第10話 テラ:Ⅱ
テラの出身はこの国ではなかった。言ってしまえば、四天王の誰一人としてこの大陸の出身ではなく、また魔族でもなかったが、テラは他の四天王とは違い純粋な人間とも呼べない存在だった。
ヒビト。シンラの出生である彼は他国他里からはそう称されていた。
生きる姿はまるで人、しかし彼らの潜在能力は人の力を超える。知識習得においても、不利な戦闘においても。彼らヒビトは人の先を行っている。
そんな彼らヒビトを受け入れないわけがない。軍事面、学術面において、国へと貢献してくれる存在となるのだから。
あるいはその言葉は、利用という言葉にも置き換えられるわけだが。
しかし彼らを恐れる人間もいる。人よりも秀でている彼らは利用され、畏怖の対象ともなっていた。
だから、というわけではないが。
シンラ一族は森奥のさらにその秘境にのみ生きることを許されている。
外交はあった。ただしそれ以上はない。友好的な関係も好戦的な関係もなく、ひたすらに他者との関係は隔絶されている。
それは、テラが幼少だった頃から変わらない。
ただ一国の姫である、エイラとは環境は違う。無知の強要をされることはなく、彼女とは異なり自由に世界を見て回ることができるのだ。
「なんだ。存外、他の兵は弱いものだの。まああまり善戦されても、それはそれで困るのだが」
呆れ半分、驚き半分。つまらなさそうな声を振り撒いて、その老翁は悠長に広間を歩く。
テラは世界各国を見て回った。シンラの一族に与えられた使命や役割を全て放り出して、このセカイの随所に赴いた。
求めたのは知識。
学んだのは実戦。
人よりも賢しく、軍隊よりも強固なテラは誰にも負けることもなく、そうして年を重ねていった。
「さて、残りはお前さん一人だけだの。雑兵が減らせて助かったわ」
よって、幾ら鋭利な武器を手にしたところで、全てを防ぐ完璧な防具を身に着けたところで、それで彼に敵う者はいない。
連れてくるのであれば、武器防具に頼らない肉体を持つ者か、あるいは強靭な精神を持つ者。それを持たない者は彼の前で闘いをすることさえできない。
つまり、今テラの目の前で拳を構える一人の少女は、そのどちらかを有していることになる。あるいはその両方か。
彼女は震える声をどうにか隠そうとするように、深呼吸を繰り返し、平生を装いながら口を開く。
「……何をしたの?」
「御覧の通り、眠っておるだろう? 安心せい。この隙を狙って命を取ろうとは思っとらんからの」
テラの言葉が差す先には横たわった兵士の姿が数多く見られる。全員が全員、美麗な装備に身を包み、しかし無垢な子どものように無防備に眠り伏していた。
眠る、というのは異常行為だ。
生きとし生けるもの、この世に生を受けた存在であるならば、睡眠は必要不可欠であり、唯一許される安寧なわけだが、ことこの状況において、その平穏行為は異常と言える。
よってこれはテラ本人がやったこと。
敵の攻撃だと考えるのが普通だ。
それが分かっているから、少女も常に彼を視界から外さない。獲物を狙う肉食動物、もしくは草食動物が天敵を威嚇するように、臨戦態勢のまま対話に応じる。
「戦う気が無いのなら、退いてもらえる? わざわざ体力を消耗させたくないのよ」
「いや、そういうわけにもいかんだろう。何せワシとお前さんは敵同士。出会ってしまえば、諍いは免れん。攻めてきたお前さんらが矛を収めない限りはな」
「収めるわけないでしょ」
「そうだろう。だから、ワシも退けんというわけだ。お前さんにも事情があるだろうが、こう見えてワシも幹部の一端を任されておる身でな。仕事は仕事、使命は使命。すまんが無力化させてもらうぞ」
テラが足に力を籠め、そして腰を低く落とす。
テラと少女との距離は物を投げても届くか届かないかほどに開いている。歩けば数十秒以上掛かるかどうかというその距離は、しかし刹那で埋められた。
テラが床を蹴った、と。そう認識した直後には、その老体は少女の目前で拳を握っている。
並の人間、それこそ今横たわっている兵士ならば反応できない速度。後はテラに一撃を入れられるだけ。
それも、この少女が普通であればの話だが。
「甘く……っ、見ないでよ!」
ソプラノの声に混じった金属音。テラの拳は彼女の籠手に弾かれ、次いで右拳を構える。
少女が狙うは顔面。前のめりに突進してきて、あまつさえその身体は攻撃を防いだことで曝け出されている。
四天王を討つ絶好の機会と言えた。少女は躊躇なく、テラの顔に目掛けて鋭い正拳突きを放つ。
手ごたえはあった。掠れたり、避けられることもなく、テラの身体は一撃を受けた衝撃で後方へと吹き飛ばされていく。
ただ、これだけで終わるとも少女は思えない。
彼は老人とは言え四天王が一人。あれで沈んだのならば呆気なさすぎる。
少女は膝を折り曲げ、跳躍。そのまま宙を返し、天井へと足を着いた後、吹き飛ばされているテラに向かって砲弾のように飛び出した。
そのまま拳を構え、テラの身体へと着弾。同時に、思い切りその手を振り抜いた。
衝撃、爆音。
まるで枯葉が舞うように床に敷き詰められた煉瓦は砕け、湖に石を落としたような波紋が空間一体に広がった。
巻き上げられる砂埃に、少女はテラの姿を見失うも、彼がそこにいないことは、既に拳から伝わる手応えから分かっていた。
クレーター状に割れた床。その中心で腕を地面に突き刺す少女は改めて態勢を立て直す。
「中々鋭い殴打だ。避けていなければ危なかったかもしれん」
少女の敵はクレーターの際にいた。落ち着いた瞳で、テラは彼女を見下ろしている。
「お前……、どうやって?」
「簡単なことだろう。床に手をついてお前さんの落下地点から離れた。それだけのことだの」
「そう……、やっぱりお前も化物というわけね」
「いや、割と簡単なことだと思うのだが……。それよりもお前さんの方が余程人間離れしておるように思えるがの」
テラとしてもただの人間があれほどの動きをできると思えなかった。
実際、初撃を受け止めてみても、やはりその力は人知を超えており、簡単に吹き飛ばされてしまった。
つくづく、勇者の一軍は人からかけ離れていると思い知らされる。
「いや、お前の方がやっぱりどう考えても化物でしょ。地面を砕く一撃を顔面に受けといて、無傷って……」
「そりゃあ、鍛え方だろうの。修練を積めば積むほどに、肉体は鋼へと近づいていくと言うしの」
「……だからか」
彼女はその拳を握り締める。
輝くのは純白に純銀を加えたような輝きを保つ籠手。テラはそれが何かを知っている。
知っているからこそ、勇者一行の厄介さに参ってしまうのだ。
「それで、どうする。このまま続けても無駄だとは思うが」
「でも、まだ勝った負けたの試合にはなっていないでしょ? なら、私がすることはただ一つよ」
そう言って、彼女は白銀の籠手を構えて、重心を低く落とす。
どうやらまだ仕掛けてくるつもりらしい。
テラが呆れと感心を含んだ溜め息を吐いたその直後、彼女の姿が消えていた。
「――っ!」
響くのはまたも金属音。一瞬にして距離を詰めた少女の拳を、テラが最小の動作で弾いた音だった。
接敵。
彼女は文字通り、目と鼻の先にいる。
テラは空いた左手を動かすべく、力を入れた。
「ちっ――」
しかし、その左手が行動を起こす前に、少女はその身を後退させる。
距離にして十歩と少し分ほど。手も足も届かない間合いに、少女は身軽に着地した。
「ほう?」
「意外だって、そんな顔をしてるわね。ちょっと甘く見過ぎじゃないかしら」
そして、またも接近。テラへと拳が三発叩き込まれる。
テラもそれを右手だけでいなし、再び左手を構えるも、少女の身は既にその後方。反撃の隙が与えられない。
「いや、攻撃する度に距離を置くとは……、ワシのことを買い被りすぎではないか。もちろん、その警戒心も大事だが」
「時間はかかるけど、これが確実にお前を仕留める方法よ、四天王テラ。お前を倒して、先に行く」
「先に行く? 悪いがそれは無理だの」
「なに?」
テラは左手のそれを確かめる。感触はほとんど感じられないが、手を開いて確認するわけにもいかない。
それは彼女を無力化できる、唯一の方法だろうから。
「ワシがここにいる理由はお前さんらを止めること。そして、元の国に帰ってもらうことだ。倒されてしまえば、それが成し遂げられないだろう」
「何をペラペラと――っ」
突風が吹き荒れる。その肌で風を感じた頃には、既に彼女は後方へ回避動作に移っており、相も変わらず隙を見せない。
このままでは埒が明かない。彼女が時間を掛けるというのであれば、それに乗ってもいいのだが、現在は非常時。他の場所の様子も気になる。
「お前さんではワシは止められんと言っているのだ。お前さんのようなヒヨッコに膝を付けられるほど、耄碌もしておらん」
「私の力を認めないっていうの?」
拳の連打が腕に刺さる。当然テラも受け流しはしているが、何も無敵というわけではない。
少しずつ、しかし確実にダメージは蓄積されている。
「認める認めないではない。事実として、ワシとお前さんには越えられない壁がある」
「減らず口を……っ」
攻撃を受ける度に、少女の怒りが増していると感じる。その瞳、その表情、その所作。
感情が揺れ動けば、それら彼女の象徴はいとも容易く乱れ狂う。
「勇者も大変だの。こんな身の程知らずを戦力として加えないといけないとは。……いや、これも勇者の力量かの。どうしようもなく、くだらない」
「……っ! 勇者をバカにするな!」
蹴り上げられた少女の足が、そのクレーターをさらに深く凹ませる。力加減は曖昧に、速度はそれまで以上に。
視線は比べものにならないほど、殺気に満ちている。
その昂ぶりは、限界の引き上げに一役買うことだろう。
彼女の持つ能力も純粋な力も何もかも、怒りという感情をエサとしてさらなる成長を遂げる。
力比べならば、あるいはそれで良かったのかもしれない。速度比べならば、先ほどよりも確実に成長していることだろう。若いながらも歴戦を潜り抜けたテラに追いつかんとするその少女は、恐らくまだまだ伸びしろがあるはずだ。
ただ、これは闘いではない。
勝つか、負けるか。それだけならば話は簡単なのだが、この状況に至ってはそれも要因の一部でしかないのだ。
勝たなくてもよい。
負けなくてもよい。
ただ目的を遂行さえすれば、それでいいのだから。
「――だからお前さんは、ヒヨッコだと言うのだ」
「……なっ!?」
彼女は同様に連撃を繰り出してきた。それはこれまでとは違う攻撃。
一撃一撃が重く、そして速い。戦闘において、その変化は脅威だと言えた。
ただ、それでは駄目なのだ。怒りという単純成長剤を用いれば、綻びが生じる。
つまり、彼女はその左手に気が付かなかった。
テラが少女に向けて放ったのは、青色の粉末だった。
「ぐっ……!? これは――」
それに直接の殺傷能力はない。吸い込めば体内を破壊する疫病でも、肉体を溶かす成分を含んているわけでもない。
これは、植物の花粉を調合したものだ。人に無害で、自然に無害なものとして、テラが作り上げたもの。
その効力は、睡眠成分の増長。
それを直接吸い込んだ彼女が抗えるはずもなく。
瞼を重く、しかしその瞳には鋭さを湛えたままに。
そしてやがて、気絶するようにその場に倒れ伏した。
「……やれやれ」
ようやく終わった。できるだけ誰も傷つけずに、戦闘を終了させる。それだけを意識して、テラは立ち回っていた。
「……他はどうなっておるのかの」
これは戦ではない、とはいうものの。
彼ら彼女らが魔王軍を殲滅しようとしていることには変わりない。
果たして、この戦いの結末はどう転ぶだろうか。
それはどれだけ戦歴を積み上げた老人であっても、分からない。
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