東京ハック&スラッシュ株式会社
ロケット商会
新宿黄金坑道
1.烏丸と記憶喪失の空き巣
長年を生きた動物が妖物へ化けるように、
歳月を重ねた道具が霊性を帯びるように、
人の暮らす都市それ自体もまた、神秘に目覚めることがある。
――すなわち迷宮都市、東京。
混沌にして背理の街である。
(東京ハック&スラッシュ株式会社 所長・櫻庭 真一の手記より)
――――
何度も住所は確認した。
だから、間違っているはずはない。
正義のヒーロー、烏丸景行は頭の中で駅からのルートを反芻した。新宿駅西口から十五分。ビジネスホテルの隣で、雑居ビルの一階。その事務所の前に立ち、ドアに書かれていた文字も確認した。
東京ハック&スラッシュ株式会社。
ドアを開けると、目の前には一人の強盗がいた。
「あ」
と、思わず声が漏れた。
室内にいた男のことを、すぐに強盗だと判断した理由は三つある。
一つ、窓ガラスが割れていたこと。二つ、彼が背中を丸めてキャビネットや机の引き出しを片っ端からひっくり返し、明らかに何かを探している様子だったこと。三つ、彼の人相が余りにも悪すぎたことだ。
そうした数々の予想外な要素に反して、烏丸は動揺を感じていなかった。
むしろ、奇妙な期待感があった。ここのところ仕事に倦んでいたところだ。無味乾燥なルーチンワークは、精神を摩耗させる。予想外の事態こそ彼の望みだった――久しぶりだ。
久しぶりに、少しは面白いことになってきた。
「あ?」
強盗の男も、烏丸の入室に気づいて顔をあげた。不思議そうにこちらを見る。
若い男だ。烏丸と同じくらいで、二十歳そこそこだろう。
身なりは趣味の悪いライダースジャケットで、髪は派手な金色に染めている。垂れ目がちで童顔だが、隠しようもない凶暴さが感じられた。暴力と深く関係する仕事か、あるいは生活に身を置いていることは間違いない。烏丸にはそれがわかる。
烏丸もまた、同類だからだ。
「あの」
強盗の男は、慌てたように両手を上げた。
「あのさ。違うんだよね、これは」
「何がだ?」
発言の意図を掴み損ねて、烏丸は問い返す。ずいぶんと間抜けな応答になっているだろう、と、他人事のように思う。
「ぼくは強盗じゃない」
強盗――あるいは強盗らしき男は、早口で否定した。
「そうか?」
烏丸は首を捻り、室内を観察する。大きなソファが二つ。テーブルが一つ。窓際にデスク。それから観葉植物、キャビネット、本棚。奥にドアがあることを考えると、ここは応接室というところだろう。
まるで探偵事務所のようだった。
「本当だよ」
強盗のような男は、力なく両手を下ろした。
「本当なんだ、きっと。たぶん」
「そうか。ちなみに俺はさっきから心の中で、お前を強盗と呼んでいる。強盗じゃなければ、お前はいったい誰だ?」
「ぼくは、タツミ」
その呟きは、どういうわけかひどく不安げだった。
「怪しい者じゃないぜ。やってることだって、どちらかといえば強盗じゃなくて空き巣に近いはずだ。しかも、やむにやまれぬ事情でやってることなんだから」
タツミ、と名乗った男は、そこで自分を鼓舞するように何度もうなずいた。
「そう。ぼくは決して悪くない。悪いのは状況だ。いつだって状況が人を追い詰める。自分から悪行を働こうとするやつはいない、人間の本質は正義なんだよ」
「そうか」
烏丸は内心で密かに感心した。
「お前、なかなか良いことを言う。もしかしたら本当に強盗じゃない可能性がある」
「そうだろ! その可能性に賭けてくれ! つまり、警察に連絡するのはやめてほしいんだ」
「ああ――警察の心配をしているのか。安心しろ」
このタツミという男の必死さに、烏丸はかすかな同情を感じ始めていた。だからせめてその点だけは安心させるように、力強くうなずく。
「俺も警察を呼ぶつもりはない。仕事の邪魔だからな」
「え」
タツミの表情が、さらに不安げな陰りを帯びた。
「どういうこと? っていうか、きみ、ここの事務所のスタッフさんじゃないの?」
「違う。俺が調査した限り、この事務所のスタッフは恐らく一人しかいない。所長だけだ」
烏丸は、一歩足を踏み出す。室内に目を走らせる。
「所長の名は、櫻庭真一という」
「あ、そうなの? へぇー! なんか変な事務所だな。ハック&スラッシュ株式会社だろ? ここって、どういう仕事をしてるんだろう」
「さあな。俺もまだ知らない。調査中だ」
「え?」
タツミが目を丸くした。表情のよく動く男だった。
「それって、きみはスタッフさんでもお客さんでもないって意味?」
「お前、鋭いな」
烏丸は再び感心した。
「俺は仕事のためにここに来た」
「仕事ってなんだい、凄く嫌な予感がするけど」
「そうだな――色々とあるが」
考えた挙句、烏丸は面倒になった。端的に言い表すことにする。
「最も可能性の高いのは、櫻庭真一を暗殺する仕事だ」
「あんさつ」
その単語を繰り返し、タツミは口を開閉した。烏丸の仕事を聞いた人間が、しばしば示す反応の一つだ。
非現実的な言葉は飲み込むのが難しい。
だが、飲み込んでしまえば、あとは真顔になるしかない。
「――つまり、きみは、あれか。殺し屋なわけ? マジで言ってる?」
「別に殺しが専門というわけじゃない」
タツミのような反応に、烏丸は実のところうんざりしている。誰も彼もが誤解する。殺人は手段の一つに過ぎない。
烏丸に仕事を依頼する者も、勘違いしているケースが実に多い。
「本職は、正義のヒーローだ」
烏丸は両手を広げた。なんらかの安心感のようなものを演出したい、と思ったからだ。とはいえ、いままでうまくいった例はない。
「殺人は本当にどうしようもないときの、最後の手段だ。改心の余地がない悪党、罪もない者に犠牲を強いる怪物。そうするしかない状況がある。お前もそう思うだろう、タツミ。『いつだって状況が人を追い詰める』だな」
「いやいやいや」
タツミは大げさに首を振って見せた。怯えたように、一歩後退する。
「正義のヒーローどころじゃないよ。人を殺すってことは、きみ、かなり悪いやつなんじゃない?」
「正義のヒーローが、良いやつである必要があるのか?」
そこのところが、いつも烏丸にはまったく理解できない。
「正義のヒーローの仕事は複雑だが、仕事と人格は関係ない」
「無茶苦茶なこと言うなあ、きみ。だったらここの所長の櫻庭さんは、そういう――殺されても仕方のない、ものすごく悪いやつなわけ?」
「どうかな。まだ判断できない。それを調べに来たんだが」
烏丸はいっそう目を細め、タツミを睨むように見た。
「お前はここの所長じゃない。スタッフでもなく、強盗でもない。空き巣とも少し違うらしいな。もう一度聞こう」
ゆっくりと距離を詰める。タツミはまた一歩後退しようとするが、背後は割れた窓だ。それ以上は下がれない。
「お前は誰だ? なぜここにいる?」
烏丸が人を見つめると、自然と睨むようになる。職業柄、そういう目つきが癖になる生活を送ってきた。
「金目のものを狙って忍び込んだ、ただ口先の達者な悪いやつか?」
「違うって」
タツミの声が上ずった。
「記憶喪失なんだ、ぼくは」
「そうか?」
烏丸は少しうつむき、眉間の辺りを指で押さえた。そこから思考を絞り出そうとするかのように。考えるときの癖だった。
「ずいぶんと軽薄な記憶喪失者に見えるが」
「失礼だな! それに、記憶喪失が軽薄じゃいけないのかよ。深刻な態度にも限度ってものがある。聞いてくれよ、ひどすぎて笑うしかないぜ。思い出せるのは辛うじてタツミって名前ぐらいで、住んでる場所も覚えていない」
「では、なぜここに?」
「ポケットに名刺が入ってたんだよ」
タツミはライダースジャケットの内側から、一枚の紙片をつまみ上げた。それをひっくり返して裏面を見せる。
「住所と地図つき。つい三時間くらい前かな――ぼくは目が覚めたら公園のベンチで寝転がってた。で、記憶もない。自分が誰だかわからない。ぼくが持ってたのはこれと、あとは小銭だけで、他に手がかりもなかった」
「それで、窓を割って不法侵入か」
「仕方ないだろ。ぼくだって焦ってたんだ。日が暮れる前に自分の家に帰らないと、この寒いのに路上で寝ることになっちゃうからさ」
「なるほど」
これは、どうしようもない状況だろうか。
烏丸は少し考え、うなずく。当事者であるタツミ自身にとってはそうだ。少なくとも、正義のヒーローに問答無用で裁かれるべき類の悪党ではない。元より人の生死はそう簡単に判断すべき事柄ではない。
「だからさ」
タツミはデスクの上に尻を乗せ、うなだれた。
「どうすればいいか、わからないんだ。ぼくには何か、しなくちゃいけないことがあるような――」
ぶつぶつと、彼は何かを呟こうとした。烏丸は耳を澄ます。
入口のドアが荒っぽく開いたのは、そのときだった。烏丸も、タツミも同時にそちらを振り返っていた。
「あの!」
破れかぶれな大声が、狭い事務所の内部に響いた。
「すみません! こちら、櫻庭先生はいらっしゃいませんか?」
「え」
タツミが目を瞬かせた。
大声をあげて入ってきた人物に対して、混乱しているに違いない。烏丸も意表をつかれた。
そこにいたのは、一人の女性だった。豊かな黒髪を三つ編みにして、年のころは二十代前半というところだろう。えらく長身の女性――烏丸やタツミよりも、さらに頭一つ分ほど大きい。二メートルはありそうだ。
だが、それ以上の混乱の原因は、メイド服を着ていることだった。烏丸はそんな服を着ている人間を、ほとんど見かけたことがなかった。
おまけに彼女自身と同じくらい大きな、楽器ケースにも似た黒い革張りの箱を抱えていた。
「お願いします」
と、彼女は頭を下げた。
「助けてください。お嬢様がロストしました。座標は新宿黄金坑道、第一層です。間違いありません」
頭をさらに深く下げ、長身のメイドが叫ぶように言う。そして、その場に這いつくばった。土下座の姿勢をとる。革張りのケースが床にぶつかり、ごとん、と鈍い音をたてる。
「どうか、ご助力を! 土御門の名において、伏してご依頼を申し上げます。お嬢様を助け出したいのです。私にできることなら、なんでもします。ですから」
「や、あの、待って」
タツミはひどく慌てて、言いにくそうに口を動かす。同時に、助けを求めるように烏丸を見る。
「土下座なんてやめてよ。ご助力って言われても、ぼくらは――」
「了解した」
タツミが何か続ける前に、烏丸は機先を制した。
「所長は留守だが、我々は彼の――そうだな。助手だ。顔を上げてくれ。詳しい話を聞こう」
次から次へと滑らかに、烏丸の口から方便が出てくる。タツミは顔をひきつらせた。烏丸の腕を掴んでくる。
「おい! ちょっと、どういうつもりで――」
「他にどうやって弁解する? 正直に俺たちの事情を述べるか? 警察に通報されたければ、そうしろ」
「いや、そりゃそうなんだけど」
「それに彼女は困っている。正義のヒーローとしては助けなければならない。それともタツミ、お前は俺の人助けの邪魔をするのか? それほどの悪人なのか?」
いささか極端な言いぐさだったが、この脅迫めいた言葉には効果があった。タツミが言葉を詰まらせた隙に、烏丸は長身のメイドに対して手を差し伸べた。
「立って。どうぞ、ソファへ」
「あ」
長身のメイドは烏丸を見上げ、かすかな安心を顔に浮かべた。
「お嬢様を、助けていただけるのですか? ギルドも見放した、お嬢様を」
「当然だ。困っている人間は、いくらでも助ける」
烏丸は感情もこめずに宣言する。それが正義のヒーローの仕事だからだ。長身のメイドは、烏丸の手をとって立ち上がった。目に涙すら浮かんでいた。
「ありがとうございます――あなた方の慈悲に、感謝を」
「冗談だろ」
烏丸にだけ聞こえるような小声で、タツミが囁くのが聞こえる。
「記憶喪失の空き巣に、自称・正義のヒーローのイカれた殺し屋だぜ。ぼくらは」
烏丸は黙殺し、ただ口元で笑った。
それも悪くない。
なんだか、久しぶりに面白いことになってきた。
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