2.烏丸と大きなメイド
「では」
烏丸はソファに腰を下ろし、対面の来訪者を観察する。
「詳しい事情を伺おう」
「はい」
張りつめた声で、答えが返ってくる。
相手はメイド服を着た、長身の女性だった。身長はおよそ二メートルほどで、烏丸よりも高い。大きな革張りのケースを抱えている。
烏丸は疑問に思う――彼女は、そもそもなぜメイド服を着ているのか。あるいはもしかして、メイド服というものがいま世間一般では流行しているのか。烏丸には判断がつかない。
ただし、ひどく動揺していることだけは明白だった。
彼女は窓ガラスが破壊されていることにも、床にキャビネットの中身が乱雑に投げ出されていることにも、ほとんど注意を払っていない。自分自身の内側に、もっと重要な事項があるのは間違いない。
そして彼女と同じく、この室内には動揺を隠そうともしていない人間が、もう一人いる。
烏丸の背後でうろうろと歩き回っている、タツミのことだ。落ち着きなく烏丸と、メイド服の女性の間で視線を彷徨わせている。いかにも挙動不審だ。
「なあ」
と、タツミは烏丸の肩を叩き、これ以上ないほどの小声で囁く。烏丸に読唇術の心得がなければ、何を喋っているかわからなかっただろう。
「どうするつもりだよ、きみ」
「彼女は困っているようだから、話を聞くつもりだ」
「そして殺すの?」
「なぜ殺す?」
烏丸は顔をしかめた。最近、世間には物騒な輩が増えた。多くの者が極端な言葉を軽々しく使いすぎるように、彼は感じている。
「タツミ、お前は殺人を見るのが趣味なのか」
「そんなわけないだろ。ぼくは常識人なんだ。ただ、きみが殺し屋みたいな仕事をしてるって言ってたから、気になって」
「いつだって、殺しは最後の手段だ」
何度も言わせないで欲しい、と烏丸は思う。
「ましてや正義のヒーローは、助けを求める者に危害を加えたりはしない」
「でも――」
タツミはまだ何か質問をしたそうだったが、この際、烏丸は彼の存在を忘れることにした。マインドセットは得意だ。意識から締め出す。やるべきことに集中する。
つまり、情報収集だ。
メイド服の女性を正面から見つめる。
「俺は烏丸。後ろの彼はタツミ。どちらも櫻庭所長の助手だ」
そして、手の平を上に向けて促す。
「あなたの名前は?」
「朱莉、と申します」
やや早口に、メイド服の女性が名乗った。まずは一つ、と、烏丸は数えた。一つ、状況が明らかになった。これは良いことだ。
「土御門家の、朱莉です」
土御門。彼女の姓だろうか。あるいは彼女が勤める家か。これは保留しておくことにする。
「なるほど、朱莉。この事務所を訪れた理由は――」
「朱莉さん、だろ」
背後からタツミが口を挟んでくる。片時も黙っていたくない性分なのかもしれない。烏丸はあまり気にせず、先を続ける。
「あなたがこの事務所を訪れた理由は、『お嬢様』の身に災いがあったことに起因するようだ」
先ほどの話を合わせると、そのようにしか結論できない。
「ええ。そうです」
実際、朱莉は両手を胸の前で組み、はっきりとうなずいた。
その仕草から、烏丸は彼女の精神状態を類推する。焦りと動揺はあるが、決意は固い。彼女の内には譲れない何かがあるが、それが傷つき、あるいは失われかねない事態に怯えている。そんな様子に見えた。
朱莉は何かに追い立てられるように、さらに早口に言葉を繋げてくる。
「お嬢様がロストしました。ポイントは新宿黄金坑道です。土御門家もギルドも捜索を拒否しましたが――私はどんな手を尽くしてでも、救助したい」
朱莉の手が、革張りのケースのベルトにかかった。異様なほどの力が込められるのがわかる。ぎりぎりと音が出るほど握りしめていく。
「お嬢様の身に何かあったら……! 私は、私自身を止める自信がありません。土御門も、ギルドも、助けを差し伸べなかった者すべて、順番に処刑してしまう可能性があります……!」
彼女を見つめながら、烏丸は論理を組み立てる。
状況としては、『お嬢様』が行方不明ということだろうか。
そして、助けが必要な状況にある。悪党に攫われたのか、危険な場所に置き去りにされているのか。
烏丸はそのように解釈することにした。同時に、いくつもの疑問が湧いてくる。彼女が使う単語の半分も理解できない。だが、片っ端からその意味を問い返すのは禁物だった。いま、烏丸たちは身分を偽っている。
「なるほど、『お嬢様』の身がとても心配なようだ」
烏丸は、できるだけ自然にうなずいた。
「あなたは『お嬢様』を大事に思っている。そのことは理解できる」
「ええ。そう。そうなんです!」
朱莉は勢いよく身を乗り出してきた。
「愛らしく活発で、優しく、誇り高いお嬢様です。少し気の強いところはありますが、例えるならば地上の星だと思います」
「それは凄い」
烏丸は本心から言った。それが本当ならば、疑いなく凄いことだ。
「救助にあたり、写真などがあれば見せてもらいたい」
「ええ! もちろん。七十枚ほどありますが、どの角度から写したものがよろしいでしょうか?」
「ベストな写真は、あなたに任せる」
「それでは――そうですね。悩みますが、こちらの角度はいかがでしょう?」
朱莉がメイド服のポケットから何十枚という写真の束を取り出し、その中から一枚を選び取った。烏丸は目を細めてそれを確認する。
長い黒髪の少女だ。顔に残る幼さからすると、未成年に違いない。朱莉の言葉通り、その目つきは意志が強そうに見える。鋭さのある真顔で、カメラ越しにこちらを睨んでいる。
「借りておこう」
烏丸はその写真をジャケットの内側に収める。行方不明者の捜索ならば、何度か手掛けたことのある仕事だ。コツもある程度は心得てある。
「では、朱莉さん。『お嬢様』を捜索するよう、警察にはすでに連絡を――」
「まさか、そんな!」
しているか、と聞きかけたところで、後半をタツミの大声がかき消した。烏丸は睨むが、気にした様子もない。不気味なほど愛想よく喋りだす。
「警察に連絡なんてしてるわけないですよね。事態はとても特殊だ! ぼくたちに相談するぐらいの事態なんですから!」
「はい」
朱莉の目つきが、どこか暗く濁った。うつむき、どういう意味があるのか、自分の抱える黒革のケースを凝視している。
「私は一秒の時間も惜しいのです。ご高名な櫻庭様なら、きっとご助力いただけると思い、こうして参りました」
「そりゃ光栄だ。櫻庭所長も喜びますよ」
タツミは何度もうなずいた。
「土御門もギルドも、こういうときは全然役に立たないですよね。ぼくらのところに来たのは大正解だ。頑張りますよ、約束します。それはもう獅子奮迅です」
「おい」
今度は、烏丸がタツミの肩を掴む番だった。声の音量を最大限まで落とす。
「タツミ、どういうつもりで喋っている? まず警察に連絡を勧めるべきだと思う」
論理的に思考するなら、それが最善の一つだろう。烏丸は日本の警察を、ある程度は信頼している。協力し、同時に行動すれば、解決までの時間が短縮される――いままで、そのようにやってきた。
だが、タツミは疲れたようにため息をついた。
「きみって、だいぶアホだな。見た目が落ち着いてるだけで、頭の中にふわふわのカステラでも詰まってるんじゃないのか」
「カステラでも羊羹でもいい。説明してくれ」
「まず、ぼくらは警察に関わりたくないだろ」
タツミの口調が、子供に言い聞かせるような質のものになった。
確かに、と、烏丸は内心でうなずいた。自分は状況を見失いやすい。
いつもそうだ。
誰かを助けようとすると、目的に集中するあまり、気づいたら自分がとんでもなく厄介な状況に陥っていることがある。他人にとって最善の選択肢が、自分にとって最悪の選択肢になることもあり得る。わかっているはずだった。
が、こればかりは何度痛い目を見ても、いまだに治りそうにない。
「っていうかさ、警察とかそういうレベルの話じゃないよ、これは」
「起きている事態に、心当たりがあるのか」
「記憶喪失のぼくに期待しないでくれよ。ギルドとか土御門とか、そういうのは聞いたことないけど。なんか人に相談できない事情があるんじゃないかな? 警察が動いてくれるなら、普通の人は真っ先にそうしてるよ」
「そうか」
烏丸は眉間を指で絞るように抑えた。
「さっき想定したよりも、お前は賢いようだ」
「失礼な想定をするなよ。きみが賢くなさすぎるんじゃないのか」
「かもしれない。それに、感心だな。お前にも正義の心があるのか。こんな訳のわからない状況で、獅子奮迅の活躍を約束するとは」
「うん。というか、ぼくら二人とも、他に道はないと思う」
「なぜだ」
「彼女の目を見て、わからないのかよ」
タツミは顎で朱莉を示した。彼女は革張りのケースに目を落とし、うつむいたまま何かを声に出さずに呟いている。
烏丸がその唇の動きを見る限り、呟きの内容はこうだ――『土御門にギルド』『許さない』『殺してやる』。その繰り返しだ。呪詛にも似ているかもしれない。
「直感だけど、あれはヤバい。写真七十枚も普通じゃないし、なんかお嬢様に対して常識を超えた怨念を感じる」
「お前、霊媒師か? 以前にそういう喋り方をするやつと遭遇したことがある」
「真面目に聞いてくれ」
「俺は真面目だ」
「だろうね。いいから聞けって」
タツミはことさら声を低めた。怯えているようだった。
「たぶん、ぼくは感受性が人の十倍くらい豊かなんだろうね。彼女は本気だよ」
「何に対して本気なんだ」
「その『お嬢様』に対して。さっき、助けてくれなかったやつは順番に処刑するかも、って言ってただろ。最悪のことになったら、あれは本当にそうすると思う。どんな手段を使うかわからないけど」
「そうだろうか」
「ぼくの卓抜した感受性がそう言ってる。間違いない」
タツミはまったくの真顔で断言した。
「だから、せめて彼女が納得するまで付き合った方がいい。ぼくはそう思うね。その過程で、こっそり逃げるチャンスを探そう」
「そうか。だったら、お前は勝手にするといい」
烏丸は片手を振った。
「俺は困っている人を助ける。それが仕事だからだ」
「そいつはご苦労さん」
タツミは苦笑いをして、顔を引いた。そっちも勝手にしろ、と言いたいのだろう。言われるまでもなかった。
「――よし。基本的な事情は了解した」
朱莉の注意を引くため、烏丸はテーブルを軽く二度叩いた。
「その『お嬢様』を助け出そう。俺たちは協力する」
「本当ですか」
朱莉の目が、わずかに輝いた。こういう表情を、烏丸は何度も見てきた。そして必ず力になってきた。例外はない。それこそが烏丸の望みだった。
だから、安心させるために力強くうなずいてみせる。
「事態は一刻を争う。すぐに動こう。『お嬢様』の居場所がわかっているようなら、案内してもらいたい」
「おおよその座標ですが、マッピングしております」
「座標――」
烏丸は首を捻る。一瞬、タツミと目があった。彼も理解できない、という顔をしていた。
「地図はこちらに」
朱莉はどこから取り出したものか、やや使い古した感のある地図をテーブルの上に乗せた。それを広げていく。かなり大きな地図だった。
「新宿駅の地下、新宿黄金坑道です」
新宿駅の地下に、このような空間があったものだろうか。工事に次ぐ工事で構造が入れ替わっているとしても、これはあり得るのか。迷宮のように入り組んだその地図を、烏丸とタツミは注視する。
地図には無数の道が書き込まれ、『地底湖』や『採掘場』、『竜骨構造』といった、明らかに奇妙な単語の類も見受けられた。
「お嬢様がロストしたのは、こちらの地底湖の一歩手前」
朱莉の指が、地図の上をたどった。
そこにある表記を読み上げる。
「ゴブリンどもと、百足竜の縄張りになります」
烏丸とタツミは、ほとんど同時に眉をひそめ、目配せを交わした。
ゴブリンに百足竜、と聞こえた。いままで生きてきて、こんな真面目な状況で耳にすることがなかった単語だった。
どうも今日は、予想外のことばかりが起きる日だ。
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