第5話
「なんなんだよ、あんず。最近お前、冷たくねえ?」
別に、と答える声を必要以上に尖らせる。慎重にももと目を合わせないようにしながら、小さなラムネ入りのチョコレートの銀紙をはがしていると、横からそれをひょいとつまみあげられて、思わず顔を上げてしまう。ももの瞳に宿るさみしさのカケラに、すがってしまいそうになる。あふれる感情を抑えたくて、ぐっと唾を飲み込んだ。
桃に重いって思われたくない、その気持ちだけで、氷の張られた湖の上に立っている。
「さみしがってんの?」
「バカじゃないの。そんな訳ないじゃん。たった1日会ってないだけでしょ。鬱陶しい彼女みたいなこと言わないで」
「男前だよなー、あんずは。あたし、たまにお前に惚れそうになるよ」
にか。歯を見せて笑うももの笑顔は普段と何も変わらなくて、私一人が空回りしているみたいで何だか悔しい。昨日の昼休みは進路説明会があって、ももと過ごす屋上の時間は久しぶりにお預けになった。
大学に行く気のないももは、高校三年生の夏休み間際のこの時期になってもお気楽なもので、相変わらず勉強もせず、膝に青あざをつくりながら秋の柔道の大会に向けてストイックに邁進している。家の道場を継ぐ気でいるももは、一生この小さな田舎町から出ずに暮らしていくのだろう。
そんなももに、私の悩みを言ったところで良いアドバイスが返ってくるはずもないのだけれど。前の席に腰掛けるももの骨ばった背中に頬を寄せる。白いシャツの感触が気持ち良くてそっと目をつぶる。
「最近、めんどくさい。何もかも放り投げて、遊びに行きたい。何処でもいいから」
「どっか、行くか?あたし、原付飛ばしてやるよ」
ぶーんぶーん、とハンドルを回すしぐさをしながら机にまたがるもものスカートが翻った。ボクサー型のヒョウ柄。見たくもないパンツが見えて顔をしかめた私を笑って、「セクシーだろ」というももの頭を軽くぶってやる。
楽しそうな笑い声が、誰もいない屋上に広がる。
その週の日曜日、「原付をぶっ飛ばして」やってきたのは、隣町の海だった。目の前に広がる深い青緑色をぼんやりと見つめる。凪いでいる水面がきらきらと光る。定規で引かれたようにまっすぐな地平線に、オレンジ色の夕日が少しずつ沈んでいく。季節外れの海水浴場はわたしたちふたりの貸切だった。
テトラポットに登りながら、ももは私の手を引いた。いちばん上にふたり並んで腰掛けて、同じ風景を目に焼き付ける。つないだままの手の平からは私よりもあたたかい体温が伝わってきた。
カモメが一羽二羽飛びたち、次第に見えなくなっていく。柔らかい波の音が優しい。
「綺麗だな」と隣のももがつぶやいた。
単純なももは、何にでもすぐに感動する。テレビでかわいそうなニュースがあるたびに心を痛めてしまう繊細なところは、ももの外見と中身の間にあるギャップの一つかもしれない。だけど、ももの言うとおり、確かにこの風景はとても綺麗だった。いつでも取り出せる位置にしまっておきたい写真みたいに。
波打ち際に歩いていくももの背中が遠ざかったと思うと、わかめの大群や変なかたちの貝殻を拾ってきて、私のところへ戻ってきた。褒めて欲しそうに尻尾を振る彼女の桃色のほっぺたを、頬杖をつきながら見つめる。ずっとこうしていたい、いつまでも。
私ともものふたりだけを残して、退屈なこの世界が爆発しちゃえばいいのに。
あの時も、そんなことを思った。
旧校舎の女子トイレはすきま風が吹くせいか、いつも寒くて冷たくて、同級生たちは進んで利用しようとしなかった。人が来ない女子トイレ。私は何度もその場所に連れて行かれては、あることないことを責め立てられた。
それまではずっと、これは仕方ないことなんだと思うことにしていた。だって私は事実、他の人よりも可愛いのだから、同じ性別の人間から嫌われて当然なんだと。うっかり傷ついてしまったのは、私を取り囲む連中の中に「友達」だと思っていた留美を発見したからだった。
「この、あばずれびっち。しね、しんでつぐなえ、しねよ」
はやくとびおりてよ。なんでとびおりねーんだよ。
昨日まで、「ハッキリした性格が好き」と言って私を慕ってくれていたはずだった。留美の目の中に宿る炎のような赤色に責められていると感じる。
—どうしていつも、こうなるんだろう。
留美の取り巻きにぶたれた箇所が痛い。それほど強い力ではなかったはずだけど、ぼうっとしてたら涙が出そうで、歯を食い縛った。何の躊躇もなく、思い切り殴られたことがショックだった。私たちは繋がっていたはずなのに。あの瞬間笑いあった時間は、絶対嘘じゃなかったはずなのに。
どうして?
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