第11話 スフィア:Ⅱ
彼女の才能はそのセカイの最大国家において、一目置かれていた。元から神の加護を受けていたというのもその理由の一端ではあったものの、何よりも鍛えれば鍛えるほど浮き彫りになるその戦闘センスこそが評価されていた。
訓練学校の時代から匹敵する者は誰一人として現れず、訓練カリキュラムを全てこなし、飛び級で騎士として任命された実績まで持つ彼女が、近衛騎士に入隊した後すぐに戦果を挙げることとなったのは当然のことだと言えた。
史上最年少での近衛騎士入りは、瞬く間に国家全土に渡り、その功績が瞬く間に国の英雄だと持て囃す。国内は当然、周辺諸国にもその栄誉を轟かせていた。
若干十歳。
これから数多くの明るい未来が彼女を待っていることだろう。彼女の人生は誰の目から見ても成功者のそれだと、そう確約されている。
王族貴族からも民からも信頼の厚かったそんな一人の少女は、しかしある日突然姿を消した。
スーデルフィア=ナイトレイ。
王国内随一の兵士は戦士でも病死でもなく、行方不明となり歴史から退場することとなったのだ。
「さて、姫の安全は確保されたので、ここへと来てみマシたが……」
スフィアはその場に流れる空気を一瞥し、そして閉口する。そこは最も戦禍の激しかった場所。魔物に化けていた勇者の仲間が兵を呼び出した場所だ。
名だたる実力者は随分とここから後方で召喚されたようだったが、彼が呼んだ雑兵の大半はこの場に呼び出されていた。疲弊し切った魔物が最も多くいたであろうこの空間に。
現在、ここには生きるモノはいない。魔物も人間も、横たわっているのは屍体ばかりだ。天蓋を支える石柱は見事に砕かれて、床には無数の穴が穿たれている。未だに戦塵が燻っているのは、この場での争いが終わってからまだ時間がそれほど経過していないからだろう。
色濃く、血の臭いが染み付いている。
鉄臭く、そして肉が腐ったような、鼻をつく刺激臭がスフィアの不快を加速させる。
「……誰もいマセんか。戦場は別の場所に移ったんデスかね?」
魔物と人間。そのどちらが優勢だったのかは不明だが、恐らく人間たちによる蹂躙があったのではないだろうか、と。スフィアはそう推測する。
既に終わった戦地。襲撃前に姫とアクエル、そしてテラと歓談していた彼女が、ここへと戻って来たのには理由があった。
「これじゃあ人間の死体なのか魔物の死体なのか、判別もつきマセんね」
無秩序に築き上げられた屍体の山を眺め、嘆息を吐く。
引き金探し。あるいは元凶の抹殺とも言い換えられる。つまり、魔物の一体に化けていた密偵を彼女は探していた。
「……マアいつまでもこんなところにいるはずもありませんよね。他をあたりマスか」
よもや屍体の山を探すわけにもいかない。
スフィアはそれを視界から外し、その一帯から立ち去ろうと踵を返す。
別の場所ではまだ戦いが続いている。スフィアには魔王軍全体を束ねる長としての責務があり、これ以上無駄な命を散らさせまいとする強い意志があった。
だからこそ、自然とその足に力が入る。広がる戦禍を食い止めるべく、彼女は駆け出そうとした。
「……イヤ、」
直前、彼女は素早く振り返る。
それは意識しての行動ではない。
直感、流れる風の乱れ。彼女が培ってきた戦士としての経験と不意打ちへの対策としての備えが、背後から接敵していたそれを捉えた。
「……なっ!?」
「人を隠すなら死体の中、デスか。中々良い作戦だとは思いマスが、残念デシたね。ボクにはそれは効きマセんよ」
驚きに見開かれた襲撃者の双眸。それを意に介すこともせず、スフィアはその奇襲を剣でいなして躱す。
甲高い金属音が鳴り響いた。襲撃者の武器は弾き飛ばされ、無様にもその人物は同様に血に汚れた床を転がる。
見覚えのある人物だ。襲撃のその直前、あの時。姿形は一瞬でしか捉えられなかったものの、魔物の顔が溶けて人間の顔が出て来た光景は衝撃的だった。
勇者をこの城に呼び込んだ張本人。小柄な密偵を、彼女は睨む。
「見つけマシたよ、諸悪の根源。よくも魔物たちをやってくれマシたね」
自分自身の身長ほどのある刀身を持つ剣、それを構えて。
スフィアは怯えた表情を見せる少年へと歩み寄った。
「な、なんで……?」
「気が付いたか、デスか? マアぶっちゃけると、あのままあなたが隠れていれば、ボクは気が付きマセんでした。気が付いたのは単純に、ボクが異常に対して反応できるほどの実力があったからデショう」
適当に肩を竦めて疑問に答えるものの、目の前で震えている少年からは良い反応が返ってこない。
これからやってくるであろう死を忌避し、今の状況に対する絶望と後悔、そんなものを塗りたくったようなそんな顔をしている。
まるで年端のいかない子どもを相手取っているようで、少しだけ気分が乗らない。
あくまでも、少しだけだったが。
「とりあえず、死んでもらいマショうかね」
携えた剣を彼の首元へと宛がう。その刃が首の皮に食い込み、鮮血を滲ませたところで少年は吼えた。
「ま、待ってくれ! 僕を殺したら後悔することになるぞ!」
「はあ、命乞いをするのならもっとマシなことを言ってもらいたいものデスね」
「いや、ほんと! 話を聞いてくれ!」
必死にそう叫ぶ彼の話を聞く義理はない。それにこのやり取りをしている今も魔物はやられているかも
しれないのだ。本来ならば目の前にいる人物の発言など一蹴して然るべきなのだが。
「……話してみてクダさい。それで、あなたが助かるとは言えマセんけど」
時間は無い、が。現状において、拷問の手間なく情報を貰えるというのであれば、それもそれで価値がある。どの道、彼にはもう今のこの状況をひっくり返すことはできないのだ。
ならばここは彼の思惑に乗ってやろう。スフィアはさして期待も込めずに、少年へと会話を促す。
「こ、ここに来た方法は、あんたらも見たよね? 僕が死ねばここに召喚した勇者たちは帰れなくなる!」
「は、だからどうしたって言うんデス?」
「勇者たちはここへは姫の奪還で来ているんだ! 当然、殺戮が目的じゃない! 奪還さえ果たせれば後は国へと戻るだけ、被害は広がらないだろ? ただ、僕を殺せばそれが叶わない」
「ナルホド、スムーズに帰れる手段を失った勇者たちは、その勢いのまま魔王軍の討伐を目論むかもしれない、ということデスか」
それはない話ではない。
これは姫を助ける為の侵攻。当然彼らは姫のことを一刻も早く助けたいからこそ、集った者たちではあるのかもしれないが、それでも人は人、命は命。勝ちの目があるからこそ、襲撃をしたとも言える。
そして、その勝ちの手段が消えた人間がすることは、泣き寝入りか。
はたまた自暴自棄か。
どちらにしても、勇者が命を投げ打つ覚悟で姫を逃がそうとする、その可能性は捨てきれない。
そうなるとこの戦いは無駄なものとなる。勝者など存在せず、残るのは姫と戦いに散った骸のみ、となる結果だってあり得るのだ。
ここは懸念材料を減らすべく、彼を殺さないべきだろう、と。
きっとスフィアは判断していただろう。
もし、それが。
勇者と相対する前だったのならば。
「マア、だからどうしたって話デスけどね」
「は?」
一瞬。
宛がう剣がほんの僅かにスライドした、ただそれだけの所作は、まさしく瞬き一つの時間しか掛からない。
たったそれだけでいいのだ。
その程度の動きだけで、人は簡単に死ぬのだから。
「――っ!?」
栓を切ったように、それの首元から血が噴き出る。温かく、心地良い赤い雨。ぐちゅり、という肉が床に叩きつけられる音が不快だが、もうイヤというほど聴き慣れてしまった。
崩れ落ちる身体も、光が消える瞳も。飽きるほどに見てきた光景だ。
もう、彼の声を聞くことはないだろう。聞こうと思っても聞けない、と言った方が正しいのかもしれないが。
「……これで」
元凶は絶った。彼の言うことが本当ならば、これで勇者軍は帰城できなくなったはずだ。
スフィアはその命が完全に潰えたことを確認し終えると、剣を鞘に戻そうとした―
「……っ!?」
突如、風が乱れた。しばらく穏やかに流れていたそれは、河川につい立を差し込んだかのような、そんな違和感を挟むように風が狂い始めている。
――つまり。
「くっ―!!」
何となく、前方へと転がるように移動する。それは咄嗟の行動。横でも後ろでもなく、数ある選択肢の中からそれを選んだのは、偶然だと言えた。
そして、響く風切り音。
スフィアは態勢を立て直しながら、振り返る。
「……オマエは」
その姿は黒い衣装に身を包んでいて、まるで枯れ木の影のように細長い。色味らしい色味と言えば、フードから僅かに覗く肌色とそして足元に輝く銀色のみ。
スフィアは、その白銀に輝く靴に、覚えがあった。
直接見たわけではなく、あくまでも魔物からの報告で、だが。
「あら、エサを使えば簡単に殺れると思ったのだけれど、さすが四天王ね~」
その声は女性のものだった。高すぎず、しかし低すぎないそんな妙齢の女性の声音。
「誰ですか、オマエ」
身動きはせず、ただし警戒心は強める。
風の纏いが無ければ気配を察知出来ずに死んでいた。冷静な分析などせずとも、その回答は簡単に導き出せる。
得物は彼女が手に持っている漆黒の短剣だろう。光さえ反射させていない、闇そのものの刃。この暗闇と同化しているせいで、その正確な刀身は不明だが、流れる風の動きで大体の間合いは分かる。
身動ぎ一つせず、ただ視線だけで観察していると、彼女は微笑むように笑った。
「あら、それを私が素直に話すと思うのかしら」
「思いマセんね」
「お喋りは好きなのだけれど、今は非常時。遊んであげる暇はないわ」
「――消えた……?」
その動きを視線で追うことができなかった。気が付けば姿を消していて、残っていたのは闇のみ。
この場から去ってくれていたのなら、話は早いのだが、恐らくそうではないだろう。
スフィアは胸に残る違和感を頼りに、神経を集中させる。
「そこ、デスっ」
スフィアが闇を掃うように剣を振るうと、固いモノが触れ合う、独特な冷たい音色が火花を散らした。闇の中、僅かにその人物の顔が照らされる。
「……一度ならず、二度までも。偶然や勘の類ではないということね~? どういう理屈なのかしら?」
「それをボクが素直に話すとデモ?」
「思わないわね」
彼女の能力はその気配を消すモノだろう。仮に違っていても、大きくは外れていないはずだ。ならば、それに対応する行動は受けではなく攻め。
姿を消す暇すら、与えなくしてしまえばいい。
「っ――!!」
スフィアは素早く、空いた間合いを詰めて斬り掛かる。一撃目はその短剣で防がれる。ただ、二撃目。さらに深く踏み込み、先ほどよりも早く、最小の動きで、最短の攻撃で。
その剣は彼女の左肩を貫いた。
「ぐ……っ」
傷は浅い。続けて手を加えようとさらに一歩踏み込む。だが、それは叶わない。
「貴方、強いわね~……。勇者よりもよっぽど」
一歩、退いただけ。彼女はたったそれだけの行動をした。
それだけの挙動で、飛距離にして数十歩分もの距離を跳躍して見せた。
「それも、銀天の能力デスか」
「ふふ……、まあそういうことね。実はまだ慣れてない部分もあるのだけれど、これだけ離れればひとまず、ここから退くのには十分よね」
「……させると思ってるんデスか?」
「追い付けるとは思っていないわ、仮に追い付けたら、褒めてあげる」
それ以上、彼女と会話を交わすことはなかった。元々闇を纏ったような衣装をしていたのだ。
彼女の能力も相まって、その行く先を視認することは非常に困難を極める。
「……デモ」
だからといって探さないわけにはいかない。恐らく自分ではなく、彼女のチカラで勝てる相手の元へと向かったのだろう。
戦局は常に動き続ける。
活動する者のいなくなったこの場に留まる理由はない。
スフィアはすぐさまに思考を切り替え、未だに号砲鳴り響く戦場へと、駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます