第13話 パッセージ(導管)

  最初、早口に語る美帆の話は飛び飛びで意味不明だった。しかし高ぶる気持ちも少しずつ醒めて、話にもちゃんとした脈絡が見えたとき、当の美帆は放心したように「ホントのことだったのかな?」と漏らした。自分で自分の話が嘘に思えているようだった。

「今年はわたしが連れて行かれるのかな?」

「美帆…」美帆の消沈した顔色に梨佳子は何も言えなかった。

「心配いらんよ。」そう年寄りは言った。

「その先生がミサキ様の使いならば、亡くなった当時から身近で呼ばれた者がいるはずだ。そんなことはなかったろう?」

「いるよ。おばあちゃん。たぶん…」

梨佳子の暗い記憶の中に一人、当時のまま歳を取らない面影が浮かんできた。

「嶋倉仁美がそうだと思う。だって夢を見るって電話してきたことがあるし、事故はその後だったもの。」

記憶が梨佳子の頭の中をコマ送りにすり抜けて行った。

「いいかい梨佳子。ミサキ様にはいい顔と悪い顔がある。いい顔は人にお知らせを持ってくる。ただし、悪い顔はわざわいを持ってくる。ミサキ様は誰彼なく来るわけではないのさ。心に隠れたものが招くこともある。大学で何かあったんだい。そちらの神岡さんと御蔵さん。ただの友達じゃあないんだろう?お前のことを佳奈美さんは亡くなるまで心配していたんだよ。」

「それが…」梨佳子の顔が曇った。祖母には何も話していないのが悔やまれた。父も無口な方だ。何も話していないに違いない。それでも祖母は何か気づいていたのだ。

「それが…ずっとくり返しくり返し夢を見ていたの。その夢の中に母さんが出てくる。でも姿はなくて声ばかりで、母さんは私をずっと呼び続けているの。そのうち変なこと起き始めて…」

「錫杖の音とか?走り来る音とか?」

「知っているの?」

「ミサキ様だよ。で?美帆ちゃんも夢を見るのかい?」

「いいえ。わたしは見ません。でもその錫杖の音も変な足音も聞きました。日中にも関わらずここにいるみんなが体験しました。そして今日の出来事…わたしの身にも何か起こっているのでしょうか?」

「そうだねえ。」と言ったきり年寄りは何事かを考えている。

「変な話ですが、現代の最先端の理論物理学は三次元+時間の次元だけではないと言い始めている。」

「おいおい。物理の話なんてそぐわないだろう。」

突然口を開いた英介を悠里が止めにかかった。

すると「神岡さん。あなたが梨佳子を助けてくれたんでしょう?」と年寄りが言った。

「どうしてそれを?」梨佳子は驚いて祖母を見つめた。

「何。歳を取れば人を見ただけであれこれとわかることもあるものだよ。それに目に見えないものも身近に感じられるようになる。なんでだろうね。あの世が近づいたからかね。知り合いが旅立つときよく挨拶に来る。音だけの時もあるし、姿を見せる時もある。もしかしたら神岡さんにも見えるんじゃないかい?」

「えっ!」と梨佳子と美帆が英介を振り返ったが、悠里だけは驚いたように年寄りを見ていた。

「神岡さんを包んでいる守護霊とでもいうのかね。導きの手を感じるよ。」

「ええ、たぶん祖母だと思います。」

梨佳子は大学校内で襲われたときのことを思い出した。

あの時の声を英介さんは祖母だと言っていた…

「おや、そうかい。そりゃあまた共通するものがあるんだね。続き構いませんよ。年取ってからもこの世からの卒業の勉強だけは残っている。」

「お祖母ちゃんたら変なこと言わないでよね。」

「いえ本当のことだと思いますよ。お寺様にも行事として観音様めぐりがあるじゃないですか。向こう側へ渡る準備をしている。その向こう側とはどこなんでしょうね?向こう側からもこちら側へと渡ってこないのでしょうか?目には見えなくてもそこにあるエネルギーを感じることは出来るはずですし、感じたエルネギーはその人の経験や知識で見えるものへと編集される。姿形や言葉、予言、お知らせなどですね。それにエネルギーにはプラスとマイナスがある。光と闇、神々しさと邪悪さ。神秘学が好きな人なら異界や異次元と呼ぶかもしれないし、SF好きなら多次元や平行宇宙へと空想が広がるかもしれない。しかしながらそのエネルギーの値はとても小さい。そしてこちら側に媒体を必要とする。言わば依代よりしろです。依代が通路になる。別な言葉で言えばパッセージ(導管)です。このパッセージなるものは宇宙の秘密を、特に空間の余剰次元に関わっていると考えられています。ミクロで考えられていたその異次元は無限大に広がっているかもしれない。そうした仮説が理論物理で扱われるようになった。」

「ちょっと待てよ英介。今起きていることは講義じゃないし、まして仮説でもない。お前が言おうとしているものとミサキ様との関係は何なんだ。」

「ビリー・ブラッグだよ。」

「ギター一本で歌っているミュージシャンか?またそうやってはぐらかして。お前の言い方ってさ。どこか人を試しているようなとこがあるんだよ。それに回りくどい。で、要点は?」

二人のやり取りを年寄りは目を細めて聞いている。梨佳子と美帆は目を合わせて、始まったというような表情を浮かべた。

「《重力の法則はとてもとても厳密なのに

きみは自分の都合のいいように曲げちゃってる》

わかるだろう?空間の余剰次元を曲げるのは重力だよ。物理の四つの力(電磁力、強い力、弱い力、重力)の中で最も検出されにくくとても大きな力、空間を歪める力を持つもの。それが重力。人間の中にも空間に影響を及ぼすそうした強く重い感情が横たわっている。強い思い、あるいは思考と言ってもいいものがね。ただし人間同士の空間だけだけどね。それは時に事件を引き起こすし、亡くなっても残るものもある。根深い怨みや執着、穢れのようなもの、それらは簡単に分解され自然に還ることができない。その根深さが独自に空間を時間を歪めることさえある。美帆さんの前に現れた鑓水先生などは、よく聞く呪縛霊だろうけど、場所の空間を歪めている。ただしこの土地に来て思ったのは亡くなった後もなお力を与えるものの存在だよ。それが背後にいるものだ。ミサキ様はそもそも何を伝えるものだったのかな…」

「怨霊ではないのか?」

「いや、それじゃあ短絡すぎる。ミサキ様は自然の天災のようなものに思える。エネルギーに善悪はない。例えば嵐は人間に害をなそうとしているわけじゃない。そして嵐の前には空にその兆しが現れる。風や雲の動きにね…」

「ミサキ様の神事はもともと吉凶を占う神事で、吉ならば祭りで招く…そうさなあ天岩戸のようなもので、凶ならば祓い清めるというものだったそうですよ。今は神事といっても普通の祭り事になってしまいましたが、この地に住む者たちにとって古来神託のようなものだったのでしょうね。」

そう年寄りが言うと英介の顔にぱっと明かりが差した。

「そうですか。ここに来てから何か胸騒ぎがするんですよ。土地の中にあるのか?人々の心の中にあるのか?神事はまもなくですよね。」

「三日後になります。」

「それとも時間が溜め込んでいるのか?問題の根はパッセージ(導管)にあるのです。現実と、人の心と、あるモノを繋ぐ通路がね。それが繋がろうとしている。」

「解ったのか英介?」

「まだだ。」

「神事に間に合わないぞ。」

「ここにきて気がかりなのは梨佳子さんのお母さんが現れる理由だよ。これまで梨佳子さんの身を案じてのことと思っていたが、違うとしたら?そう仕向けられているとしたら…どうなる?」

話しながら英介は思索に沈んだ。

梨佳子は夢で見たはずの母親の顔を思い出そうとした。

あれは…何か…見たこともないものだった。

わたしは何を見たのだろう?

あれは何だったんだろう?


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