第12話
体育館の中は光にあふれていた。客席のパイプ椅子はちらほらと空席を残すのみで、老若男女がチアリーディング部の華やかな舞台に見入っている。
体育館の隅にある用具室にももの手を引いてきた私を見て、みかんは目を丸くした。みかんのそばにはもう一人の女の子が座っていて、二重の目にマスカラを塗っていた。みかんの作ったいちごドレスを着た女の子の頬はほんのり紅く染まっている。「いちご」という名前の女の子を見つけるためにみかんは暫く奮闘していたが、無事見つかったと報告を受けていた。
「みかん、ごめん遅くなっちゃった」
「いえ、大丈夫です。あともう少しで出番なので、急いで準備してくださいね」
コテで自分の髪を巻きながら、みかんはにっこりと笑った。優しくて強い後輩に感謝しながら、ももの制服を脱がせにかかる。柔道着を落とし、胸に巻いていたさらしに手をかけると「おい」と制止されて手が止まった。「ごめん」と謝って見上げるとももの頬は紅色に染まっていて、余計に恥ずかしくなってしまう。
自分でやるから寄越せよと言ったももに衣装を渡す。ももが脱衣する音が聞こえないように、チア部の舞台を用具室の隙間から覗き見た。私は何をこんなに恥ずかしがっているのか。
「あんず。着たけど、あたしはどーすればいいの」
ぶっきらぼうな声がして振り向くと、白いセットアップ姿を驚くほど華麗に着こなすももがそこに立っていた。いつもぶかぶかした服を着ているから分からなかったけれど、やっぱりももはスタイルがいい。細身のパンツスーツにして正解だった。170センチをゆうに越す背丈は宝塚の男役さながらで、初心な女の子を一瞬で恋に落としてしまいそうだった。
私は丸椅子に彼女を座らせると、軽く化粧を施した。髪の毛はワックスでくしゃくしゃとさせて、仕上げに白いハットを頭にかぶせてやる。ももは私のつくった完璧な作品で、その華奢な白い足や筋張った指を見ているとうっとりとため息をつきたくなった。手鏡を渡すと、ももは見入るようにして変身した自分の姿をじっと見つめた。
「お前って、マジ、すげーな。」
「先輩、あと5分で出番ですよ。自分のドレスも着てください」
背後から飛んできたみかんの言葉に慌てて、衣装ケースからももの白いセットアップとおそろいで仕立てたドレスを取り出した。ウエディングドレスのように、裾にいくに連れてゆっくりと広がっていく曲線を出すために、どれだけの時間を要したことか。感傷に浸りそうになったけど、私は急いでそのドレスを頭から被った。長い裾が地面につかないように、両手で軽くつまんで持つ。
ももはドレスを着た私を見て、惚けたように口を開けた。その顔があんまり馬鹿みたいだったので、私は切迫した状況にも関わらず吹き出した。みかんは私ともものふたりが並んだ様子に手を叩いた。
「先輩、素敵です。もも先輩と並ぶと、まるで王子様とお姫様みたいです」
顔を見合わせて少し笑って、私たちはそっと手をつないだ。みかんにも声をかけて、壇上に歩いていく。人前に立つのは緊張するけど、みかんとももが居るなら怖いものなんてない。赤いビロードの幕が少しずつ上げられていく。
軽快なダンスミュージックと共に、みかんは足を踏み出した。
続いていちごちゃん、私、そのあとももの順に、壇上から客席に伸びる道を歩いていく。ノリノリなみかんに習って、音楽に合わせて手を振ると、ミーハーな女の子たちが歓声を返してくれて嬉しくなった。
服が好きな理由の一つは、いつもとは違う自分に変身できるからだ。小さいころから目立つのが大の苦手な私だけど、特別な衣装を着ていると違う自分になれたみたいで、不思議と人前に立つ恥ずかしさが消えた。「あの子、可愛い」と言われたのに嫌な気持ちにならなかったのは、この衣装のおかげかもしれない。
一度上手の奥に戻り、PAの合図を待った。次はふたり一組手をつないでドレスを披露する予定だった。曲がアップテンポなJ-POPに変わる。まずはみかんといちごちゃんのふたりが、手をつないで歩いていく。軽やかな足取りのふたりの横顔は、舞台の上の一瞬一瞬を心のそこから楽しんでいるように見えた。くるりとターンすると同時に、みかんのドレスがクラゲみたいに揺れる。近づいてくるみかんの表情は何かをやり遂げたあとの満足感にあふれていて、私はひとつ上の先輩としてこの逞しい後輩のことを誇らしく思った。
はじけるような笑顔を浮かべたみかんは私の右手にハイタッチした。それは選手交代の合図だった。しっとりと耳を撫でるBGMがかけられると同時に、私はももと目を合わせた。不安そうな顔に、大丈夫だよと頷いてみせる。
隣に突っ立っているももに聞こえるか聞こえないかくらいの声量で、つぶやくように語りかけた。
「ねえもも? 私はね、もものことが誰よりも大事なんだ。彼氏ができたって、きっといつまでもその気持ちは変わらないと思うの。
だからね、もも。こんなわがままな私で良かったら、ずっと友達でいてほしいな」
ももの返事を待たずに、私は彼女の大きくて柔らかな手を引いた。
私とももを待っていたのは、目のくらむようなスポットライトだった。誰もが固唾を飲んで、私たちを見つめている光景をそこに想像する。前へ進む足はもう震えていなかった。私とももは世界中のみんなに祝福される新郎新婦のように、光の中を歩いて行った。
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