第14話


 混み合う電車の中は、マスクとメガネを常備する人たちが目立っていた。鼻をすする音があちこちで聞こえる。降り立った駅から新居までは徒歩15分。近くもなく遠くもないその距離のおかげで、都内23区にしては安めの物件を借りることに成功した。これから住むマンションの玄関には青いビニールシートが張られている。宅配便の会社のロゴが入った男性二人がダンボールを抱えて忙しなくトラックから出て行ったところを見ると、私の他にも今日、ここに越してくる人がいるのかもしれない。


 10時に約束した宅配業者を待ちながら、空っぽな部屋の中で大の字で寝転んだ。今日からここが、誰にも邪魔されることの無い私の王国。初めて両親と離れる心淋しさが無いわけではないけれど、これから始まる専門学校生活に胸を躍らせているのも事実だった。


 心残りがあるとすれば、それはももだ。ももには別れを告げていないから、彼女が気づいた頃には私は既に東京に居ることになる。さすがに怒られるかもしれないけど、仕方ない。もしもさよならなんて言おうとすれば、親友思いで素直な彼女はきっと、私の目の前で綺麗な涙をぽろぽろこぼしてしまうだろうから。


 文化祭が終わったあと、私とももは再びつるむようになった。昼休みには屋上でお昼ご飯を食べ、教室の移動も一緒に行ったし、休み時間には連れ立って自販機に向かい、放課後はお互いの部活が終わるのを待ち、ももの自転車の後ろに乗った。それはいささか普段通りすぎる日々で、私は感づいてしまったのだ。何も変わらない日常を維持するためにももと私が行っている賢明な努力に。

 一度きりなら、冗談や気の迷いなんて言葉で終わらせられる。二度キスをしたことで、私たちの関係は明らかに変わり始めていた。ももがそのことについてどう考えているのかは分からないけれど、私は変わりたくなんてなかった。振られて終わって離れ離れなんて最悪なルートを避けるために、屋上でのキスをなかったことにしようとして結局、限界を迎えた。


 東京にある服飾に特化した専門学校を受験したのは、言うまでもなく、ももへの不毛すぎる私の恋を終わらせたかったからだ。正直なところ、私はうんざりしていたのだ。この気持ちを隠し通すことにも、腫れ物に触るようなももの態度にも。ももを楽にしてあげたかった。私という重い荷物から解放されて、差別や偏見などという難しいことを考えず、みどりくんと幸せになってもらいたかった。


 きっとももは、あの場所でいつまでもふつうに暮らしていくんだろう。最初は淋しがってくれるかもしれないけど、少しずつ私のことなんて忘れていくに決まってる。波打ち際のテトラポットも、文化祭のきらめきも、クリームソーダ味のキスも、私にとっては大事だけど、ももにとってはそうじゃないから。悲しい未来に向かい合わされるのは御免だから、もう連絡なんてとってやらない。考えれば考えるほどまた涙が出てきそうだったから、私は重い腕を目にやった。昨日泣きはらした瞼が、再び熱を持ってきていた。


 ピンポン、とやけに間抜けなチャイムが鳴って体を起こす。宅配業者だろうと見当をつけて玄関に向かい、扉を開けた。だけど初めての訪問者は、宅配業者じゃなかった。テレビ局の視聴料取り立てでも、新聞の新規購読勧誘でもなかった。

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