第10話


「先輩、この衣装体育館の方に持っていきますね」

「お願い。あと、ヘアメイクそろそろはじめた方がいいかも」

「りょうかいです」


 みかんの持つドレスの裾が地面につきそうになっていたので慌てて呼び止めて注意すると、みかんはぺこりとお辞儀して廊下を駆けていく。文化祭当日の今日は朝からバタバタしていて、午後からのショーの為に私とみかんは奮闘していた。

 静けさに包まれた被服室で、徹夜で仕上げたセットアップを着せたトルソーを眺める。ノースリーブの袖のフリルや、パンツの裾のファーが我ながら可愛くて上出来だった。モデルに頼んだのは、みかんの小学校からの友達の美奈ちゃんだ。バスケットボールに所属している彼女の背が高くて華奢なところが気に入って、ショーのモデルを依頼した。

 きっと彼女なら、素敵に着こなしてくれるだろう。

 ワクワクした気持ちで彼女に電話をかけていると、開け放した窓から吹き込んできた風が真っ白なカーテンをはためかせた。校庭のふちに生えている木から緑色の混じったもみじの葉っぱが一つ、ゆっくりと落ちていった。


 ごめんなさい、と謝る声が遠くに聞こえた。


 美奈はおたふく風邪にかかっちゃって、今から病院に連れていくところなんです。

 早口でそう告げる美奈ちゃんのお母さんの声には、娘を心配するニュアンスだけが感じられた。受話器越しに伝わる気配に、早くこの電話を切らなければいけないと思う。

 お大事に、と告げて電話を切った。どうしよう。どうしたらいいんだろう、と早まる鼓動を感じながら、体育館に向かった。

 いつも歩いている見慣れた廊下は、ここぞとばかりに個性をむき出した学生たちで華やいでいた。私を見て、という承認欲求のあふれるその空気に耐えられなくて、次第に歩く足が早足になる。メイド服のギャルめの女の子3人組とすれ違う。中央の背の低い女の子の首からは「ホットドック、3年4組」と書かれたダンボールの札がかかっている。

 見たことのない制服を着た男子生徒の視線が自分の顔に集まってくるのを無視して、ひたすら下を向いていた。すれ違いざまに口笛をふかれて、私は手のひらを握りしめた。

 

「ええっ」


 そう言って絶句するみかんに、明るい笑顔を向ける。


「大丈夫。別に、ショーに出さなくても展示できるし。だから今日はみかんのサポートに徹するよ、私に任せて。あ、髪の毛のアレンジなら自信あるんだよ」


 コンセントに挿しておいたコテをパカパカと開く。去勢でもなんでも張らなければ、しぼみかけた気持ちをたもてそうにない。私の空元気を一瞬にして見破ったみかんは、私の手からコテを奪い取って言った。


「先輩、誰でもいいから引っ張ってきましょうよ。背の高い女の子なら、いっぱいいるじゃないですか。まだ時間あるし全然、遅くないですよ」

「もう、いいの。当日にモデルがおたふく風邪にかかるなんてこと、滅多にないよ。これはもう、神様が出るなって言ってるんだよ、きっと」

「先輩は無神論者でしょう」

「そんなことないよ」

「あります。先輩は自分以外何にも信じてないって顔をしてるじゃないですか」


 図星だった。私は神様なんて一度だって、信じたことがない。神様なんて良く分からないものに、自分のコアな部分を開けっぴろげにしたり、大切な選択をゆだねたりもしたくなかった。

 そんな面倒くさい私の性格を良く認識しているみかんは、私の両手を持って、自分の身体に引き寄せた。ももよりもずっと熱い、みかんの体温が伝わる。


「先輩は今日まで、頑張ってきたじゃないですか。この服に込めてきた気持ちは分からないけど、先輩はこんな形で投げ出すのを望んでないってことだけは分かります。先輩が行かないなら、私が行ってきますから、簡単に諦めようとしないでください」


 みかんはにらみつけるようにして私を見つめた。一歩も譲らないと言わんばかりに、その場に立って動こうとしない。そのまま見つめあって数秒が経ち、いつになく真剣なその顔に吹き出しそうになりながら、みかんの手をゆっくりと振り払った。

 私の次の行動を心配しているような表情に、優しく声をかける。


「私が行ってくる。そのかわいいドレス姿は、ショーまでとっておいて」


 みかんドレス姿のみかんは、頬を赤く染めてうつむいた。待ってますから、と口の先だけで呟く声に強く頷いて、走り出す。

 ジャージやメイド服、着ぐるみ。いつもよりもずっと色鮮やかな生徒たちの中から、たった一つの背中を探している。こうなるんじゃないかって予感がしていたのは、私がそれを強く望んでいたからなのかもしれない。

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