第5話 テラ


 時に魔王城には庭がある。

 それはアクエルと魔王、二人と見た噴水がある中庭のような場所ではなく、草木がきちんと整えられており、文字通り草花が躍る場所だった。

 敷地はそれなりに広大で、農耕地が三分の一、ちょっとした温室が三分の一、そして美しく咲き乱れる花々が敷かれている面積が三分の一。魔王城を取り囲むように、それらは育まれている。

 もちろん、普通の草花はある。それは薔薇であったり、蓮であったり、林檎であったり。比較的、表面上にはそれら普通の植物が植えられている。

 ただし、奥は違う。奥に入れば入るほど、景色は魔窟の様相に移り変わる。

 話す花がいたり、無機物でさえも腐らせる草がいたり、鬼のような形相の樹がいたり。それらもまた魔物。勇者を倒すための、魔王の配下。


 と、その辺りの魔物はさておいて。


「テラ、何やってるの?」


 日課、というほど通っているわけではないが、暇になるといつもここにいる。花を見ることが好きと言えばそれは聞こえがいい言葉で、実際姫は、育てられている花見たさに訪れていた。

 ただし、綺麗だからとか。美しいからだとか。可愛いからだとか。儚いからだとか。

 そういった理由、そのような年頃の乙女が抱くような感情からではない。

 単純に興味。純粋な欲求。

 ここを訪れるのは、初めてではないにしろ、何時も初めてのような感覚に襲われる。それは生物として日々成長しているからかもしれない。少しずつだが、変化が見れるからかもしれない。

 だから姫は、ここが気に入っていた。


「姫か。今はな、葉の剪定をしておったところだ。庭師はいるのだが、どうにも自分でやりたくての。姫こそどうしてここに?」


「何となく。暇だから、かな。ここは見ていて飽きないのよ」


「そうか。まあゆっくり見ていくといい。お前さんの世界には無かったもので、溢れかえっておるだろうからの」


 テラはそう言うと作業に戻った。

 老練。

 彼を一言で表すとするのなら、それが最も相応しいだろう。顔には目立つ傷一つと深く刻まれた幾つもの皺。頭髪はすっかり白く染まっており、髭もまた同様だった。

 それでも、彼からはまるで老いを感じさせない。老いというものそれ自体が、元から無かったかのような、言ってしまえば若さがその一挙一動から見て取れる。

 ただの若者にあらず。しかし枯れ果てた爺と判断するには早計。

 テラが放つ雰囲気や言葉、そうして今も観測出来るその動き。それら所作はやはり四天王が一人。隙もなく、ブレもない。

 姫はしばらくの間、ただその光景を、伸びすぎた葉を整える作業を見続けていた。


「……姫、他は見ないのか?」


 作業の手を止め、テラがそう尋ねる。

 言っている意味は分かるが、何故それを尋ねたのか疑問だ。姫は首を傾げて見せる。


「いや、だからな。他にも見るところは多くあるだろう。何故ワシの作業姿を見ているのだ?」


「そうね……、単純に興味があるから、かな。それも、剪定って言うんだっけ? 初めて見るし。大体この庭の物は見尽くしちゃったから」


「そうか。なら見ても大して得るものも無いこんな剪定作業よりももっと面白いもの、知的好奇心を刺激する話をしてやろう」


 頭に巻いていた布を首に掛け、テラが歩み寄ってくる。その仕草、そこまでの行動にはやはり無駄な動きは一切無い。

 年を取れば自然とそうなっていくのだろうか。洗練、と言えばいいのか分からないが、何もかもが効率的な動き。その足腰、手腕、首に頭。全てに動きはあるものの、その隙を突くことは出来ないだろう。

 けれど決して緊張しているわけでも、神経を張っているわけでもない。

 大樹のように。

 そこにあることが当たり前のように、自然。飽く迄も力を注いではおらず、ただそれを自分自身の型として、昇華している。年齢のわりには、年を感じさせないのは、やはりそこが要なのかもしれない。


「ねえテラ。テラって何歳なの?」


「ん? ワシは百……、まあ大体それぐらいだろうかの」


「え……、ひゃ、百?」


「そうだな。実際はそれ以上だが、まあ詳しい年齢は覚えておらん。百余りと言って過言は無いだろうな」


 高齢だとは思っていたが、そこまでとは思っていなかった。精々が五十、六十というところだろう。見た目もそれぐらいだ。一体どういった体の構造をしているのだろうか。それとも、これもまた知識不足によるものなのだろうか。

 そんな疑問に応えるように、テラは続けた。


「ワシはシンラ出身だからの。年齢による衰えが無いというのも当然だ」


「シンラ……? それって、何?」


「知らないのも無理はないかの。ある国。遠い、ここより遥かに場所を離れた国、その中でも誰も触れない未開の地。その地に少数で暮らしておるのがワシらなのだ。本来ならば、人等の目に付かぬような場所で生活せねばならんのだが、これはまあ成り行きかの」


 言葉とは裏腹に、満更でもなさそうにそう語る。

 つまりテラはこの国とは違う、別の国の人間ということなのだろう。人間とはまた別種、というわけではないが、何となく姫自身とは違うような気がしないでもない。そもそもが姫自身、外交に顔を出すわけではない。接触する人間と言えば、国の人間のみ。違うと言われれば信じざるを得ないし、真実だと告げられれば簡単に飲み込む。

 恐らく、この魔王城にいる人物。魔物以外の全員がこの大陸出身ではないのだろう。


「ふむ、シンラが何か、という話だったの。何と言えばいいのかは分からないが、まあシンラというのはヒビトと例えれば良いだろうかの。それが一番分かりやすい気もするが」


「ヒビト……?」


「人間に非ず。ワシらの里がある国では一族がそう呼ばれていての。気にする奴もいなかったようでの、無論ワシも気にしていない。事実、ワシらにはそこらの人間とは違う、人以上の力を有していたからの。当然の帰結であり反応だったのだろうよ」


 そういうものなのだろうか。例えば、教育係からこんな言葉を聞いたことがある。

 曰く、人は異常を迫害する。

 曰く、人は安心を追及する。

 その国がどういう状態なのかは知らないが、そうしてそこの民も平静を保ってきたのだろう。他者を傷つけることで、自分のことを。

 自分だけを守って。


「なに暗い顔しとるんだ。ワシの話だろう? 姫には関係無い。全くもって意味など無い話題だろうが。姫がどうこう考えることではないぞ」


「そう、じゃない。テラだけの問題じゃあ……」


「同族の心配までしてくれるのか? やはり姫は、優しすぎるのう。しばらく、そういう感情には触れてこなかったから少し温かくなってしまうわい。みっともない話だがの」


 テラは困ったように笑って見せた。

 今まで只者ではないと思っていた。それまで隙一つ見せない人間だと思っていた。

けれど今見れば。改めて姫がその姿を捉えた時には。

 彼はただの老人に見えた。


「ふむ、話が脱線したか。シンラについてだったかの? いやいやそれよりもな。面白い話があっての。と言ってもこれは一般常識レベルの話、姫がつまらない人生を送っていたからこそ、ひけらかすことが出来る話だ」


 話は別の方へと向けられた。

 ただそこに強がりや逃げは見られない。そもそもが、テラがそんな優しさを見せたことが一瞬だった。というより気のせいかもしれない。勘違いという線も捨てきれない。姫が見間違えただけ、テラはやはり孤高であるのかもしれない。

 結局その答えは曖昧で。

 姫はテラの話を聞くことにする。それしか出来なかった。


「この世界、オロガリムにある大陸についてだ」


「あっ、私知ってるわ! 確か五つあるのよね」


「ご名答。これぐらいは知っていたか。まともな教育というものは施されていないと聞いていたんだがの」


「まあ確かにまともじゃなかったけどね……。さすがにこの世界を構成するものぐらいは教えてもらったわ。実際に見たことは無いけどね」


 教育係は姫が元いた国の他に、魔王が住む国、つまりこの魔王城があるということ。そして話題に上がっている世界の広さについて語ってくれた。

 世界には五つの大陸がある。その内一つが今いる場所。姫が暮らしていた国と今現在暮らしている国の二つで形成されている閉ざされた大陸。

 ユーム大陸。五つある中で最も小さい大陸だ。


「なら、他に色々と知っているだろう。ここユーム大陸だけでなく他の大陸のことも」


「あ、実は、ね。それだけしか教えてもらってないのよ……」


 教育係が教えてくれたことはたったのそれだけ。ここがユーム大陸であるということだけ。そこで話はパッタリと途切れ、別の話題が繰り広げられてしまったので深くも突っ込めないまま、現在に至っていた。


「やはりまともな教育では無かったな……、ふむ。ならば他の大陸についても教えておこうか。まずは最も有名で雄大な大陸、ランティスタ大陸。それとほぼ大きさを同じとするファイクピック大陸。気候が常にマイナスであるアキナラガム大陸。豊かな動植物が混在しているルミエーラ大陸。そしてワシらがいるユーム大陸だの。と、まあこの五つが世界を形成している。どうだ?」


「いや、どうだって言われても……。正直覚えられないというか、よく分からないというか」


「実際に行ってみた方が早いのだがの。如何せんワシらはここから離れるわけにもいかない。かと言って姫一人を旅に出すわけにもいかない。姫が本当の意味で実物を知るのはまだ当分先だろうの」


 四天王と魔王。彼らがここにいる理由を姫は知らない。単純に居住地として活用しているだけなのか。それともまた別の目的があるのか。誰からも聞かされていないし、姫自身聞こうとも思っていなかった。

 それは多分、そこまで重要なことではない。今必死に知ろうとしなくてもいいものだ。

 気にならないと言えば、それは嘘。目的も意味も理由もはっきりしないのに、ここにいる意志だけは明確だ。モヤモヤとした霧のような気持ちは、どうしても消えない。

 それでも、やはりここでは知らなくても構わないと思える。

 今が楽しいのだから、それで姫は満足だった。


「私は、いつかはここから出られるのかしら」


「出たいか?」


「…………」


 少し、考えてしまう。

 ここでの生活は、確かに楽しい。魔物も怖くないし、四天王は全員優しい。付け加えて言えば魔王もいる。ここだけでも、十分に。これだけでも、確実に。それまで姫が見てきたセカイを凌駕している。

 寂しくもないし、一人でもない。

 けれど、ここを離れたいかと問われれば、それもまた肯定出来てしまう。

 世界は広いと教えられた。セカイは膨らむと教わった。まだまだ知らないことが、この世界には多い。

 姫は、どちらとも答えを出せない。


「出たくなったら言えばいい。恐らく、魔王が何処ぞへと連れて行ってくれるだろうからの。あまり長期は望めないと思うが。いずれにせよ今出すべき答えではない。姫にはもっと、やらねばならないことがあるのだろう?」


「やらねば、ならないこと?」


「あまりにも姫は無知だ。それではいつ何時恥を晒すことになるのか分かったものではない。この世界で通用する一般常識を叩きこんでやろう」


「あ、いや別にそんな興味があるってわけじゃなくて、ね?」


 世界について、何も知らない。もっと知りたいとは思うが、無理矢理だと頭に入ってこない。

 そう弁明して逃げているのに。

 テラの講釈は日が暮れるまで止まらなかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 一体どうしているのだろう。

 泣き暮れているか、それとも助けを請うているだろうか。恐ろしい魔王に連れ去られたのだから、その反応を見せるのは当然だろう。

 それが心配でたまらない。

 彼女が遠く離れてしまった今、何も手に付かなくなっていた。心中にぽっかりと穴が開いてしまったかのような。大事なものを失ってしまったような。

 それほどまでに、彼女という存在が自分の中で大きく占められているのだということを、痛感してしまう。


「準備が出来たみたいだよ」


「ああ、すぐ行くと伝えてくれ」


 だが、それも。その感情ももうすぐに消える。

 終わる、いや終わらせに向かうのだ。古くから続く因縁を。この事件も。何もかも。

 そうすることが正しく、普遍。いつも通りの日常に還るだけ。


「しかしよく思いついたよね。あの中の一員として潜り込ませるなんてさ」


「まああいつの能力はそれぐらいでしか使えないからな。適材適所というやつだ」


「それでも仲間を敵の本拠地に潜り込ませるなんて、考え付いても実行させようとも思わないでしょ。ましてやあなたは、勇者様なんだからさ」


「ああ、そうだな」


 姫が攫われ、王宮は死んだように静まり返っていた。

 止める者も諌める者も誰もいない。ここに仕えていた人間の意気は消沈し切っていた。

 そんな中、あるべきモノをあるべき場所へ戻すため。

 勇者は、その扉の前へ立った。

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