第9話


 あれからももは、朝から晩まで私につきまとってくるようになった。

 教室移動やトイレ、昼食のパンを買いに行くときまで、金魚のフンみたいに私の後ろについてくるももに対して、私は徹底して無視を決め込むことにした。尻尾を垂らしてしょぼんとしながら黙ってるものだから、余計タチが悪い。一週間ずっとだ。何か言いたいことがあるなら、口に出して言えばいいのに。

 私の家で起きた「アレ」について考えるのはもう止めた。きっと気分屋なももの一時の気の迷いの一つだと思うようにしてる。そんなものに振り回されて傷ついたりするのはいやだから。


 自分でもうまく説明のできない苛立ちを抱えて、被服室の扉をぴしゃんと閉めた。もものことを考えると気持ちがかき乱されることにむしゃくしゃして、いつもより動作が乱暴になっている。

 トルソーに沿わせた布にマチ針を刺しているみかんは驚いたように振り返った。来月に迫った文化祭のファッションショーに向けて、ドレスづくりも追い込みの時期にさしかかっていた。みかんがつくっているのはみかん型のみかん色のみかんドレスで(ややこしい)、きゅっとすぼんだ裾のところが膨らむシルエットが最高に可愛い。色白で華奢なみかんの脚のラインをきれいに見せてくれると思う。

 布や針やビーズを詰め込んだ裁縫箱を開き、昨日まで刺しかけていたドレスのレース刺繍に意識を集中させていく。こうしていると無駄なことを考えずに済む。みどりくんとももが今どこで何をしているのかとか、ももが私に話しかけないのはどうしてだろうとか、そういう、考えても仕方のないことを。

 針を引っ張り、また突き刺す。その繰り返しの時間に、濁った心が癒されていく。部活が終了する時間まで、みかんは私に話しかけてこなかった。


 「話しかけて欲しくないオーラ、出てましたもん」

 と口をとがらせるみかんは、やっぱり空気の読める出来た後輩だと思う。



 放課後、下駄箱にもたれかかるようにして立っていたももの頬は、夕日に赤く染まっていた。私に気づいているくせに目を伏せたままの彼女の前を素通りしてそのまま出て行こうとすると、ももは慌てて私の背中を追いかけてきた。

 完全無視、完全無視と口の中でつぶやきながら、みかんの手を引いてずんずん前に進む。私たちふたりの間にももの影がうつる。コンクリートの歩道に細く大きく伸びている。


「先輩、あの人、こないだ先輩の家に来てた人ですよね?先輩のこと、間ってたんじゃないんですか」


 みかんはちらちらと振り返っては、後ろに歩くももを気にしながら小声で私に囁いた。


「いいの。もう知らない。話すことなんて何もない」

「まあ、先輩がいいなら、いいですけど…。」

「そんなことより、ドレス。文化祭までに間に合いそう?大分完成に近づいてきたじゃん」

「はい!先輩にアドバイス頂いたおかげです。先輩のつくってる服も素敵ですよね。でも少し意外でした。てっきり、アイドルが歌番組で着るみたいにふわふわしてて可愛いドレスをつくられるのかと思ってたから。何ていうか、こう、ボーイッシュな感じですよね」


 私は少し微笑んだだけで、何も言わなかった。

 鋭い。あれはももに着せようと思ってつくっていたものだから、ボーイッシュに見えるのは当然かもしれない。作りかけているのは、白を基調に、レースやフリルをふんだんに使用したセットアップ。袖の膨らみや、ショートパンツの柔らかいラインで可愛らしさを残すようにした。ナポレオンジャケットに白いリボンで桃の刺繍をしたのは私の些細な遊びごころだった。


「おい」


 もものドスの効いた声が、みかんの動きを止めた。まさかこんな風に、会話に割り込んでくるなんて思っていなかった。顔を見合わせる私とももを見てあたふたとするみかんの様子を感じながら、私は吐き捨てるように言った。


「何よ。用があるなら早く言って。私忙しいの」

「こないだは、悪かったよ」


 ももは私の目を見ない。まるで地面と話してるみたいに、目線を下にやっている。


「別に、まっっったく気にしてないから。そっちも気にしないで。じゃ」


 前に向き直りみかんの背負っているリュックを強引に引っ張ると、ももは尚も私を呼び止めた。


「お前と、きちんと話がしてーんだよ」


 悲痛な声につい、足がとまった。そんなこと、言わないでほしい。重い鉛を飲み込んだときみたいに、息がしづらくなる。もうこれ以上、ももに深入りするのは止めようって決めていたのに、その決意がぐらぐらと崩れてしまいそうになる。

 私とももとの間に漂う不穏な気配をいち早く察知したのか、みかんは「あの」と明るい声を上げた。


「今日は私の家で文化祭の準備があるんです。先輩と一緒に。だから、ごめんなさい」


 さよなら、と言うと、みかんは私の手を取って一目散に逃げ出した。捨てられた子犬のような目をして私を見つめているももの姿がどんどん遠ざかっていく。

 もちろん、文化祭の準備なんて約束はしていなかった。

「迷惑でしたか?」

 と首をかしげるみかんの不安そうな顔にありがとうと言って、私は自宅のドアを開けた。ママが帰ってきていなくて助かった。誰かに話しかけられたら、すぐにでも泣いてしまいそうだったから。

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