Bイラ(ベイラ)
湘南にある海沿いのカレー屋に、私は愛車のカルマンギアでスカジャンを着て乗りつけた。そう台本に書いてあったわけではないが、それが一つの約束事のようなものでもあった。今日も旅番組のロケだった。旅ロケタレント、それが私の職業である。私が音楽をやっていたことどころか、俳優をやっていたことすらも、今では「意外」と言われそうだった。この「意外」という言葉が今の日本をダメにしていた。意外な一面や意外な素顔がもてはやされ、本業はそっちのけだった。テレビ業界も大体、そんな感じに落ちぶれていた。真面目なパンクバンドのボーカル、勉強のできるお笑い芸人、料理のできるグラビアアイドル、みんな必死だから余計に哀れだった。昔の仲間の中で、女優を目指していると言っていた水商売女が重なった。
世の中への文句が多くなったり、昔の話をしたり、理屈っぽくなったりするのは許してもらいたい。何しろ会社勤めだったらとうに定年している年齢なのだから。ありがたいことに、私にはまだ需要があり、タレントには定年がなかった。私はもう一つのテレビ業界の低迷の理由である「ゆるい番組の横行」で、日銭を稼ぐことができていた。ライブハウスで全裸になり、ニワトリの血を撒き散らしていた男が、今では茶の間で癒し系と言われているのだから、人生どう転ぶかわからない。
私が音楽をプロとしてやっていたのは一年だけだった。インパクトだけのバンドが長く続くはずはなかった。そして俳優に転向した。テレビドラマで人気が出ても、芝居への意欲は皆無だった。仲の良いスタッフが適度に使ってくれるだけだった。私は卑屈になるでもなく、現場に行って日銭を稼いでいた。アルバイトには慣れていた。個性派俳優に混ぜられて迷惑だったこともあった。演じることへの熱さやこだわりなど皆無だった。そんな時間を二、三十年ほど過ごすと、ガツガツしないテレビ番組のブームが来た。日本は走ることに疲れたのだろう。
いま日没待ち中。私たちは半日ほど鎌倉を散策し、またカレー屋に戻ってきていた。テラス席は最高のサンセット・ポイントらしい。雲が多いので夕日が沈む様を見ることはできないだろうが、その私の不運がテレビの向こうで誰かを癒すのだ。夕日が沈めば、今日の仕事は終わりだった。
「仕事が終わったら、トニーローマにでも顔を出してみようか」とスマートホンを操作した。予約してから店に向かうのが癖になっていた。思い立ってふらっと顔を出せない時代、それを便利と言うのか分からなかった。私は記憶の中の電話番号を〇四六六と思い出そうとしながら、検索ワードを入力していた。
「トニーローマって六本木ですか?」カメラマンと呼べないほど技術の低い若者が私の独り言に反応した。私よりも素早くスマートホンを操作し、すでに検索し終えていたようだった。
「まさか。江ノ島」
「もうないですよ、江ノ島店は」と若者はスマートホンの画面を消した。
私が通っていたのは、それこそカメラマンの若者ぐらいの年齢だったころだ。江ノ島にあったトニーローマはなくなっていた。
「いい店だったんだけどなあ」
そう口に出しながら、元俳優の友人がやっていたレストランが潰れたときのことを思い出していた。元俳優は閉店記念にパーティーを開き、社交辞令の「良い店なのになんで潰れるの?」という客の質問に「みんなが来てくれないから潰れる」と目一杯強がった顔で答えていた。確かに、私はほとんどその店に行っていなかった。通ってもいないで、潰れることを嘆いてはいけないのだ。
案の定、太陽の姿のない日没だった。夕日が沈むと、寂しい気持ちになった。少しすれば夜がきて新しい世界が広がるのだが、それまでの空白だった。つい感傷的になる悪くない時間でもあった。昔、Tボーン・ステーキを食べた後に、いくらキーを回しても車のエンジンがシュルシュルと言うだけで動き出さなかったことが、二度あったことを思い出した。店の電話番号が喉まで出かかっていたが、出てこなかった。
「どこか行きたいところないんですか? 一ヶ所ぐらいあるでしょ?」私は一人、会議室に呼び出されていた。番組プロデューサーとその上司と部下に並ばれ、私は外国の地名を一つ求められていた。適当にぶらつくだけのテレビ番組が、映画で海外編を企画中で、スポンサーも順調に集まっているらしい。
「パスポートを持ってない。英語を話せない。外国には行ったことがない」私は旅ロケタレントだが、旅嫌いだった。休みに出かけるには箱根の温泉が限度だった。
「いいじゃないですか、その年齢での初海外。パスポートを取りに行くところからのドキュメンタリーにします。それに英語なんて、外国でも大して通じませんよ」
「一度だけ、演技を褒められたことがある」と私はいつもよりも低くゆっくりと話しはじめた。「大きな映画だった。私は荒くれ者の船乗りの役で、もちろん端役。でも抜群のギャラの仕事で、いつもよりは少しテンションも高かったはずだが、現場のことは覚えてない。全体のストーリーも覚えてない。確かサスペンスだったはず。全くヒットしなかった。でも興行成績が気になるほどの出番もなかったし、完成した作品は見ない主義だから」
私は千葉方面に向かうタクシーの中にいた。隣にはビデオカメラをこちらに向けている男がいた。二人旅なら相手は女、それも露出が多いほど好ましいと伝えたのだが。
「千葉の奥の方に本物かと見紛う大きなセットを作ってた。映画もスポンサーだらけのバブルで、大きなものを作っておけば、スポンサー受けも良かった。そんな大昔の映画のことだけど、二つだけ、はっきりと覚えてる。一つは衣装。薄汚れたボーダーのシャツをダボダボにするか、フィットにするかを散々迷ったこと。でも、結局どちらを選んだのかは思い出せない。そしてもう一つが、演技を褒められたこと」
カメラを構えた若者は台本と私の台詞を見比べるのをやめていた。一字一句間違いはなかった。私は言葉を覚えるのが得意だった。バンドをやっていたころは、内容も分からない外国語の歌詞でも完全に記憶していた。今でも音が鳴れば歌える気がする。
「大勢でワイワイやっているシーンでカットがかかって、監督がこっちに寄ってくるから、怒鳴られるのかと構えたら、バチンと背中を叩かれて、褒められた。体を左右に揺らして歩くのが、船乗りそのものだと。良く勉強してきたと褒められた」
旅ロケ海外編の映画は私のモノローグといつものゆるい旅とで構成される。
「俳優としての最高の瞬間、今思えばそうだろうね。どれほどの人数のシーンだったか覚えてないけど、台詞もなく、体の動きだけで監督の目を引いたんだから」いつもの軽い話し方に戻し、「一回だけしか旅に行けないとすれば、そこ以外には考えらない」と締めた。
香港が私の初海外の地になる。それからヨハネスブルグという洋風な名前のアフリカの町に行き、次にモザンビークの首都のマプトに行き、そこからまた飛行機でやっとBイラに到着する。先のことを考える気がしなくなるほどの長旅である。途中途中で町を歩き、目的地に到着するのは再来週になる。
番組の出来よりも経費削減が褒められる時代ではあっても、さすがに映画の主演をエコノミークラスには乗せないようで助かった。それでも普段の庶民的な旅のイメージがあるのか、前菜やシャンペンは片付けてから撮影がスタートした。
私はタブレットで豪華ホテルのセピア色の写真を開いた。カメラが回っていた。
「ストーリーは全く覚えてない。舞台はモザンビークって国のBイラという港町。そこにアフリカで一番豪華なホテルがあった。俺は船乗りの役だからホテルには行けず、ずっと船か港。そのアフリカ・ナンバーワンのホテルに行きたい」
続いて廃墟の写真を開いた。現代の写真はアフリカらしいビビッドな色合いだった。
「いつかロケで江ノ島に行ったら、トニーローマがなくなってた。若い連中はその存在も知らないだろうが、最高の店だった。俺のバンドと一緒だな、最高だったのに今では誰も知らない。私は湘南のトニーローマでステーキを食べ、横浜のオリジナルジョーズでピザを食べ、銀座のピルゼンでジンジャーエールを飲むのが好きだった。このお気に入りの三店が全てなくなっていた。行きたい場所がなくなっているのは、この年齢になると珍しいことではないが、寂しいものだ。その寂しさが現実感を持っているのが、六十代だ」
私はタブレットのページをめくり、廃墟の写真を眺めた。
「ネットで調べてみると、Bイラのホテルは当然のように潰れていた。二十一世紀どころか、二十世紀の映画の撮影時ですら、営業していなかった。しかし幸いなことに、廃墟となって現存していた。今は大勢の不法居住者が住んでいるらしい。『いいじゃないですか。歩きましょうよ、アフリカ大陸の廃墟を。かつてのアフリカ・ナンバーワンを』と都電でも乗るかのように、番組スタッフが言うんだよ。じゃあまあ行くかって感じだよ、こっちもいつもの調子で。ちょっと海外まで」
私は首から下げた透明のケースをカメラに向けた。そこに入っているのは、まだ出国のスタンプが一つ押してあるだけの、真新しいパスポートだった。🅱
ナポリタンB 西崎久慈 @irizaki
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