第19話 上終 勇城:Ⅲ


「随分と仲良くなったようだね、少年」


 二人が玄関からリビングへと戻ると、ウリアが嬉しそうな笑みを湛えて待っていた。いや、ウリアだけ

じゃない、四天王それぞれが、似たような面持ちで迎えてくれた。


「おはようございます。皆さん起きてたんですね」


「おはよう、少年。つい先ほど、目が覚めてね。起きてみれば姫と君がいないから、いや、焦ったよ」


 とは言うものの、微塵も取り乱した様子も見られないのは、大人の余裕というものなのかもしれない。対して、隣にいるエイラはと言えば、頬を膨らませて不満を露わにして見せる。


「というか、別に仲良くなんてしてないわ。うん、これは言わば同盟みたいなものよ」


「多分広義には同じ意味合いだと思うよ」


 そんなやり取りをしていると、またも彼らは破顔する。何がそんなに可笑しいのか、それが顔に出てしまっていたのかもしれない。テラが微笑みながら疑問に答えてくれる。


「いや、姫と打ち解けてくれるとはの。ワシらも安心した」


「安心、ですか?」


 その表現が引っ掛かる。話を聞かせてもらった限りだと、エイラと彼ら四天王は直接の使役関係にないらしい。それなのに、ここまで彼らが親身になる理由はどこにあるのか。

 疑問を口にすることもなく、アクエルが先んじて応えた。


「姫さんは危ういんだよ。暴走しちまうっていうか、周りが見えなくなっちまうような、そんな不安定な時があるんでな。だから俺たちも、慎重になってた」


「今はそうではない、ということですか?」


「まあ、少なくともな。姫の精神は安定してるようだし、てめえのことも信頼できる人間だと踏んだようだからよ。一先ず、命の危機は去ったと言ってもいいってことだ」


「そ、そこまで警戒されてたんですね……」


「警戒はし過ぎて困ることはないからの。まあ、悪く思わんでくれ」


 引き継いだテラの言葉に、上終は首を横に振る。彼ら彼女らが生きてきたセカイというのはつまりそういうことなのだ。だとすれば、その行動は当たり前で、誰に非があるわけでもない。

 寧ろ、日本人が警戒心が無さ過ぎることを恥じるべきなのかもしれない。


「というか、何よ全員で。私、そんなに情緒不安定じゃないわよ」


「いやあ、マア姫自身はそうなんデスけどね」


「スフィアまでそんなこと言うの? ……そんなに私って、子供っぽい? これでも、私自身色々と勉強してきたつもりなんだけど……」

 何やらショックを受けているエイラに、何と声を掛ければよいのか。その判断を迷っていると、彼女に向けていたスフィアの視線がこちらに向けられる。


「それで、これからどうするつもりなんデスか?」


「そうですね、とりあえず図書館に行こうと思います。そこなら、何か分かるかもしれません」


 異世界から来た人間のこととか、その対処法とか。そんなことが分かるはずもなかったが、かといって自分一人でどうにかなるほど、話は単純ではない。

 何かしら解決への糸口が見つかれば、少なくとも彼らに希望を見せることができる。

 実際、この意見に文句を言う人間は、誰もいないようだった。


「それで、そのためにまずは色々とやることがあります」


「と、言うと?」


 上終は自分の衣服と、それから彼らそれぞれの衣装を指差してみせる。その仕草に対しても、誰かの反対意見が出ることはない。


「とりあえず、服装の問題をどうにかしましょう。せっかく、昨日あの場所から目立たずに帰ってこれたのに、その恰好じゃ目立ちます」


「確かに。不用意に視線を浴びるのは、無駄以外の何ものでもないね」


 何もこの社会で目立つことは悪いことではないが、状況が状況なのだ。帰るまでは穏便に過ごした方がいいだろうし、これは避けては通れない問題だった。


「と言ってもですね。別に地味な恰好に変えるってわけでもないんです。この世界は、結構ファッションに寛容なんですよ」


 そう言い、上終は彼らを見回す。

 エイラに関してはその相貌と煌びやかな髪が目を惹くのはもちろんのこと、ドレスのようなその服装は、現代日本ではそぐわない。これはウリアにも言えることだ。

 テラとアクエルについてはそのままでも問題はない、と上終は思う。髪色や体格は別にしても、アクエルは白を基調としたジャケットを着ているように見え、テラはシャツ一枚に大きさの合っていない迷彩柄だと思われるズボンを着ている風に見て取れる。彼らに関してはこのままでいい。

 ドレス姿の二人も、それぞれサーキュラー部分に広がりはないので、丈の長いコートか何かを着せて置けば、今の季節は問題ないだろう。

 ただ一人、明らかにコスプレ然とした緑髪の少女。問題は彼女だった。


「どうしたんデスか? そんなにマジマジと見られマスと恥ずかしいデスね」


 揶揄うようにあざとく振る舞うスフィアに、どう言ったものかと思案する。

 そもそも目立つことがマズイということには、各々納得してくれている様子だが、果たして騎士のような出で立ちの彼女は、武具防具を外すことを善しとするのだろうか。詳しくは知らないが、騎士道なるものに反しはしないのだろうか。

 恐る恐る、上終は彼女に尋ねる。


「あの、スフィアさん」


「何デスか? 上終さん。……ああ、そうデス。ボクのことも気軽にスフィアと呼び捨ててもらってもいいデスよ」


「え、でも」


「気にしないでクダさい。生きてきた時間は、あなたの方が長いデショう。ボクは姫よりも年齢が下デスから、わざわざ敬語で話すこともありマセん」


「え!? スフィアって年下だったの?」


 意外にも反応したのはエイラだった。彼女は心底驚いたように、その瞳を白黒させている。


「そうデスよ? 話しマセんでしたっけ?」


「ずっと同い年かと思ってたわ……」


 身長にも相貌にもあどけなさが見られるスフィアをどう見ていたのか、と。上終は疑問に思ったが、すぐにその疑問も払拭される。

 つまり彼女、スフィアは言動が確立されているのだ。

 大人びている、というほどではないが、子どもがするような微笑ましさも感じられない。

 自立していると、そう感じ取れるからこそ、エイラは彼女の年齢が分からなかったのだろう。


「と、マアそういうわけデスから、姫さんと同じように、これからは呼び捨てで構いマセんよ」


 楽しそうに少女はそう謳った。本当にこんな女の子が戦うのだろうか。ソファに立てかけてある長い剣身をした武器と彼女の細腕とを交互に見て疑問に思う。

 普通に話す分には、どこにでもいる女の子だ。だからこそ、このまま外に出歩いてしまうと目立ってしまうわけなのだが。


「ええと、スフィア。単刀直入に言うけどさ、その恰好目立つから着替えてくれるかな?」


「なんだ、そんなことデスか。僕としては、構いマセんよ」


「あ、いいんだ」


「そうした方が面倒事に巻き込まれないのなら、喜んでそうしマス」


「うん、ありがとう。それから、エイラもウリアさんも、コートを羽織ってください。今持ってきますから」


「なあ、おい上終。俺らはいいのかよ?」


「アクエルさんたちは、その恰好で大丈夫だと思いますから」


 それに応えると、すぐに上終は二階へと向かう。

 確か女性もののコートは姉の部屋にあったはずだ。というか、そこに無ければこの家のどこを探しても女性ものの衣類は出てこないだろう。

 上終は姉の部屋に入り、クローゼットを開ける。その中から暗色のコートを二着拝借し、それからスフィアの分の衣服も適当に見繕う。

 ファッションセンスなど皆無な上終だが、求められるレベルは目立たない服装だ。洒落ているかそうでないかは、この際大目に見てもらいたかった。


「お待たせしました。これがお二人の分です。それと、こっちがスフィアの分」


 リビングへと戻った上終は、姉の服を机の上に並べる。

 そのままゲーム世界から飛び出して来たような彼女たちが、日本の一庶民の着ていた服が似合うとは到底思えなかったが、ともあれこれを着てもらえれば、出で立ちで目立つという危険性はなくなるはずだ。


「これを着るだけでいいのね?」


「とりあえずの応急処置として、だけどね。正直コートだけじゃ生活も不便だし、衣服とか買いに行かないといけないけど。今はそれで我慢してくれると嬉しいな」


 コートを渡し、矯めつ眇めつ不思議そうにそれを触っているエイラを眺めていると、上終はふとある可能性に至る。

 もしかすると、彼ら彼女らはこのままこのセカイで暮らすことになるのではないだろうか、と。

 有り得ない話ではない。戻る手段が見つからなければ、当然ここでの暮らしを余儀なくされる。仮に見つかったとしても、実際帰ることができるのに、時間を要する場合もあるだろう。

 そうなったとき、自分自身は一体どういう行動を取るだろうか。喜ぶだろうか、あるいは嘆くだろうか。

 きっと、自分は――


「あの、上終さん? 大丈夫デスか?」


「え、ああ。ごめん。ちょっとぼうっとしちゃってた」


 言葉が耳に届き、我に返ると、目前には引っ張り出してきた服を持つスフィアの姿があった。


「これ、着るんデスよね? もう着ちゃってもいいデスか?」


「うん。お願い」


「そうデスか」


 しばらく生地を引っ張ったりと耐久性を試していたスフィアだったが、やがて鎧を外し、無地の肌着を脱ぎ始める。

 その場で。男が目の前にいることを気にも留めず。


「ちょ、ちょっとスフィア!? ストップストップ!!」


「なんデスか? 着ろと言ったり止めろと言ったり」


「いや、男の僕がいるのに、というか僕じゃなくてもテラさんとかアクエルさんとかいるのに、こんなところで着替えちゃまずいって!!」


「……どうしてデスか?」


「なっ……!!」


 本当に理由が分からないと、肌着に手を掛けたまま首を傾げる。

 その白い肌は瑞々しく、分かり難いものの女性らしい身体つきがその眼にしっかりと映る。


「と、とりあえずっ。僕はリビングから出とくからっ」


 五人それぞれの視線を一身に浴びて、○○は視線をあさっての方向へと飛ばしつつ退出した。扉を閉めて、ようやく一息吐く。


「……はあ。先が思いやられるよ」


 雪のようにきめ細かい柔肌が、瞼に焼き付いて離れない。恋愛経験のない中学生男子には、少し刺激が強すぎた。扉越しに中の様子を窺ってみると何やらドタバタと騒いでいるようだ。


「……上終さん。なんだったんデスかね」


「思春期ってやつだよ。忘れてやれ」


「分かった風デスね、アクエルは」


「まあな、誰もが通る道だ。まあ喜べよ、スフィア。お前、異性として意識されてるってことだからな」


「異性、デスか? それってどういう……」


「ああ、スフィア。そうじゃないだろう。多分、そっちが上着だと思うぞ」


「はっはあ。逆に着てやんの。なあおいスフィア、そっちの方が似合うんじゃねえのか?」


「ちっ。うっさいデスね。風穴開けマスよ」


「姫、コートの着心地はいかがかな?」


「これがコートね。着やすくていいじゃない」


 そんな暖かい声が、扉越しに伝わってくる。

 正直、羨ましいと思えた。日なたでうたた寝をするような心地よさ。真っ暗闇の中、仄かな光が灯るそんな安心感。そこには家族のように気持ちの良い陽だまりがあって、太陽よりも眩しい明るさが感じられた。

 この壁一枚隔てるだけで。その一枚が遠く、阻む。

 そこに混ざれるだなんて思っていない。月や星に手が届かないように、それに触れる権利はない。冷たい廊下で座っていると、よりその差が実感できてしまうのだ。

 ただガムシャラに、ずっと独りで走ってきたその罰が、この現状。今彼らに見ている煌めきを、永遠に手に入れられないということが、償いなのかもしれなかった。

 自分は何をやっているのだろう、と。上終はそう思う。彼らは異界の地で目標を果たそうとしているのに。自分はそこにある幸せを妬んで羨んでいるだけ。

 命を救ってもらって、浮かれていたのかもしれない。


「……いや」


 浮かれてもいい。自己嫌悪はお終いだ。一度死んだこの命、もうどうなっても構わない。

 必ず、彼らを元の世界に戻すと、そう誓ったのだ。

 それが、恩返しだ。


「何やってるのよ、ユーキ」


 ほんの少し、扉が開いた。上終のいる場所よりも、光って見えるその世界が瞳に映る。そして、コートに身を包んで微笑むエイラの姿も。


「着替え、終わったわよ。ここの主はユーキなんだから、ほら、早く」


 座り込む上終に、彼女は手を差し伸べた。

 綺麗な手だった。傷一つなく、白磁のように美しい指先が彼の目の前に差し出された。

 その手を取ってもいいものか。それに触れても許されるのか。もう、そう考えることは止めた。

 だから、少しだけ間を置いた彼は、躊躇なくその手を取る。


「ありがとう。コート、どうかな? 一応それっぽいサイズを選んできたんだけど」


「大丈夫よ。あ、それよりもスフィアの服を見てあげて。何故か不安そうだから」


「不安?」


 立ち上がり、リビングへと入ると、コートを羽織ったウリアと、そしてどこか所在無さげに立ち尽くすスフィアの姿を捉えた。


「か、上終さん。本当にこれは合ってるんデスか? こんな装飾だらけの服は、高級品なんじゃありマセんか?」


 手元まである袖口を握りながら、彼女は眼を泳がせながらそう言った。


「いや、似合ってるよ?」


 それは正直な感想だった。彼女が来ているその服装は特別突飛、というものでもない。そもそも目立つ格好を控えようという話なのだから、わざわざそんな服を渡すわけがない。

 だがそこは、異世界特有のセンスというものなのかもしれない。スーツ姿で街を歩き回る人間が普通にいるように、あちらのセカイでは鎧姿が一般的に見られるのだろう。


「文化の違いというやつかな……。でも、普通に可愛いから悪目立ちはしないよ?」


「かわ……? いや、そういうことではないんデスよ!!」


「大丈夫だよ。それ、姉さんのおさがりだから。もう着ないって言ってたし」


「お姉さんがいるのね」


「まあ、いるにはいるんだけど。ほとんど帰ってこなくてさ。多分勝手に着てても怒らないと思うよ」


「無視しないでもらえマスか!?」


 それは黒と白を基調としたフリルスカートに、そしてフリルのついたブラウス。姉がこれを着ているところを目の当たりにしたことはなかったが大掃除の際、懐かしいわ、などと言っている記憶はある。あの頃はイタイ奴だった、と。姉は苦々しくそう語っていた。

 そして現在、姉の言うイタイ衣装に身を包んでいる彼女は、顔立ちも相まって本当に西洋人形のような可愛さに仕上がっていた。


「まあまあ、スフィア。似合ってるからいいんじゃないの? 私なんてコートだけなんだから」


「……別に可愛さは求めてないんデスけど」


 はあ、と。深々と溜め息を吐き、スフィアは上終へと向き直る。


「……もういいデス。とっとと、これからの話をしマショう」


 諦観の様相を隠そうともしないスフィアに、僅かな罪悪感を抱きつつ、上終は頷いた。


「うん、そうだね。というか、実はもうどこに行くか決めてるんだ」


 時計に視線を向けると、今はまだ朝の八時前。今の時間からでは図書館はまだ開館していない。


「へえ、どこへ連れていってくれるのかな?」


 ウリアのその言葉はここにいる全員の意見とも言える。だから彼は、そこにいる四天王と姫を見回して、明朗快活に答えるのだった。


「スーパーに行こうと、そう思ってます」

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