Bクレー(バークレー)
ここは坂の多い町というよりも坂でできた町である。路面電車はケーブルカーと呼ばれている。ケーブルカーに乗ろうとしたその男は下の中ぐらいの服装をしている。髪の毛と髭がきれいに整えられていることと、派手なループタイをしていることで、かろうじて浮浪者には見えなかった。乗客であふれた車内で集金に回っている大きな男が、その下の中の服の男を引きずり下ろした。無賃乗車の常習犯の顔は覚えているというわけだ。地面に転がった男は年齢相応のゆっくりとした動作で立ち上がり、次のケーブルカーを待った。
男は、冬は豚汁と白米があれば生きていけると思っていた。しかし豚汁の色合いには耐えがたいものがあった。人参だけが彩りを与える茶色い世界など無価値だと信じている。何しろ男は色彩学者だ。今でも教授を名乗り、すぐそこにある名門大学のロゴの入った古い名刺を持っている。しかしそれは十年以上の前の話で、今は単なる無職だった。男は家族も友人も趣味も持たず、色にだけ興味を持って生きている。ときどき風邪をひく以外には、ここ十年間ほど事件も事故もない凪いだ毎日を送っていた。幸いこの町の冬は厳しくなく、豚汁なしでも問題なかった。それに暖を取るなら豚汁よりもボルシチの赤が好みだった。
男はホットドッグの赤と黄のストライプを眺めていた。色が脳みそを刺激し、口の中に味が広がっていた。音楽家は音に色が見えたり、音に喜怒哀楽を感じたりするらしい。その反対が作曲活動においてインスピレーションと呼ばれているものだ。何しろすべての感覚の入口と出口が音なのである。男の場合はそれが色である。特に食材色彩を専門としていた男にとっては、色は味であり、味は色なのである。
最高の黄色はマスタード色だと男は言う。レモン色はどこか主張しすぎている。ホットドッグのマスタードでは物足りない。オランダの風車小屋で作っているマスタードである。少しくすんでいて、茶の細かいドットがアクセントになっている。和からしは地味すぎる。しかしホットドッグの黄色も好みではあり、黄色が隣にあればケチャップの下品な赤色も深みを生み、男は三日とあけずに昼食に選んでいる。
男はランチの後にはデザートを欠かさない。流行りのジェラート屋に三十分以上並ぶこともあった。デザートは色に重きを置いているので、それは至福の時間だった。
最高の緑色はピスタチオ色だと男は言う。あのアイスや洋菓子で見る人工的かと思わせるあの薄緑色である。男の言うところでは、緑はケミカルなほどいい。若いころ、山や森の緑は人間の手にはおえないと諦めた瞬間、ゆっくりとしかし確実に脳裏がピスタチオ色に染まってきたことがあった。それ以降、ジェラートでもマカロンでも、あれこれと迷いはするがピスタチオ一筋だ。
数ある色の中でも、最高の色はピンク色だと男は言う。若い女子ならともかく、老人には意外な取り合わせの色だが、白色と赤色を混ぜたピンク色、それが最高だと男は言う。世にあふれているピンク色は白色と赤色を混ぜたものではなく、生まれながらのピンク色であり、それは邪道だ。その違いは一般人には理解できない感覚である。男はボルシチのピンク色が最高だと言う。夏の冷製ボルシチにはサワークリームが浮かんでいる。ビーツの赤色とサワークリームの白色、その二つが交わってできたピンク色、そこには赤色の痕跡も白色の痕跡もなく、ただピンク色が存在している。しかし元赤色であり元白色であることは疑いようがない。しかし冬にボルシチを見ても、まだピンクでないボルシチとは思わない。そこが食材色彩の魅力だ。色がすべてではない。冬のボルシチは赤色なのである。
今日は朝から名物の霧が出ていた。男は町の白さに苦笑いをした。
男は雪景色が嫌いだった。雪の白色は目に染みるだけで、神の産物として完成形だとは思えなかった。まだ塗られていない色があるはずだった。
この町では雪が降ることはないのだが、霧がときどき町を覆った。霧の白さは目に染みない。霧は雪のようにそこにある平面的な白色ではなく、深く何もない空間が続いていることの象徴の白さだ。もちろん白を見ると本能的に色を求めはするのだが、男は霧に色を塗れないことを本能的に理解していた。雪はカキ氷のように着色可能なのだが、霧というものは、白以外はあり得なかった。🅱
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