第4話 ウリア

 魔王城内は少々複雑だ。

 入口は一つ、もちろん洞窟やダンジョンとはまた別なので出口なんて存在しない。機能そのものは飽く迄も城なのだ。歴史ある調度品や赤い絨毯、装飾が過ぎるシャンデリアに意味不明な石造まで。美的感覚という面において、とてもではないがまともとは言い難い。

 ともあれ、城を彩る装飾品の数々はその程度。ガランとして寂しいわけではないし、物で溢れかえっているわけでもない。平均的な城の中身というものは知らないが、恐らくその辺りに関しては普遍的な内装なのだろう。


 ただし、城の造り。城の構造に関して、それは城とも呼べない。

 居住出来る場とか、そんな生易しいものではない、歪んで歪んで歪になりきった空間。間違っているようで、正しく、正しいようでしかし見当違い。狂い狂わせ酔い酔わせ。一度歩けば、二度と同じ場所へは辿り着けない。

 この城は、魔王城はそのような空間だった。


「はあ……、ここはどこなのよ……?」


 その城、そんな城のある一室に姫はいた。

 どうやってここに来たのかは分からない。ただ散歩がてら部屋を出たら、気づけばここにいたというだけで、目的も意図もなかった。

 何も無い空間、不気味な骨董品も謎の甲冑も飾られていない。装飾品と呼べるものはなく、目に見えてあるものは蝋燭ぐらいだった。


「は、早く戻ろう……」


 何やら不気味だ。何故だか知らないが、この空間にはあまり長居したくない。元から散歩のつもりだったのだ。遅くなりすぎても魔王が心配するだろう。

 決して怖いわけではなく、自分の身を案じてくれる存在がいるから、という隠れ蓑でどうにかモチベーションを保たせる。一国の姫がこんなところで怖がるはずがない。


「どうしましたか? 姫」


「っ!?」


 音一つしない静寂に包まれた空間。自分の声ですら反響するこの場で、明らかに別人の声、姫以外の音が弾んだ。

 けれど聞き覚えはある。知らない声ではない。恐る恐る、振り返る。もちろん声を発しながら、ただこれも恐怖を跳ね除けるためのもの。今の彼女は物音に敏感らしいウサギよりも過敏だった。


「う、ウリア……?」


 薄暗く、広い空間を照らす光源は幾つかある蝋燭だけ。それらの光も闇を全て拭い去るのには乏しすぎる。

 そんな暗がりに、一人の女性がいた。決して鮮やかではない赤黒く染められた髪に、スラリと伸びた手足。女の姫から見ても、美しいと思える女性がそこにいた。

 スタイルまでも良い、ほぼ非の打ちどころがないと見えるウリアが、機嫌良く笑う。

 その姿を目視出来て安堵したのは心底に沈めておくとして、姫は表情を取り繕った。


「いや、まさか貴方がここに辿り着けるとはね。しかも一切迷うことなく」


「ねえ、ウリア。ここって……」


 辺りを見回す。弱い光が灯る範囲でしか確認出来ないが、それでも視認出来る。

 部屋の最奥、そこには豪奢な椅子が置かれており、やはり他には何もない。一見すれば生活感もない、殺風景な部屋だとは思うかもしれないが、ここは魔王城。常識では測れない空間だ。

 その魔王城で、一切の無駄を省いたこの場所。薄気味悪い部屋だが、姫には一つ、心当たりがあった。

 ウリアも、全てお見通しのような、そんな笑みを浮かべる。


「察しの通り、ここは魔王の部屋だ。別名、思慮宮。立ち入りは原則許されていないし、用事があったとしても中々ここには入ってこれない」


「思慮宮……」


 その言葉を噛み締め、姫は考える。

 魔王はここで、この場所で。

 何もない空間でただ一人考える。

 今後の展望について、もしかすると考えているのかもしれない。大規模な作戦を、もしかすると企てているのかもしれない。

 あの魔王がこの場で何を思っているのか、分かるはずもないが、その空間、魔王足らしめる場所を知れて、取り繕った顔が少し綻ぶ。

 けれどやはり、姫は魔王について、何も知らないのだ。


「それにしても、先ほども言ったが、よくここに来られたね。普通ならば知ることさえままならない、困難極めるこの場所にさ」


「え、だって。ほぼ一本道だったわよ。確かに途中、おかしな道や部屋はあったけどね。扉が数えきれないほどある部屋があったり、階段を上ったと思ったら下っていた道があったり。でも、行き止まりなんてなかったわよ」


「はあ、恐れ入る。あなたはやはり特別なのだろう」


 ウリアが吐いた溜め息、その言葉の意味は分からない。ただどのような行動をとっても絵になる、とは思えた。溜め息は色っぽく放つ言葉は艶っぽい。女性らしいスタイルを持つ彼女の要点を眺めていると、当然と言えば当然だが、視線が合致した。


「どうした? 何か気になる点でも?」


「ううん、別に……。えっと」


 さすがに見惚れていたなどと素直にも言えず、言葉を濁す。かと言って、気になる点が無いわけでもない。

 ここに来てから自分自身がいかに無知であるか、自覚出来てしまうほどに、気づかされる場面が多かった。今の今まで、疑問さえ浮かんでこなかった生活から、突如謎の多い日常に変わった。

だから姫も、彼女自身も変わり始めていた。


「ウリアはどうやってここに来たの? 普通来れないんでしょ、ここって」


 気になる点は多々あるが、今は直感的に意識した疑問を口にする。

 何が最優先事項か分からない。けれど質問をする、という行為自体してこなかった姫からすれば、それは偉大な一歩、大きな成長と言えた。


「いや、姫の後をついてきただけだよ。魔王がその気でなければ、意図してこの部屋に辿り着くことは出来ない。ここに関してはいささか厳重過ぎるほどの警戒態勢が敷かれているからな」


「でも、私は辿り着いたんだけど……」


「そこは私にも分からないところだな。単なる偶然か。魔王の意志か。それとも世界の調整か。まあ偶然では到底片づけられるわけがないが、今はそう考えていた方が良いかもしれない。あまり深く考えない方がいいことだけは確かだな」


「そういうものかしら」


「そういうものだよ」


 ウリアは笑いながら懐からそれを取り出した。白く細長い、手のひらの半分サイズほどの棒。過去の数度、見たことがあるので、姫は自信を持ってその名称を言い当てる。


「それ見たことあるわ。薬草棒よね」


「薬草棒、ね」


 自信満々の姫とは対照的に、ウリアの表情が曇ったような困ったような、それでも笑っているよく分からない顔に変わる。無知から来る疎外感が、再び襲った。それから、その無知という事実から、それに対する不安という現実から逃れるように、姫はわだかまりを口にする。


「もしかして、違う……?」


「当たらずとも遠からず、と言ったところだね、それでは。確かにこれを吸えばスッキリするし、落ち着くがそれに伴う体力の恢復は見込めない。そういった点から見れば、これを薬草とするのには少々無理があるね」


 言いながら、ウリアがそれを口に咥える。それだけでは効果が無い、そこまでは知っていたが、どうやら呼称は、彼女のセリフから薬草という呼び方は違うらしい。慣れた様子で、ウリアは指先を棒の先端近くまで持っていく。

 まるでそれを指差し、強調するような仕草だった。


「火は、点けるのよね……?」


「まあ見ているといい」


 自信無さげに口から出た質問だったが、ウリアはそれを特別茶化すことなく、寧ろ笑って応えた。

 そして、その言葉と同時に、それは起こった。白い棒に向かって伸びる指、その先から、波紋が、色が、生じた。と、そう認識した時には既に波紋は円に変わり、そこに描かれた、何やら形がおかしい文字状の物体。その中心から紅い揺らめきが生まれていた。

 その赤は、彼女が咥えているモノの先を照らし、移る。


「これはタバコだよ」


 ひと息吐いて、白煙を漂わせながらウリアはそう言った。

 指先から火は消え、何時の間にかそこに現れていた光の環も無くなっていた。


「タバコ、ね。それがこの世界で呼ばれている正式な名称。うん、覚えたわ」


 何度も刻むように、姫はその名称をそらんじる。

 この感覚が好きだった。髄にまで染み込み、それが全身に行き渡る。今まで知らなかった、あるいは間違っていた情報を知るという行動が、何もすることがないここでの楽しみになりつつあった。

 気分も晴れやかで、調子も良い。やはり人との対話は楽しい。

 暇で、尚も好奇心を抑えられない姫は、先程の現象にも疑問を飛ばす。


「ウリア、さっきのは?」


「さっきの? ……ああ、もしかしてルーンのことか?」


「ルーン?」


 まるっきり、思いの外聞き慣れない言葉、というわけではなかった。

 記憶の隅の隅。奥の奥。底の底。

 過去に聞いたであろうそれは、思い出そうにも上手くいかず、諦めてウリアの説明を待つことにする。


「そう、ルーン。遥か昔、その当時は日常的に使われていたらしい文字だよ。私のそれは今では誰も使わなくなったその文字を、呪術的、神秘的、魔術的、奇跡的に解釈、転化させ文字それぞれ、そのものに力が宿るように調整された法で術だ。組み合わせることで、それはより強くより固く、発動をこなすことが出来る。先程の火も、それだ。もっともあれは、シンプルな形に最適化したものに過ぎないけどね」


「ええと……?」


 意味がよく分からない。これも自分自身が無知であるからだろうか。もっと勉学を、知識を身に着けなければ折角ここで疑問に応じてくれたとしても、それは理解出来ないものになってしまう。きっと世界は『知らない』で満たされているはずだから。

 知りたいけれど、その説明が分からない。学びたいけれど、内容が頭に入ってこない。

 それはとても、もどかしかった。


「まあ理解できなくても、ここは大して困ることでもないな。こんな知識、姫には多分必要ない。それに、これからドンドン学んでいけばいいさ。知識を得ていけば、それでいいんだ。今を問い詰める必要もない。現状維持は勿論ダメだが、それを脱却しようという心があれば大丈夫だよ。姫のすることは、まず貴女のしなければならないことは、この世界、新しいセカイに慣れることだからな」


 何も知らない。何も分からない。十七年も生きてきて、一体何をしてきたのだろう。

 魔王のように誰にでも手を差し伸べるわけでも、アクエルのように力があるわけでも、ウリアのように落ち着いた態度を取れるわけでもない。

 姫自身には、何もなかった。


「じゃあ今度は姫のことを教えてもらおうか」


「え……? どうして?」


「どうしてって、姫は私に質問した。それなら次は私が姫に質問する、というのが一応の道理とは思わないか?」


 そういうものなのだろうか。そうなのかもしれない。確かに、一方的に質問ばかりするというのも失礼な話だ。こちらばかりが利益を得ていて、向こう側には一切何も与えない、というのは良い権力者のすることではないとは、幾ら無知な姫だろうとそう思える。


「まあいいけど……、でも私が知ってることなんて何も無いわよ」


「別に小難しいことを訊こうって言っているわけじゃあないよ。単なる興味、些細な好奇心だね。応えなくなければ応えなくてもそれはそれで別に構わないし、黙っていてくれても私は問い質したりしない。それは誓おう」


 らしくない、というよりもそこまで言うほどのことだろうか。

 姫は訝しむ。

 それは忠誠とも取れるが、しかし予防、とも見れる。何が言いたいのか、まだ質問さえされていないのに、分からない。

 結局姫が考えたところで何も分からないのだが、しかし心構えぐらいは出来た。


「三つあるな、質問は。まず一つ、これはどちらでもいいのだけれど。……あんた、そこに入って何がしたい? 何を、企んでいるんだ?」


「……?」


 何を言い出したのだろう。質問は質問。それは間違いが確かになかったのだが、それを質問と呼ぶには余りにも雑然で、抽象的と言えた。今この場にはウリアと姫、二人しかいない。よって質問相手は姫一人、それは当然そうなのだろうが。

 ただただ見据えられている姫は、しかしウリアに見られている、という感覚は無かった。寧ろ自分よりもその更に奥、こちらに視線を向けてはいるが何処か別の場所を見ているように、思ってしまっていた。

 反応ができない。

 応答が図れない。


「えーっと……ウリア? 何が言いたいの?」


「……いや、すまないね。何でもない、ということもないんだけれど。今のところは何もないよ。失礼、おかしなことを訊いた」


 はぐらかされた、という感じだ。

 本当に言いたいことを言っていない。誤魔化し、あしらった。そのような返答だ。もちろんこれは姫の勘でしかなく、何処までいっても憶測に過ぎない。

 結局、姫の中で、その疑問は解消されることはなく、ウリアが次の質問を言い放つ。


「二つ目、これは貴女に対しての質問になるんだが……、構わないかい?」


「え? ええうん、別に大丈夫だけど……」

 じゃあ先程の質問は一体誰に対して、という謎が生じてしまうわけだが、ウリアにそれを尋ねる暇は無く、質問が飛んできた。


「姫、貴女は一体彼の国でどういった扱いを受けていたんだ?」


「……っ!!」


 彼の国。

 ここではない、姫自身がいたもう一つの居場所。

 王国。暗く、澱んだ、闇にしか見えない国。満足に外へ出歩いたことなど無かったが、民もまた国と似たような状況だった。

 その中心。

 国よりも王よりも、民よりも貴族よりも。何よりも大事に、何よりも手厚く、扱われてきた存在。

 姫、と。

 そう呼ばれる存在。

 そこで、そこで彼女は……。


「……………………」


「失礼した。貴女は、何も知らない、と。今は何も思い出せないと。そういうことにしておこうか。連れてこられて日もそんなに経過していないしな」


 ウリアの視線が外れる。けれど、姫は未だに動けない。動こうと、思えなかった。

 そう、忘れていた。忘れてはいけないはずだったのに。ものの見事に、綺麗さっぱり奥に仕舞いこんでいた。

 あれがどれだけ醜悪だったか。

 あそこがどれだけ苦だったか。

 あの国がどれほど闇だったか。

 もう一度、見せつけられてしまった。


「まあ、そう気を落とすようなことでもないさ……、などとは言わないけれど。それでも貴女には今があるだろう。未来があるだろう。あまり過去にばかり囚われる必要は、それこそ皆無なはずだ」


 ウリアが肩を叩き、そのまま通り過ぎていった。

 この部屋は何もない部屋。普通なら辿り着けない思慮の宮。ここから立ち去ろうと思えば、何時だって、どのようにだって、立ち去れる。そういう仕組みになっているらしい。


「あ、そうだ。最後の質問だったな」


 つまり歩いて、今いた場所を放棄するということは、ここから立ち去ることをそのまま意味する。ウリアはこの場を去る、その前に軽い調子で質問した。

 最後の質問。

 未だ頭には、昔のことが巡っているのだが、それを気に留めた様子も無く、ウリアは言った。


「姫、魔王のことが好きだろう?」


「え…………、えぇっ!?」


 初めは何を言っているのかまるで理解出来なかった。それは二つ目の質問の所為でもあっただろうし、純粋に理解が追い付かなかったからでもあっただろう。

 ただそれが脳に届いた瞬間。全身が熱く焦がれた、気がした。


「いや、ちがっ――!!」


「あっはっは。まあ恋は自由だからね。止めはしないさ」


「ちょっと、誰が……!!」


 楽しそうなウリアの声。振り返って否定しようとしたが、その張本人は既にそこにはおらず、あるのはただ何処まで広がっているかも分からない闇ばかりだった。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「出撃はまだか?」


「まあそう急ぐなよ。向こうも慎重にやってくれてるんだ。俺たちももう少し辛抱しようよ」


「そうは言ってもだな……」


 この国で起きたこと。それを考えれば悠長に待っている暇など無いとも思えるのだが、しかし自分一人が焦ったところで、どうしようもないということもまた事実だ。


 今はただ。待つのみ。

 大事な人間を。この国に不可欠な存在を。

 取り戻さなければならない。


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