第17話 上終 勇城:Ⅱ


 少年の名前は上終 勇城と言った。

 職業は学生。齢は十五の頃。丁度受験を終えるか終えないかの、三月一日に彼は命を落とす、はずだった。

 明確に死は近づいてきていた。人生が続かないと、ある種の確信も持っていた。

 だからこそ、今こうして五体満足で歩き、話すことができているそれこそが、信じられなかった。

 いや、戸惑っているとするべきか。いずれにせよ、彼の足取りは浮ついていて危なっかしいものがあった。

 しかし今はそんな自分自身のことよりも、彼らのこと。つまり、上終を助けた五人の外国人について、考える必要がある。

 ちら、と。振り返る。日本の街並みが珍しいのか、しきりに視線を動かして興味深そうに上終の背後を歩く。

 よくある住宅街だ。電柱は等間隔で並んでいるし、似たような家々が雑多に建てられている。所謂外国人が好きそうな、寺社仏閣であったり日本古来の街並みなどというものはここには存在しないはずだが、ずっと飽きる素振りさえ見せずに、不思議そうな面持ちをしている。

 ただ一番後ろをついて歩いている二人、傷のように皺を刻んでいる老翁と若くミステリアスな女性は何やら二人で話しているが、その内容はここまでは届かない。

 そうしている内に、目的の場所へと辿り着く。


「落ち着いた場所なんて、ここしか思い浮かびませんけど」


 まさかここまですんなり家に辿り着けるとは思わなかった。山を下りる時も消防隊含め、警察や救急隊員も数名見られたのだ。その中をこの六人で移動していたのだから、見つかってもおかしくはないはずだったが、誰にも声を掛けられることもなく、無事帰宅することができていた。


「ここって、貴方の家なの?」


 何の変哲もない家だ。それこそ、すぐに住宅街に溶け込んでしまう、一戸建て。銀髪の少女のその問い掛けに、上終は小さく頷く。


「へえー、ここが、ふうん……」


「あの、入らないんですか?」


「え、えっと入るわよ? ちょっと心の準備が、ね」


 彼女が一番先頭にいたので代表として少女に尋ねるも、どうにも歯切れが悪い。見かねた緑髪の少女が、楽しそうに口を開いた。


「姫さまは物怖じしてるんデスよね」


「し、してないわよ。魔王城の方が怖いんだから」


「マア、それはそうデスかね」


 言いながら、彼女たちはようやく玄関へと足を踏み入れる。明かりを点けて上終は先に上がる。

 もう何日も帰っていないように感じる。実際は今朝方ぶりなのだが、家に漂う香りや人気のない薄ら寒さが、生きて帰ってきたという実感を強く抱かせる。


「それじゃあ、皆さん靴を脱いであが……――っ!」


「だ、大丈夫!?」


 振り返り、彼らを招き入れようとしたところで上終の足がもたつき倒れる。同時に到来するのは、転んだことによる羞恥ではなく、染み入るような痛み。

 表層だけでなく、肉を啄まれるような骨にまで届く痛みが、鉛のように重く鈍く圧し掛かる。

 ようやく、生活圏に戻ってきたことによる安心感が、それまでの非日常から抜け出させたのだろう。

 眼前に迫る死という麻酔が取れてしまった上終の体は、既に限界を超えて悲鳴を上げていた。


「……っ! だ、大丈夫です」


「いや、無理だろう。その体で我慢をしていると、いずれ死ぬよ」


 言うが早いか、赤髪の女性は靴を脱ぎ、玄関マットに膝をついた。うつ伏せで倒れ、呼吸すらも不規則な上終を冷えた瞳で観察する。


「ただこの程度の傷なら、私でもどうにかできる。うん、君は実に運がいいね」


 治せる? 救急車ではなくて? というこの状況になりながらどこか冷静な脳がそんな疑問を浮かばせる。そう思考を空回りさせている間にも彼女は語りかけるように続けた。


「意地と無理は違うよ、少年。心配は掛けるものではなく、させるものさ。困っているのなら困っていると、正直にそう言えばいい。差し伸べられた手を無下に払いのけるものではないよ。甘えるのも時には必要だ」


 ほんのりと、その空間がオレンジの灯りに満ちた。蛍光灯が放つ白色の光ではない。手持ち花火のような、派手でもなく眩しすぎない灯り。伏したままでは確認できなかったが、彼女が背中に手を翳していることは、漠然と感じ取ることができた。次第に身体全体がぬるま湯に浸かっているような温もりに包まれる。同時に意識は遠退き始めて、このまま眠りについてしまいそうになったところで、背中を軽く叩かれた。


「どうだ。多少は、楽になったのではないか」


 飛びかかっていた意識が無理矢理引き戻されて、上終は視界を明滅させながらも、どうにか立ち上がる。


「あれ……?」


 違和感、あるいは爽快感か。あれだけ重力に打ち勝てなかった鉄のような重みが、綺麗さっぱり消えていた。


「ふふ。驚いたろう。もっとも、私たちもここら一帯の文化には驚かされているけれどね」


「……あなたたちは、本当に何者なんですか? 体を治癒させる理術なんて、見たことも聞いたこともありませんよ」


 それに、突然闇の中から生まれた理由。聞きたいことは山ほどあった。けれども、恐れはない。正体不明の彼らからは敵意を一切感じられない。彼はその場にいる一人ひとりをぐるりと見据え、そして頷いて呼び掛ける。


「……ともかく、上がってください。僕にできることがあるなら、何だって力になります」


「何か素足で室内を歩くというのは、変な気分ね」


 とりあえずリビングに通し、お茶などを人数分用意した。上終自身思っているよりも体が軽くなっており、僅かにテンションが上がる。それは何も身体が自由に動くことへの解放感だけが要因ではないだろう。ほとんど家に一人でいる上終にとっての、久しぶりの来客ということも手伝って、否応もなく心臓が高鳴るのは自明の理。ついさっき死にかけていたことなど、忘却の彼方だ。


「それで、訊きたいことは何ですか? 答えられることなら何だって……」


「ちょっと待って。それよりも先に、することがあるわ」


銀髪を絹糸のようになびかせて、彼女は勢いよく立ち上がる。首を傾げる上終へと楽しそうに、というよりもやや興奮気味に視線を向ける。


「自己紹介よ。お互い名前も知らないのに、何も話せないでしょ?」


 まるで知ったばかりの知識を得意気に話す子供のように、少女は胸を張った。


「というわけで私からね。私はエイラ。小国リアンの第三王女よ」


「え?」


 聞き間違いかと思ったが、それを問い質す間もなく、自己紹介の順番は回る。


「俺の名前はアクエルだ。四天王やってる」


「……ん?」


「ワシはテラという。四天王の一人で、趣味はガーデニングだ」


「ええと」


「ウリアだ。魔王の側近として、そして四天王として、魔王軍の生計を管理している」


「いやいや」


「スフィアっていいマス。こう見えて魔王軍を預からせてもらってマス。よろしくデス」


「あの、少しいいですか?」


 耐え切れず、少し食い気味で手を上げる。薄々気になっていた部分だが、このように淡々と言われてしまうとさすがに突っ込まざるを得なかった。


「魔王って誰ですか? 王女って何ですか? 四天王って冗談ですよね?」


「ワシらがここで嘘を言う理由はどこにもないだろうよ。さ、次は君の番だ」


「あ、はい。えーと上終勇城と言います。ごく普通の日本人で学生やってます……ってちょっと待ってください」


 危うくその場の空気に流されてしまうところだった。外国人というのはここまでマイペースなのだろうか。というかそもそも、外国人ではない可能性が高まっている。上終は落ち着くべく、深呼吸を重ねて一つずつ謎を紐解こうとする。


「あの、質問いいですか?」


「いいわよ」


「あなたたちは、どこの国から来たんですか?」


「ボクたちは国に所属してマセん。紹介でも言いマシたけど、姫は一応リアンという国の出身デス。ボクたちはユーム大陸にある小国リアンのその隣、魔王領から来ました」


 そこで既に尋ねたいことのオンパレードだったが、話が進まないので次に進む。


「……ここへ来た目的は?」


「それが俺たちにも分からなくてな。目的はない。というか強制的に連れてこられたんだよ」


 それは上終にも心当たりがあった。火事に見舞われた山に、突如として出現した黒の塊。そこから彼らは現れたのだから。


「目的がないんなら、これからどうしたいんですか?」


「元の世界に帰るわ!」


 そう、エイラと名乗った少女は宣言した。その目は僅かに揺らいでいるものの、それに声音がつられることはない。口調を強く、力任せに上終に眼差しを向けていた。


「だから、力を貸してほしいの。この日本という国がどこかは分からないけど、来たのなら戻る方法だってきっとあるはずだから」


「それは、別に構いませんけど……」


 何せ命を救ってもらった恩人たちなのだ。その方法を探すぐらいなら安いものだと言える。

 しかし、力になりたいのは山々ではあるのだが、自分にできることはあるのだろうか?

 上終は自信無さげに、表情を曇らせて口を開く。


「僕にできることなんて限られてます。例えば、貴方たちを元の世界に戻す方法なんてのは、正直皆目見当もつきませんし。それでもいいのなら……」


「それでも、今の私たちにとっては力強いの」


 そう、向けてくる視線は、くすみ一つなかった。

 ビー玉のような、美しい臙脂の瞳が上終の視線と交錯する。


「元に戻るための知識とか、現状を打破する分かりやすい力とか。そんなものは求めていない。必要なのは、協力者なんだ」


 ウリアはあっけらかんとそう言うものの、その協力を満足にできるとも思えない。

 ただ、それでも自分自身を必要としてくれている人がいる。

 そう思えるだけで、少しだけ上終の表情は回復した。


「いいですよ。自分にできることなら、なんでも言ってください」


 自分に自信が無い、というのはいつものこと。

 しかし、それでも。

 上終という少年は誰かが困っていることを見過ごせない。

 解決の自信はないが、彼は可能な限りで、目の前にいる全員の力になろうと、改めてそう決意を固める。


「それじゃあ、まずはこの国についてね。あ、それとこのセカイについても聞いておかないと」


「分かりました。上手く説明できるか、分かりませんけど……」


 それから数時間。上終は彼らの疑問が完全に解消されるまで、夜通しで説明をしたのだった。

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