Bガモ(ベルガモ)

 ここはイタリアのミラノ駅、私は見知らぬイタリア人のオバちゃんの後ろを付いて歩いていた。数分前、私は地下鉄の券売機の前で苦戦していた。五十ユーロ紙幣が機械に入っていかなかった。空港から街へのバスに乗るときに支払ったせいで、それが持っている最低額の紙幣だった。券売機はいくつかあったが、どれもダメだった。首都の駅だというのに、窓口に人がいなかった。困っているとオバちゃんが話しかけてきた。イタリア語を試したくてうずうずしていた私は、日本から初めてこの国に来て、二十五歳で、これから地下鉄に乗ろうとしていると、脈絡なく伝えた。オバちゃんは日本が大好きだと言いながら、切符の買い方をレクチャーしてくれたのだが、先ほどと同様に紙幣は入っていかなかった。「どきなさいよ、やってあげるから」と言うものの結果は同じ、二人で困った顔をした。「もっと小さい紙幣かコインはないの?」ないと答えると、通りすがりの人に声をかけはじめた。「この人が困ってるのよ、日本から来て困ってるのよ」すぐに若い女が立ち止まった。財布の中を見てくれたが、両替はできなかった。すぐに若い男が立ち止まった。ポケットから皺くちゃの紙幣とコインを出してくれたが、全く足りなかった。「店で替えてもらってあげるから、行きましょう」と歩き出したのである。

 私はオバちゃんの後ろを付いて歩き、スニーカー屋で両替に成功し、券売機に戻り、無事にコインで切符を買い、地下鉄の改札まで後ろを付いて歩き、お礼を言い、改札を抜けた。典型的なお節介ではあったが、オバちゃんや立ち止まってくれた若者たちのホスピテリティーに感激していた。そのホスピテリティーがなぜ券売機に反映されていないのかが不思議だったが、券売機という機械に多くを求めるのは日本人のセンスなのだろうと、この国に誘った友人との初めての会話を思い出していた。

 地下鉄に乗るだけでこの一騒動、私のイタリア語も通じる、楽しい旅になりそうだった。今日はミラノに宿泊し、明日Bガモに向かう。Bガモまでは電車で一時間ほど、「古くて適度に小さい町」だそうである。



 朝の六時をすぎ、私は深夜のアルバイトを終えようとしていた。少しすると交代の男が似合わないコンビニの制服に身を包んでやってくるはずだった。コンビニのような仕事は老人や外国人が増えてきていた。その男は定年退職後にコンビニでアルバイトをしていた。毎日混雑時の六時半から三時間、週に四日の勤務だった。仕事への適度なやる気のなさはアルバイトの平均的な態度ではあったが、その男には風格があった。

 大学でフランス文学を学んでいるという的外れな理由から、私はアルバイトでありながらその男の面接をした。男はバイトに明確な志望動機を持っていた。「人と接する仕事こそ、本来の仕事だ」私はコンビニのバイトはそれほど人気があるわけではなく、いずれ無人化していくだろうという話をした。「機械に接客できるのか?」機械はマニュアル通りに対応するのは得意で、その機械も高度化していく。「機械に接客されて嬉しいのか? そもそも機械の店に物を買いに行く意味があるのか?」私は質問には答えずに人件費の話をした。「金を稼ぎたいのか?」面接している側なのにまた私が質問された。履歴書に職歴の記載がなかったので過去の経歴は不明だが、定年前はその見た目通りの役職についていただろうことが話していて感じ取れた。パートタイムの接客業よりも、大学の教壇の方がよほど似合っていた。それでも私はパートタイムの接客業への合格をその場で伝えた。乾いた大きな手と握手を交わした。店長は不採用にしたかったようだ。考えてみればそうだろう、風格のある年上の部下はやりにくい。人手不足に困っているのは現場だと、なぜだか私は彼を擁護した。


 その日、そのイタリア人の男はアルバイトに来なかった。遅刻や欠勤はこれまでに一度もなかった。携帯電話がつながらず、メールの返信もなかった。心配になり履歴書に記載のあった固定電話にかけたところ、電話口に出た女に罵られた。朝から不運だった。その後、昼になって男が公衆電話から電話をかけてきた。随分上達したとはいえ、電話ごしのイタリア語での会話には苦戦した。しかも聞き慣れない単語ばかりだった。男は倒れて入院していた。


「今日も旅用のフレグランスだな」とベッドに横になったまま男は言った。私は旅には興味がなかった。「若いのに旅をしないでどうする。何のための働いている?」私は女のためと答えた。イタリア人は顔を崩して笑った。「まだ前の女を忘れられないのか?」私はこれまでに忘れた女は一人もいないと胸を張った。女々しさ極まる本音だったが、なぜだか陽気なイタリア人は納得したようだった。「私のように旅で忘れるしかない。旅で見つける女が最高だ。旅先にはまだ出会っていない女が山ほどいる」いつもと同じ軽口に、私は安心した。電話口で女に罵られた件を伝えた。

「そういう気性の荒いところが魅力的な女だ」

 私はそういう女が苦手だった。

「モテたければ、懐を広くしておくことだ」とそれらしいことを言われた。いつもの二人の会話だった。私のイタリア語はこんな下世話な方面にばかり上達していた。

「今日来てもらったのはお願いがあるからだ。ちょっと深刻な問題がある」深刻な問題、元気そうに見えても体の中はそうでもないのかもしれない。

「旅先での女も大切だが、故郷の女にも花を送らなくてはいけない」

 それからまたいつものトーンで話し始めた。故郷にある花屋に電話し、妻の墓に花を供えるように頼んで欲しい、そして代金を国際送金して欲しいということだった。「病院の公衆電話からは、国際電話がかけられないんだよ」と入院以上の深刻な顔で言われた。

 帰り際に担当の医者に挨拶をし、その反応から深刻な病気ではないと判断した。担当医とは、雑談がてら墓前への花の話をした。「その話、初めは私が頼まれたのですが、何分、イタリア語ができないもので。あなたはイタリア語ができるんですね。素晴らしい」と褒められた。素晴らしくなかった。私はフランス文学を学んでいるが、大学の授業では落ちこぼれていた。男がコンビニでバイトをするようになり、イタリア語の勉強をはじめた。すぐに会話はできるようになった。考えてみれば、フランス語も会話には不自由しない。私は会話が得意で、読み書きが苦手だと気づいた。「まだまだ子供ってことだよ」と信じられないほどの悪筆のイタリア男に言われていた。


 その日、私は任務完了を伝えに病室を訪れていた。大学のテストが終わり、散々な結果だったが、とりあえず夏休みには入っていた。私は夏休みに何をするのかをイタリア語で問いただされていた。イタリア語学科への転科を考えていた。

「それは私には非常に嬉しい報告だな。では、我が故郷へ行くってのはどうだ? 最愛の妻に花だけというのは味気ないと思っていたところだった。イタリア語だけではなく、文化を見て、感じてきてほしい」

 人生の先輩からの非常に説得力のある言葉だった。

「客の中に旅行会社の人がいるから、今度、旅行プランを持って来てもらうよ」コンビニに来る客を友人のように扱っている。その人間力には感心するばかりである。


「さっき電話しておいたから、明日の朝にはコンビニのレジに最高のプランが届いているはずだ」とその夜、公衆電話から連絡があった。ところが翌朝の私のバイトが終わっても、翌々日になっても、一週間経過しても、男の言う旅行会社の人からは何も届かなかった。私には旅行会社の人が誰かもわからず、どうしようもなかった。私は待ちくたびれていた。一時して、きっと相手は女で、いつか電話口に出た女のようにイタリア男に対して激怒しているのであろうと勝手に納得した。そして私は自分でイタリア行きのチケットを手配した。

 男の入院は長引いていた。大事ではないらしいが、年を取ると検査項目が増えるらしい。私の出発と同じ日の退院となった。「見送りに行けなくて悪い」と言われ、私も迎えに行けないことを詫びた。「男に来てもらっても嬉しくない。とびっきりの女が来てくれる予定だ、邪魔しないでくれよ」と笑った。🅱

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