第12話 ウリア:Ⅱ


 彼女の出自は不明。

 どこから来たのかも、どこで生まれたのかも。

 彼女の一切合財が謎だった。彼女の操るルーン文字も、彼女の出生の手掛かりにはなりえない。髪の色、言葉遣い、一挙手一投足の仕草。どれもこれもが普遍的で、特徴らしい特徴もない。

 彼女が謎に包まれているのは、彼女自身が何も語らないからでもある。聞いたところではぐらかし、適当に話題を変えて煙に巻く。ありとあらゆる関係を、彼女は構築しないのだ。

 では何故、魔王城にいて、そして四天王として君臨しているのか。

 これに関しては魔王の意志が介在する。

 まだ赤子だったウリアが世界中を放浪していたところを、魔王がスカウトした形だ。

 それから、彼女はずっと魔王の片腕として魔王城を管理している。

 彼女が表立つことはない。

 勇者と呼ばれる、聖剣を持つ人間の前に姿を見せることはなく、そして彼らの邪魔をすることもない。

 ひいては魔王の野望のために、常に尽力を尽くすのだ。

 そこでも彼女は、自分を出す事はない。全て既知の情報だけで、日常を過ごす。

 他の四天王にも、それから魔王にも話さない。

 ウリアという人物は、つまり、ずっと独りだった。


「……どうして一人にするんですかあ」


 そして、神託師ホロホもまた一人だった。彼女はすんすんと鼻をすすりながら、その瞳に涙を浮かべる。

 そこは勇者たちが召喚された場所からは離れた場所だった。彼女も共に召喚された身だが、神託師で戦うというスタイルの都合上、戦地から離れた方がいいということになり、別の仲間にここへと連れられてきていた。

 その後、この場にいた魔物を一掃し、現在に至る。


「勇者様は一目散に突っ込んで行っちゃいますし、リナは私を連れて来た後どこか行っちゃうし……。うう、早く戻ってきてくださいよお」


 今この場には味方の一人もいない。リナという人物の独断専行もあって、彼女はここで素直に待っている。

 もちろん、ここは戦場。何もせずに待っているわけではない。

 ホロホは手に持った白銀色の錫杖の石突で、地面をガリガリと擦っている。それはまるで絵を描いているようで、しかし瓦礫の散乱した床には何も描かれてはいない。

 その姿はまるで落書きに夢中な子どものようだ。

 隙だらけ、とは言ったものの、ここには誰もいない。そもそも彼女自身魔物相手に後れを取るとは考えていなかった。

 彼女が怖いモノは、ただ一つ。

 得体の知れないモノだけ。


「……あれ? もう終わったのかな」


 彼女は幾つかの見えない小さな模様を床になぞり終えて、大きな模様を作り上げた後、ふと暗闇の先に気配を感じた。

 暗がりで全く見えない、が。

 その先に誰かがいるのは感知できる。

 その正体が魔物などではないことも。


「あの、もしかしてリナですか?」


 闇のその先に声を掛けるものの、返答は水を打ったように静寂のみが返される。

 ただししばらくの後、変化はあった。


「リナ、という人物には心当たりはないね」


 暗闇に紛れるように、しかし周囲の色を塗り替えるように、言葉と共に火が灯る。

 それは一瞬。仄かに、木陰に出来た陽だまりのような小さな小さな、そんな灯火。

 ただ、ホロホはその火、ではなく。

 火で浮かび上がった顔つきに視線を向けていた。


「……あなた、誰ですかあ?」


 またも即座に返答は来ない。ただ靴が床を叩く音。その反響が耳に届く。

 やがて、その人物がホロホの視界に入り込む。

 髪の色は深紅。タバコを咥えており、手足はスラリと伸びている。

 妖艶とも、神秘的とも言える雰囲気を纏っている彼女は歩みを止め、ホロホに視線を向けた。


「誰か、とそう問う前に、まずはあんたが名乗るべきではないかな?」


 そう言うと、彼女はゆっくりと紫煙を吐き出した。

 ホロホは彼女のことを見たことが無い。

 そしてここは敵地であることを考えれば、目の前にいる女性が敵か味方かぐらいの判別はつく。

 しかし名も知らぬ人型。

 四天王の一人なのではないか、と。ホロホは適当にそうアタリをつけた上で、彼女の言葉に頷く。



「そう、ですね。私の名前はホロホ、ですう。そう言う貴方は敵、ですよね?」


「敵だと分かっていながら、自己紹介をするとはね」


 赤髪の彼女は肩を揺らし、苦々しく笑って見せた。

 彼女、つまり推定において敵であるその人物との距離は大きく開かれていない。銀天の靴を履いた人間なら即座に詰められる間合いであり、そうでない者と相対していたとしても、既に攻撃の手が届く間合いと言える。

 それでも、ホロホが退かないのは、万全の備えがあるからに他ならない。

 敵であろう彼女と、睨み合うようにホロホは臨戦態勢を維持し続ける。


「……その意気に、私も名乗ろうか。私の名はウリア。これでも四天王の一角を預からせてもらっている」


「やっぱり、四天王だったんですねえ……」


 そうであると、予想はしていたが、しかしウリアという名前には聞き覚えはない。

 潜入していた人間の報告は受けていたが、四天王にその名に該当する人物はいなかった。

 どういうことか、と。ホロホにはそれに関して深く考えている時間はない。


「それで、四天王さんが私に何の用ですかあ?」


「問い掛けるまでもないだろう。私は、あんたが放つチカラを辿ってここまできた。目的は、被害の抑制だよ」


「……私を殺そうって言うんですかあ?」


「いや、そうじゃない。私は人殺しが嫌いでね。私がすることと言えば、ただ一つ」


 指を一つ立てて、そのままホロホの足元を差した。そこには何も無い、ひび割れた床があるだけ。

 何の変哲もない空間のはずだが、ウリアは得意気に静かに笑った。


「神の加護を働かせようと、そんな痕跡が見られてね。悪いがこれ以上魔物の命を失うわけにはいかない」


 そう言うと同時、指し示すその指先に、一つの紋様が浮かび上がる。

 それは二重円の中に、何やら文字が描かれた幾何学模様。赤く発光したその中心から、やがて一筋の光線が飛ばされた。


「……――っ!?」


 ホロホがそれに対しての防御行動をするよりも前に、その光線は彼女が指し示す先、ホロホの足元へと到達する。

 直後。

 ガラスが割れる音が、闇が支配するその空洞に鳴り響いた。


「なっ――!?」


 光線が当てられた床に影響はない。無論、ガラス素材のものがあったわけでもない。

 それは、ホロホの仕掛けていた加護が破られた音だった。


「そんな……、だって……!?」


 有り得ない。

 ホロホは目の前で起きたその現象に理解が追い付かない。

 しかし確かに足元にあった加護の感覚が、欠落したように、一切感じ取れなくなっている。

 打ち消されたと。

 そう解釈せざるを得ない、結果だ。

「悪いが、『外させて』もらったよ。これで神の加護は使えない」

 彼女はその微笑みを崩すことなくそう告げる。

 そんなはずはない。

 神の加護が使えなくなったのなら、ここら一帯に仕掛けている全てがその機能を停止しているはずだ。

 試しに、ホロホは別の足元にある加護を作動させる。

 それはウリアの後方。

 崩れかけた支柱の中心で一瞬、幾何学の模様が閃光を放ち、そしてその直後に、柱は音を立てて爆ぜた。


「……ほらあ。貴方、ウソ吐きですねえ」


 ひとまず、きちんと加護が作動することを確認したホロホは安堵の溜め息を吐く。

 これならば何も問題はない。一瞬、加護を消されたことには驚いたが、それも一つずつしかできないようだ。

 その間に、こちらは新たに加護を加えたり、あるいは直接彼女に加護を施しても良い。

 こちらの優勢は変わらない。


「勝った、と。そんな顔をしているな。敗北の想像すらついていない勝ち誇った表情だ」


 何も問題はない。

 彼女のその発言も、そして余裕を残しているその顔付きも、全てはったりだ。

 そのはずなのに。

 ホロホは、胸を張って構えることができない。

 何か一つのきっかけで、何もかもが覆ってしまうような、そんな不安定で脆い自信だけが圧し掛かる。


「ただ、その確信はただの虚栄でしかないよ。勝ったと、そう思っていなければならない。そうでなけれ

ば負の感情に押し潰されてしまうから、あんたは状況にそぐわない表情を浮かべるんだよ」


「そんなこと、やってみないと分かりませんよねえ……」


「いいや、これは不確定な未来の話なんかじゃないよ。正真正銘の、現実に即した結論なんだ」


「……騙されませんよお?」


「そうか。まあ、好きにするといいさ。私も好きにさせてもらうから」


 ウリアは、そして一歩を踏み出す。

 その領域に踏み込めば爆発するような加護が、そこら中に仕掛けてあるという、その事実が分かっている素振りはあったにもかかわらず、だ。

 仕掛けの位置がバレている。

 あるいは、勘や推測で避けているのか。

 どちらでも構わない。現状、しなければならないことは、接敵の排除。


「……どうしているのか知りませんけどお。これ以上は近づけさせませんからあ」


 彼女に仕掛けが見えているにしろ、そうでないにしろ。ウリアの移動位置を予測して、神の加護を直接叩き込むことはホロホにとってそれほど困難ではない。

 彼女が正直に、配置されている加護の無い道を通るのであればホロホが飛ばす加護に直撃する。それを避けるようであれば、配置済みの加護が起動する。

 これは勝利を約束された戦いなのだ。

 よって、ホロホが負けるはずがない。


「ここで、死んでくださあい!!」


 錫杖をウリアに向けて構え、そのまま加護を飛ばした。

 稲妻が空気を伝染して進み、軌跡を描きながらウリアの心臓を貫く―


「――は?」


 防げるはずがなかった。

 これは障害物でさえも貫通する神秘の雷槍。盾で防御しようが、建物に隠れようが、方向さえ合っていれば確実に命中する加護だ。

 避けられるはずがなかった。

 これは人間が幾ら鍛えたところで届かない速度を持っている高速の一撃。予め回避行動を取っていない限り、外れることはない。

 だから、彼女はそのまま前のめりに倒れて、それで死んでいなくても、床に設置した加護で爆発して息絶えるはずで。

 ただ、ホロホの耳に届いたのは、聞き覚えのあるガラスが砕ける音だった。


「……悪いが、まだ死ねなくてね。戦いを好まない者を、圧倒するのは好きではないんだけど」


 彼女は湛えていた笑みを不敵なものに変えて、ホロホを見据える。

 その瞳は、まるで得体の知れない化け物で。


「ここからは、私の好きにさせてもらう」


「……い、いやあ」


 ホロホが錫杖を床に突く。軽く、そして小石を蹴ったように小さい音が鳴り、同時に仕掛けていた加護が一斉に作動した。

 轟音。

 爆発の規模自体は小さいモノだったが、それが百余りとなれば、相当の衝撃を発する。

 特に、直撃ではないものの、その渦中にいたウリアは無事では済まないだろう。

 爆炎と共に、粉塵が舞い上がり、ホロホの一面を煙の幕が覆う。


「……これで」


 致命傷は与えたはずだ。

 そう思った彼女の鼓膜を、ある音が揺らした。

 それは、爆発音ではない。

 それは、肉体が床に倒れた音でもない。

 間違いなく。

 それは、何者かがこちらに向かって歩いて来る音だった。


「そ、そんなあっ! どうしてえ!?」


 爆煙で姿は確認出来ないが、その音は一歩ずつ確かな足取りで近付いてきている。

 意味が、分からなかった。

 人ならば先ほどの一撃で動けなくなっている。

 ということは、人ではない、ということか。

 ともあれ、そんなことはどうだって良かった。

 ホロホの手に、嫌な汗が滲み始める。


「き、消えてえ! いなくなってよお!」


 加護を飛ばす。

 数発、数十発。紋様が宙に浮かび上がっては消え、刹那で再び発現する。それら全てが、必殺の一撃。

 敵の姿を視認はできないが、音の鳴る方向へと連続して打ち込めば、いずれは当たる。

 ただ、そのいずれが、何よりもどかしい。

 早く、当たれと、彼女はそう願う。

 早く、倒れろと、ホロホは逸る。

 しかし、一向に音は止まない。床を叩く音と、そしてガラスが割れる音、ただそれだけが高くこだましている。

 ホロホの心臓は、否応なく跳ねる。

 視界外からの存在の強調は心臓に圧を与え、近づいて来るという焦りがさらに意識を混乱させる。


「……いや」


 やがて、煙の中から敵は姿を現した。

 彼女の身には傷一つない。

 その事実が、ホロホの胸を苦しめる。


「どうした、もうお終いか?」


 本当はもっと、足掻こうと思えば足掻くことができた。

 加護を飛ばすこともできたし、もっと言ってしまえば逃げることだってできた。

 しかし、それももう遅い。

 ホロホの身体は既に、ホロホ自身で制御できなくなってしまっている。

 今までに体験したことのない、格上と呼べる存在の脅威にさらされて、思考が上手く働かない。


「た、助けてえ……」


 そう、膝をついて、請うことしかホロホにはできなかった。


「……悪いが、あんたを助ける暇は、今はないんだ」


 例えばウリアが手を伸ばそうが、さらに近付こうとしようが、全て無駄に終わる。

 何よりも、恐怖心という感情に支配されている人間は、その思考力を極限にまで落として、最悪を考えないようにするのだ。

 よって、実際にウリアがその手を額に添えても、彼女は抵抗もできない。ただ受け入れるだけだ

 そのことに、ウリアは眉をひそめる。


「すまない」


 たったそれだけの言葉。

 敵が発したその意味を図りかねるも。

 未知のモノへの恐怖は尚も拭えないままに、ホロホはそこで意識を失った。

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