Bラス(ボスポラス)

 アタチュルク空港に向かっている飛行機で、私は表紙カバーがない古い文庫本を広げた。日焼けした黄色の紙からは、茶色のカビと黒色のインクの匂いがした。本をパラパラとめくり見つけた物はしおりではなかった。それは二つ折りにされた、まだ両替していない一万円札と「本場の味をしっかり学んで来なさい」という付箋のメモだった。社会人になった私は、借金もあったが、休暇で海外に行ける程度の適度な収入もあった。

 信用してはいけない飲食店の話からはじめようと思う。メニューが黒板に書いてあるところは信用してはいけない。それはこだわりではなく、雰囲気を出すためのマニュアル通りの活動だ。ポテトサラダが自慢で、半熟卵の何たらとかいう商品があり、店内にガーリックの匂いが充満していると、胡散臭さを感じとるべきだ。ボサノバ風にアレンジしたヒットソングを、天井のボーズから低音を強調して流しているところは、音楽への造詣も下の下だ。給仕が女だらけで、その誰もがエプロンをしておらず、男の客に友達のように話しかけるという暴挙を認めているところは、一流店である可能性は皆無だ。各国のワインを取り揃えているところも疑った方がいいかもしれない。ブームに敏感なことと、丁寧な仕事は相容れない。

 正に私のこの店のことだった。まだ潰れていないだけの店だ。しかし私の予想に反して、客足が絶えない。

 彼女は毎週土曜日の経営スクールの飲食店コースでのパートナーだった。私は大学二年、彼女は大学を卒業して就職活動中だった。

「気になるお店ある?」そう彼女に聞かれると、私は近所の商店街の話をした。元酒屋のコンビニ、元寿司屋の回転寿司、元スーパーのドラッグストア、元焼肉屋の居酒屋。パン屋と焼き鳥屋とスナックだけが生き残っている。

「じゃあ元寿司屋の回転寿司に行きましょう」

 いつもそうだった。意見を言うのが私で、決めるのが彼女。その日の経営スクールでの課題は「身近な店を分析する」だった。課題発表後、いつものように打合せ兼懇親会をする店を選びながら、二人で話していた。彼女はいつものアイロンのあたったスーツを着ていた。しかし就職活動だけで勤めた経験がないためか、完全な黒髪のためか、垢抜けなさが目立った。それを初々しさと感じはしなかった。

 下町商店街にある元寿司屋の回転寿司屋は、私の記憶の中の姿以上に寂れていた。回転寿司からさらなる転換への間だろう、題材としては魅力的だ。郊外に大手店が進出してきている影響かなどと、スマートホンでネット検索をしながら、課題とビールを進めていた。

「生もの嫌いなの?」

 そう言われて気づいた。しめ鯖、コハダ、サーモン炙り、アナゴなど生でないものばかり食べていた。生ものは嫌いではなかった。しかし新鮮な刺身は家でも食べることができる。だからつい手の入った、一手間かけたものを選んでいた。

「変なの」と彼女はまた手元の画面に視線を落とした。私は酔って余計な理屈をこねたことを反省し、目先を変えたくてサバサンドの話をした。サバサンドという名前だけ聞いて、作ってみたらすごく美味しかったと。

「サバサンドってわくわくする。大きなビジネスの香り」と彼女は目を輝かせた。私は話を合わせるように、リアカー、軽トラック、ミニバスなど移動式の店舗でのサクセスストーリーを語った。サバサンドスタンド、略してサバスタと笑いながら、量販用の日本酒を傾けた。


 一月ほど経つと、彼女はフランチャイズ形式での起業という選択肢を探してきた。サバサンドは酔ったときの思いつきにすぎなかったのだが、彼女はあっという間に実現に向けて動きはじめた。「みんな、アイディアがなく困っているのよ」と言われると、私は微笑んで頷いていた。みんな踏み出す勇気と行動力がなくて困っているのだ。私は彼女には感謝しかなかった。それでもフランチャイズ会社の会議室で契約書に署名をしているとき、繁華街でのリトグラフ販売を思い出していた。女が声をかけてきて、会話をしていると絵への造詣を褒められ、今がチャンスだと購入を提案される。くすぐりと勢い、同じ仕組みな気がしていた。しかし横に座っている彼女は、短いスカートも長い睫も黄色い声もなかった。黒目の黒さはカラーコンタクトではなく、純粋さの象徴だった。

「これから忙しくなるわね。忙しくなる前にやっておきたいことないの?」

 私は「文庫本を一冊だけ持って旅に出る」という旅行を計画中だったことを思い出した。「旅はまた今度にしなさい」と彼女は興味を示さなかった。私の人生では彼女がルールになっていた。


 飲食店経営ノウハウの研修とたくさんの契約書への捺印により、半年後に私のサバサンド店がオープンした。居酒屋とラーメン屋に挟まれた細長い隙間を利用した店舗は、一覧表から選んだ。食材の仕入れ先も、同じように一覧表から選んだ。レシピどころか作り方の指導まで受けることができた。すべてがシステマティックで、マニュアル通りで、これがプロの世界なのかと感心した。私の入る余地はどこにもなかった。エレベーターとは言わないまでも、エスカレーターに乗っているように、私は大学生にして企業家になることができた。一方で就職先を見つけられなかった彼女は、実家に戻った。「アルバイトが必要になったら呼んで」と開店日に電話の向こうで泣いていた。起業家として浮かれていた私は感謝の言葉の次に続けることはなかった。引き止めなかった。


 半年でできた店は、半年で潰れた。失敗の原因を追究するのがうんざりするほど、すべてが杜撰だった。挫折とすら感じなかった。残った五百万円の借金も、絶望するほどの額ではなかった。一括返済はできずとも、働けばなんとかなる気がした。

 彼女には閉店を電話で伝えた。開店の日以来の会話だった。「五百万円か。少し高いけど、授業料だと思えばいいのよ。私も焚きつけた責任を感じるけど、今はカツカツで助けにはなってあげられない」という彼女のありきたりの返答に彼女との距離を感じた。それでも彼女と私の間では彼女がルールなので、「大学生なんだから、大学に戻れば?」と言われ、大学に戻ることにした。

 一年遅れでの卒業を目指し、また借金返済に向けてアルバイトと就職活動を開始した。居酒屋でのアルバイトでは借金は全く減らなかったが、就職活動は順調だった。起業した行動力と授業料五百万円のエピソードは抜群の受けで、次々と内定をもらった。結局、借金を背負わされたフランチャイズ会社の親会社である飲食大手の会社を選んだ。「入社後二年間は現場研修」という一言に惹かれたのと、ちょっとした嫌がらせのつもりだった。

 一年分の授業料が借金に上乗せされた状態で無事に社会人になることができた。私は経験者ということで新人研修が免除され、簡単な引き継ぎだけで入社の翌週には店長という職務に就いた。私のセンスからするとそのスペインかイタリアか分からないような店は最低だったが、仕事は別だった。大きな売り上げがあるという達成感は格別で、ガーリック臭が髪の毛に染みついても気にならなかった。

 飛行機で出てきたワインはトルコ製だった。あまり聞かないトルコのワインだが、ガイドブックによると大昔から作られていた有名なものらしい。そもそも世界中のどこにでもワインはある。葡萄はどこでも育ち、どこでも発酵してワインになる。私はワインのワールドワイドな可能性よりも、ワインを商売にしてはいけないと思った。

 私は商売について考えれば考えるほど、大切なのはオリジナリティーと違いを生み出す一手間だという結論を強固にしていた。サバをパンに挟んだだけのサバサンドにはどちらも皆無だった。彼女はサバサンドのシンプルさや日本人への馴染みやすさに可能性を感じたようだが、あのときならしめ鯖の一手間に可能性を感じるべきだったのだ。料理の経験のない私の作るサバサンド、何の一手間もなく誰でも作ることができ、想像通りの味にはオリジナルの要素はゼロだった。そんなものを売る店がうまくいくはずもなかった。そもそも私はサバサンドという単語を知っていただけで、自作のものしか食べたことがなかった。Bラス海峡を見ながら食べる本場の味は、本来は開業前に経験しておくべきものだった。せめて店が続いている間だ。

「今さらね」と彼女には電話越しに笑われた。それでも「文庫本を一冊だけ持って旅に出る」という私の話を覚えていたようで、『ノア・ノア』というゴーギャンの旅行記が送られてきた。🅱

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