舞い。私、差し出がましいことながら、烏丸様はまさしく土御門の令嬢にふさわしいお方だと――」
「いや、待った。あのさ、烏丸は」
烏丸は。
タツミは続いて何を言おうとしたのか、直後に忘れた――強い震動が、足元を揺らしたからだ。
「うわ」
慌てて壁に手を突く。震動は止まっていない。徐々に大きくなっている気がする。
異変に気付いた烏丸が、こちらを振り返るのがわかった。
「――百足竜か。タツミ、近いのか?」
「近いかって? そんな、急に聞かれても」
再び、強い震動。足がもつれる。
会話に気を取られていたため、集中できていなかった。気配を探る。震動が徐々に強くなっている気がするが、とにかく集中が必要だと言い聞かせる。
「これはまずいな。烏丸殿、タツミ殿」
玲が頭上を見上げていた。
坑道を支えている木製の柱と、天井の枠組みが、大きく軋んでいた。それだけではなく、亀裂の入った柱もあった。
「なるほど。これは、ゴブリンどもが警戒しているわけだ」
烏丸は無表情に天井を観察していた。震動が強まり、柱の亀裂が広がる。あちこちで破壊的な音が響き始める。
「移動するべきだな」
頭上から落ちてくる土の破片を手に受け、烏丸が呟く。それだけなく、すでに足早に歩きだしている。通路の奥へ。
「この区画の補強木材は脆くなっている。恐らく百足竜の活動範囲であるため、この手の震動にさらされているのだろう。急いだ方がいい」
「それには私も同意させていただく。朱莉さん、タツミ殿、とにかくここを離れよう! 先へ!」
「はい、お嬢様!」
そうして、三人は走り出す。タツミは少し遅れた。それには理由がある。
「待った、みんな、ヤバい」
もはや何もかも遅いかもしれない。半ば捨て鉢な気分で、タツミは大声をあげた。
「この先、もうすぐそこに超でかいやつが――あっ」
タツミの警告は、最後まで続かなかった。その必要がなくなったからだ。
土壁を砕き、抉るように、行く手の通路を長大な影が現れた。そいつは甲高い鳴き声を発しながら、狭い通路を突進してくる。
「あれが百足竜だな」
烏丸が腹立たしいほど落ち着き払った声をあげた。
まさにその通り、あまりにも大きすぎる百足が、避けようもない狭い通路を突き進んでくる。
「逃げろっ」
声を張り上げ、タツミは限りなく的確な指示を放った。その自信がある。もっとも、言われるまでもなく他の三人も行動を開始していた。
背中を向けて、全力で駆けだす。
もしかしたら自分は悲鳴をあげているかもしれない、と、タツミは思った。
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