第20話 上終 勇城:Ⅳ


「食糧問題?」


 エイラが眉根を顰めて、そう声を上ずらせた。


「そう。これから先、生きていくにあたって一番重要かつ、優先すべき問題」


 上終とエイラ、そしてその後ろに四天王の四人が連なって、朝の町を歩いている。通行人は少ない。登校、出勤する時間には遅すぎるし、本格的に行動しようという時間帯には早すぎる。

 路地を縫って歩いているその間にも、すれ違う人は数えるほどだった。

 もちろん、上終があえてそういった道を選んでいるというのもあるが。


「確かに、上終の言う通りかもしれんの。ワシらの目的は元のセカイへの帰還だが。そもそも、何日掛かるのかも見当不明。本当に帰れるのかさえ怪しいところだ。現実的な側面として、ワシらの生活をどうするかという話は、早々に決めておかねばならん」


 彼らは観光に来ているわけではない。滞在期間も今後の予定も未定だ。

 目先のこと、そしてそれよりもさらに先まで考えて行動していかなければならないだろう。


「とりあえず、僕の家で過ごせばいいと思いますよ。部屋だって余ってますし、迷惑にはなりませんから」


 そもそも、外国人なんてただでさえ目立つのに、それぞれがそれぞれ美男美女ときている。テラでさえ温厚な好々爺に見えるし、良い意味でも悪い意味でも目立って仕方ない。それが五人もいるのだ。普通に生活もできないだろう。その上での提案だった。


「でも、いいの?」


「ん? 何が?」


「いや、だって食費とか色々かかるじゃない。私たち、お金は持ってないわよ?」


「大丈夫だよ。その辺は心配しなくても。貯蓄はあるし」


 あの家は当然、親の持家なのだが、しかし両親が帰ってくることはしばらくない。父も母も、今や日本から遠い海外で仕事をしている。それは、十年前から変わらない。

 両親はただ生活費を振り込んでくれるだけ、というわけではないのだが、現状上終にはそれほど接点もない微妙な関係となっていた。


「姉さんもほとんど帰ってこないから、余ってるぐらいなんだ。しばらくは賄えるよ」


「……まあ、ユーキがいいならいいんだけど」


 エイラはそう言うと、上終から視線を外す。彼女の戸惑いは、上終も痛いほどに共感できる。無償の善意。剥き出しの好意。そういうものはこの世界において、警戒されるべき対象なのだ。上終がそうだというわけではないのだが、世間一般で言えば何か裏があると、そう思われても仕方のないことをしている自覚はある。

 こればかりは、彼らもこの世界へと来たばかりなので、仕方の無いことなのだろう。

 ゆっくりと、無理に距離を縮める必要はない。いつか、警戒されなくなる時が来るはずだ。

 だから上終は、それ以上金銭面において、何も言わなかった。


「それに、どこか行くにしても、この日本という国では不法滞在者には厳しいんです。多分、五人とも普通に暮らそうと思ったら、結構苦労すると思います」


 身元不明、出生はこの世界の場所ではないなんて、誰がどう考えても信じてくれないだろう。そう考えるとやはり今いるこの家でしばらく滞在するのが得策だと言える。テラもそれからウリアも少しだけ思考を巡らせる素振りを見せて、頷いた。


「そうだな。上終の言う通りかもしれない。他国に入れば他国の慣習に従うことは私たちの世界でも鉄則だ。改めてすまないが、しばらく厄介にならせてもらうよ」


 後方を歩くウリアに続いて、テラも同調して口を開く。


「食事に関しても文句は言わんぞ。なんなら、そこらの山で狩りをして、それを卓に並べさせてもらうが」


「そうだな。まさかタダで寝泊まりさせてもらうってわけにもいかねえよな。自分の飯ぐらいは確保できる手段は持っておかねえと」


 話がまとまったところまでは良かった。あのままだと命の恩人に、臭い飯を食べさせてしまうことになりかねないところだ。

 しかし話はズレて、変な方向へと突き進もうとしている。


「あー……、そういう話だとですね」


 これは一から教えなければならないのかもしれない。彼らのいたユーム大陸がどういう文化を持っているのかは不明だが、現代日本とは全く異なることがなんとなくだが分かってしまう。


「基本的に狩りは禁止です」


「なっ、なんだと!?」


 瞬間、ざわめく一行。唯一エイラだけがきょとんとしている。状況についていけていないのか、あるいはそのことにそれほど重大さを感じていないのか。四人が言葉を失っている中、小首を傾げてエイラが尋ねる。


「ねえ、ユーキ。どうして狩りができないのよ。日本ってそういう、無駄に命は狩らない精神の国、とか?」


「えーと……、それもまああることにはあるんだけどね。僕が知る限りではここまでグルメな国もないぐらいに、食糧周りは整ってる。それはきちんと、世界で決められているルールがあるからなんだ」


「……法律、デスか?」


 スフィアの確認の籠った声に、振り返りながら頷く。


「そう。不平等にならない為に、世界を上手く回す為の法がここにももちろんあるんだ。それで、狩猟自体は禁止、というよりも手続きとかに手間が掛かってね。釣りとか作物を育てたりとかなら、道具と場所さえあればできるんだけど」


 と、説明はするものの、上終としてもそこまで詳しくは知らない。テレビとかで取り上げられていたりや本を読んで得た知識だ。しかしそれもこの国にとっては常識。常識を語る分には、それだけの説明で事足りた。


「でもそれなら、一体この国の人たちはどうやって食べ物を得ているんデスか? 皆さん、農業でやりくりしているとかデス?」


「もちろん、そういう人もいるよ。でも、それも土地を持っているごく一部の人だけで、大半の人はスーパーとかで買い物をするんだ。それがこの先にある建物なんだけど……」


 そう言うが早いか、幾つもの人気のない交差点を越えた先、角を曲がると目的地が姿を現した。

『スーパー マンデーライフ』。

 比較的規模も大きく、様々な商品が揃っているスーパーマーケットだ。元々都心部に多く商圏を広げていたが、ここ近年では郊外の方にも進出しているらしい。

 コンセプトは『月曜日から暮らしを豊かに』だそうで、実際月曜日には商品の割引を行っていたり、そもそも数多くの商品を揃えていたりと、今日では近隣住民の味方として定着している。

 また、安くて高品質ということもあり、上終もよく利用している。それにこのスーパーマーケットは食料品のみならず、日用品や書籍に衣類やインテリア類まで幅広く扱っており、急な買い出しでもここに行けば大抵揃ったりする。そんなスーパーマンデーライフの入り口を、上終と異国の五人は眺めていた。


「こ、ここは大聖堂か何かか……?」


「いや、それにしてはあまりにレリーフが足りないのではないか? どちらかと言えば、教育施設か囚人の収容所に近いと思うがの」


 目の前にそびえるその建物を信じ難い顔付きで見上げる彼らに、改めて異国の人間なのだという実感が込み上がってくる。


「こいつは凄え! ここに何でも売ってるってマジかよ。この規模なら一生ここで暮らせるじゃねえか!」


「最早、一国の城デスね。堂々としていて、容易に攻め入れなさそうな気概を感じマス」


「これが、スーパー……」


 足を止めて見上げるのは結構なのだが、まだ外観に過ぎない。中に入ってしまうと一体どうなるのだろうか。

 上終はその反応が怖いようで、けれどもどれほど驚くのかが見たかった。


「……というか、こういう建物はそっちの世界には無いんですか?」


「ああ、いや。これよりも高い建物はある。あるにはあるのだが、こうも珍妙なものは無いというか……」


「あっても城とかだな。こんなデザイン性もクソもねえ建築物は見たことねえな」


「時代的には中世とかなんですかね……?」


「中世?」


「あ、いえ。なんでもないです」


 向こうの世界のイメージは大体掴めたような気がする。中世ヨーロッパに見られるような、あるいはファンタジーゲーム的とも言えるのかもしれない。そのような光景が広がっているのだろう。

 それならば、この驚きようも納得がいくというものだ。


「さて、それじゃあ入りますか。ここにいても不審に思われますし」


「ふふ、胸が高鳴るわ」


 いやに落ち着いている様子を装っているものの、その瞳その表情その声音は静穏とはもっとも程遠い感情に溢れている。

 即ち、隠し切れていない好奇の色に。


「えっと、エイラ。今からスーパーに入るけどさ。くれぐれも……」


「分かってるわ! この中では騒いだり、走り回ったりしない。物が欲しい時は必ずユーキに訊く、でしょ!」


「うん、まあそうなんだけど」


 道中、再三に渡って言い聞かせたことそのままをエイラはすらすら溌剌に声に出した。

 先ほどまで上終の心を占めていた心配半分、興味半分はその一瞬ですっかり心配に軍配が上がっていた。心配が九点五割ぐらいだ。子供のように落ち着きがなくなってしまっているエイラを横目で監視しながら、彼は自動ドアを潜り抜ける。

 風除室を通ったその先には、青果コーナーが広がっていた。鼻をつく甘くも青苦い香り。煩すぎず、しかしなぜか耳に残る陽気なBGM。自動ドア前には大量の買い物カゴが積まれており、カートは秩序だって並んでいる。入り口の付近には二階へと昇る為のエスカレーターが動いていて、その隣にはエレベーターが一階を表示したまま止まっていた。

 そこは上終にとってはよく見る光景だった。見慣れ過ぎて、何の感慨も浮かばない。ただし、背後に控える彼らはそうではない。


「な、これは……」


「こいつは、驚いたわい」


「いや、マジすげえ……」


「まるで市場、デスね」


 各々が各々、四者四様に驚嘆を口にする。それは当然、舞い上がっていたエイラも同様で。


「こ、ここは本当に凄いセカイね……!」


 それは期待していた通りの反応。予想できる範囲でのリアクションだ。

 ただやはり、思い描くのと実際に見るのとでは全く違う。

 彼らはいつも、緊張の糸を張り詰めていた。

 彼らは常に、警戒を解かなかった。

 彼らは絶えず、壁を作っていた。

 そんな彼らだったからこそ、今見せている意表を突かれた表情は新鮮に映るし、そして同じ人間なのだと安心できる。

 そう感じるのは、ただのエゴで、自分勝手な思い込みしかないと考えはするものの。

 今は何でもないこの瞬間を、何も考えず楽しみたいと。

 上終はそう思うのだった。


「さ、とりあえず、日用品と食材を買いましょうか」

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