第8話
カラフルな水玉のベッドに寝そべり、天井を見上げる。ももはいつも私がネコみたいだって言うけど、それはももの方だ。私が離れようとすれば、あの子が近づいてくる。
コンコン、とノックの音がして飛び起きると、ももは少し開いた扉からおずおずと顔を出してきた。お茶の入ったグラスの乗ったお盆を手に、上目遣いで私を見上げている。
「何よ。入らないでよ、こっちこないでよ」
「はあ?なんなんだよお前はよ、学校でもシカトしてよ、理由を言えよ理由を」
「別に、なんでもないから。もう、帰ってよ!しつこい」
露骨に傷ついたような表情を浮かべたももはうなだれて、「そんなこというなよ」とつぶやいた。空気に消え入りそうなほどの小声だった。少し言いすぎてしまったかもしれない。
ももはピンクのハート型のテーブルに置いたお茶を喉を鳴らして飲み干すと、立ち上がった。毛布を胸までかけて身構えていると、つかつかと歩み寄ってくる。漆黒のアイラインに彩られたももの瞳は真剣そのもので、笑ったり冷やかしたりしようものなら、きつい罵倒が飛んできそうだった。ヤンキーにしか見えないもものこういうときの表情は怖く凄みがあり、私は完全にビビっていた。
「何なのよあんたは」、と呟く声が震える。ももはベッドの上の私に馬乗りになると、顔を近づけてきた。つり目のアーモンドアイに、毛穴の見えない頬。ももの顔をこんなに近くで見るのは初めてだった。変なメイクさえしなければ美人なのにと思いながら、ももの鎖骨のあたりを押して距離をはかる。
「何、怖がってんだよ」
「うるさい!怖いのよ、顔が!そんなに、近づかないでよ」
「お前が、離れていくからだろ。こうしないとあたしの目、見てくれねーからだろ。何なんだよ、訳わかんねーよ。自己中にも程があるだろ」
自己中と言われて、頭が真っ白になった。
そうだ、ももの言う通り、私は自己中だ。
ももの幸せなんて考えられないから、私がももを失うのが怖いから、徐々にフェードアウトしようって思ったんだ。だけど、それってそんなに悪いこと?私たちはきっと、いつまでも一緒って訳にはいかないんだから。
ももの目をきっと睨み付けるとさすがに怯んだのか、顔を後ろに引かれる。バカ。このバカ女。
「不満があるならちゃんと言えよ。悪いことしたなら謝るから」
「…」
私の気持ちなんて、何にもわかってないくせに。
黙って俯いたまま、ふつふつと煮えている感情を必死に抑えこもうとするのに、尚のことももは私を刺激しようとする。
「ああ?」
「もう、やだ!帰って、帰ってよ!ほら、携帯鳴ってるよ。みどりくんじゃないの。みどりくんのとこに行けばいいでしょ」
机に置かれていたももの紫色の携帯を放り投げる。携帯は部屋の扉の付近までゆっくりと転がり、そして停止した。私とももはその光景をふたりで見ていた。
静まりかえった部屋の中で、バカみたいな言い合いを反芻した。
もう戻れないような気がした。何も考えず、ふたりでただ楽しく過ごしていた頃には。
「もう、無理。あんたなんか、大っ嫌い」
そう吐き捨てると、ももは私のふたつの手首を取り、ぎりぎりと上にねじり上げた。強い力を加えられたまま、冷たい壁に押し付けられる。
「やめてよ」と言おうとした瞬間、唇が塞がれて、突然呼吸ができなくなった。
今見ている光景が信じられなくて、意識が止まる。ラックスのシャンプーと、太陽の光をたっぷりと浴びたシーツの清潔な匂い。それから、唇のやわらかな感触。リップクリームを塗る習慣のないももの唇はひどくガサついていた。
思考停止した頭のまま、おろおろと視線を上下させるももの身体を強く突き放す。それからベッドに潜り込むと、顔が見えないように毛布に包まった。
ももが部屋から出て行くまで、私はぎゅっと目をつぶっていた。気を抜いたら涙が出そうだったから、全身に力を込めていた。「ごめん」、というももの弱々しい声が耳にこびりついている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます