7.タツミとお嬢様

「お嬢様」

 朱莉は黒いコートの少女の手を取り、ほとんど泣いているような声をあげていた。

 先ほどからずっとだ。

「本当に、本当に良かったです」

 繰り返す言葉は、タツミが見る限り、祈りによく似ていた。こうして目にする両者の関係は、ひどく歪でアンバランスに感じたが、タツミにはうまく言葉にできない。

 ただ、朱莉が心からの安堵を感じていることだけはわかる。

「お嬢様にもしものことがあれば、私はどうしていいか!」


「あまり喋ってくれるな、朱莉さん」

 黒いコートの少女――『お嬢様』は、困ったように首を振る。

「麻痺毒の治療は慣れていないんだ、復元アンドゥに時間がかかってしまう。私の《魔法使い》捌きは、朱莉さんも知っているだろう。ようやく仮免許というところだ」

『お嬢様』は、自分の手首の腕輪に触れてみせる。

 タツミは思い出す――《魔法使い》。朱莉が抱えている巨大なオブジェのような器具を、そう呼んでいた。あれと似たようなものだろうか。


「しかしお嬢様! この朱莉、先ほどまで太陽を失ったような気分でした」

 朱莉は『お嬢様』にすがりつくように抱き着いた。相当な身長差があるため、大きな熊が子供を抱きしめるような構図になる。

「土御門の御家を頼ることもできず――お嬢様をお見捨てになりやがろうとした姉君様たちに置かれましては、地獄の苦しみを味わっていただくべく、私、もう屋敷を焼き払う寸前で――」

「ははは」

『お嬢様』は笑った。どこか乾いた笑い声だった。

「朱莉さんは過激だなあ。お願いだから、いまは喋らないで。本当に治りが遅くなるし、あとなんか怖い」


 彼女は、朱莉の首筋に左手を当てていた。手錠のような武骨な腕輪の嵌まった左手だ。タツミは先ほどからその腕輪から目が離せずにいる。

 腕輪の周囲には、陽炎のような揺らめきが見える。

 それが彼女の言う『治療』にあたる行為なのか。その腕輪――《魔法使い》。確かに朱莉の顔色は良くなっている気がする。しかし、どうやって? どんな原理で、あれが毒とその症状を緩和しているのだろうか。

 あるいは本当に、《魔法》であるという可能性もあった。もはや、それが出てきても驚かないように覚悟をしておくべきだろう。

 取り留めもない思考を巡らせながら、タツミは地面に座り込み、ぼんやりと主従の会話を聞いていた。


「ああ――そう。そうか。申し訳ない」

 タツミの視線に気づいたらしく、『お嬢様』は気まずそうな表情をした。

「私としたことが、自己紹介をしていなかったな。うん。勇士殿を前に、名を名乗らぬとは無礼極まりなかった」

「え?」

 意表をつかれて、タツミは目を瞬かせた。少し遅れて自分を親指で示す。

「えー……勇士? ぼく?」

「まぎれもなく勇士だ。私を救助に来てくれたのだろう」

「いや、まあ、それはそうなんだけど」

 タツミは横目で烏丸を見る。彼は先ほどから無言を保ったまま、『お嬢様』の治療らしき行為を凝視していた。その目つきは警戒が半分、好奇心が半分というところだろう。

 結局、この場はタツミが受け答えをするしかない。


「ぼくらはそっちの、朱莉さんに頼まれて来ただけなんだ。きみを助けたいと思ったのは彼女だし、この地下で怪物どもをぶっ飛ばして来たのはそっちの――彼のおかげだし。いや、これマジな話。さっきなんて、きみに助けられる形になったし」

 自分は特に何もしていないようなものだ、と思う。なぜここまで付き合う羽目になったか、我ながら不思議だ。

 ふと、そこで思考に引っかかるものがあった。

 本当にそうだ。なぜ、自分はこんなところにいるのか? もっと混乱してもよさそうなものだ。わけのわからないことは多いが、パニックに陥るほどではない。やけに適応している――


「そう謙遜なされるな。あなた方の勇気に敬意を表する。そして、ありがとう」

 タツミが沈黙している間に、『お嬢様』は頭を下げた。

「私は土御門のれい。若輩者ではあるが、冒険者だ」

「冒険者――、え?」

 それはあまりにも突拍子もない単語だった。

 タツミは思わず聞き返していた。冒険者という言葉には、そのくらい荒唐無稽な響きがあった。たしかにこのダンジョンを探索する者ならば、『冒険者』という言葉はふさわしいかもしれないが、そんな職業があったものだろうか。


「そう。確かに私は冒険者として未熟だ」

 タツミの聞き返しを独自に解釈したらしく、玲はごく自然にうなずいた。

「今回の調査では、異変の原因を突き止めるために深入りしすぎた。朱莉や同行者たちを危険に晒し、挙句、この有様だ。初仕事で気負いすぎた。一人朽ち果てるものと覚悟もしていたが――まさか助けが来ようとは」

 そうして首を振り、玲は片手を差し出して見せた。

「できれば、あなた方の名前も教えていただけないだろうか? さきほどは櫻庭先生の助手と伺ったが」

「あ、うん。ぼくはタツミ――それで彼は、ええと、うん。ぼくの同僚で」


「ああ! そういえば! そちらの方!」

 すっかりその存在を忘れていたかのように、玲は烏丸にも目を向けた。

「素晴らしい腕前だったな。そちらの方。実に見事なノイズの扱いだ」

 再び、奇妙な響きの単語が出てきた。その意味を捉えようとするタツミの思考速度を、玲の快活な賞賛が追い越していく。

「蜘蛛を始末したノイズは、縮退ブリッツ、そして穿孔ピアスだろう。しかも、それだけ派手に事象改変して、さしたる反動もないご様子! さすが櫻庭先生のお弟子だな!」

「いやあ、その、彼は――」

 意味のわからない単語を連発され、タツミは返答に迷う。助けを求めて烏丸を見る。彼はかすかにため息をついたようだった。


「烏丸」

 促され、ようやく烏丸が口を開く。

「俺の名だ。烏丸景行だ」

「烏丸?」

 その名を聞いた、玲の顔が強張った。何かに引っかかったような顔だった。

「それは――いや、あなたは助けに来ていただいた恩人だ。あなたが、あの烏丸であるはずがない」

「ええ。そう、そうなのです、お嬢様」

 その途端に、朱莉が急に元気を取り戻した。玲の『治療』の効果はあったらしく、顔色もいい。起き上がり、ぐっ、と玲の手を強く握った。

「烏丸様の清らかな御心、まさに星の光のごとく。あの勇ましくも思慮深い雄姿、異心などあろうはずもありません!」

「朱莉さんがそこまで褒めるのは珍しいな」

 玲は少し微笑んだ。陽炎の立ち昇る左手を、朱莉から離す。

「朱莉さんが信じるなら、私も烏丸の名を持つ人を信じよう。助けていただいて感謝する」


「はい。まさしく、烏丸様とタツミ様は英雄といえるでしょう」

 朱莉は熱心にうなずきを繰り返した。

「お二方ともお嬢様を助けるべく、決死の覚悟でここまでたどり着いたのですから! これはぜひとも、お嬢様ファンクラブ『玲光』名誉会員の座を与えて差し上げるのはいかがでしょうか!」

「うん。朱莉さん、そのファンクラブの正体は私もよくわからないんだ。なんか怖いし。今回は別の形でこの恩には報いることとしよう」

「そうですか」

 朱莉は意気消沈したようだった。烏丸の方に向かって頭を下げる。

「申し訳ありません、ファンクラブの件はまた改めて」


「ああ。問題ない」

 烏丸は鷹揚な態度で手を振った。

 ファンクラブが何かもわかっていないくせに、この男はあまりにも単純に状況を飲み込みすぎる、と、タツミは思う。まるで動じる様子がない。とんでもない大物か、ただ何も考えていないだけか。

「謝礼や今後の話は、ひとまず後回しだ。無事にここを脱出してからの話だな」


「おっ。さっすが烏丸、たまにはいいこと言うね」

 タツミは手を叩いた。実のところ、何としてもその話をしたかったところだ。

「つまり家に帰るまでがピクニックなんだよ、そうだろ? ぼくの鋭い耳がすでに探知しているんだけど、この周辺――」

 喋りながら立ち上がろうとして、少しよろめく。これは精神的な疲労感――違う。軽い震動。地面が揺れたのか。

「あ」

 タツミは思わず声をあげた。

 ぐぐっ、と、地面が揺れた気がする。何か遠くで唸り声のような響き。地鳴りに近い。何か巨大なものが移動している。その音だ。

「ちょっと待った! なんか、割と近くにいるぞ。でかいやつだ。移動中」


「ああ! これは百足竜、だ」

 顔をしかめ、玲は深く頭を下げた。

「すまない――タツミ殿。助けにきていただいて申し訳ないが、非常によくない状況だ。私もこの近辺のエリアから出ることができずに苦労している」

「うお、マジで? それってつまり」

 タツミは自分の顔が引きつるのを自覚する。

「いまの凄い音のやつ――百足竜のせいで、ここから動けてなかったってこと?」

「そう。やつがこのエリアを徘徊している。万が一にも遭遇すれば勝ち目はない。ゴブリンどもも活発に動いており、どうにか間隙を縫う脱出経路を探そうとしていたのだが――果たしてそちらの扉はどうだろうか?」


「いやー……まあ、開けない方がいいと思うよ」

 タツミは肩をすくめ、錆びだらけの扉をノックしてみせる。

「向こう側、ゴブリンたちがうじゃうじゃいる。こっちを注目してる感じだ。足音がするだろ? 話し声もする。さっさとここを離れたいくらいだ」

「おお、なんと!」

 妙なところで、玲は感心したようだった。

「タツミ殿、そこまで聞こえるのか。警戒アラートのノイズか、しかし強力だな! 私にはさっぱりだ!」

「あのさ、そのノイズって――」

 ノイズとは何か。タツミは聞こうとしたが、やめた。いまこの状況では、それほど役に立つ情報とは思えない。


 大事なのは、ここから生きて脱出することだ。

「やはり、使えるな」

 沈黙していた烏丸は、タツミの鼻先に指を突き付けた。

「タツミ、ここはお前に任せる」

「え」

 タツミは目を瞬かせるぐらいのことしかできなかった。

「ぼく?」

「そう、お前だ」

 このとき、とても嫌な予感がしたのを、タツミはよく覚えている。

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