第3話


 堀込桃の唇の端についている小さなビスケットのかけらは、教室で女子生徒を威圧している普段の彼女とあまりにちぐはぐで、おかしくて間抜けで、何だか笑えてきた。次第にそれは、お腹の底から突き上げるような笑いに変わり、私は自分の身をよじりながら笑い転げた。

 笑いがようやくおさまってきて、目のふちに浮かぶ涙を拭っていると、「おい」と声をかけられて、振り返った。いつのまにか目覚めている堀込桃が、私を警戒するようにじっとこちらを眺めながら立っていた。


 屋上に吹き抜ける夏の風に揺れて、明るい金髪がきらきらと煌めく。短すぎるスカートが舞い上がり、細くて筋肉質の足がむきだしになった。それは教室の隅でいつもひとり、不機嫌そうに頬杖をつきながら窓の外をぼんやりと眺めている堀込桃で、私は身体を硬くした。

 授業開始のチャイムが鳴っているのに、早く教室に帰らなきゃいけないのに。私はその場から一歩も動けなかった。全身から殺気を放っている堀込桃を目の前にして、「関わるべき人間じゃない」と、黄色い電気信号が点滅した。


「お前、誰だ」


 徐々に距離を縮めてくる堀込桃の鋭い眼光にとらわれる。獲物を捕らえた肉食獣のようなその眼に、私の足はがくがくと震えた。干からびて張り付いた喉の奥をこじ開ける。


「あんずです。たかなしあんず」

「あんず…」

「はい。覚えてもらえてないかもしれないけど、堀込さんと同じクラスです」


 堀込桃はゆっくりと首をかしげた。どうやら、私の顔にも名前にも、心当たりがないようだった。そのとき、ぐううという音が聞こえた。お腹が鳴る音だと思った。

 堀込桃は、自分の金髪をぐしゃぐしゃと無造作にかき回すと、ぎょっとして彼女を見つめる私から顔をそむけた。チークをつけていない頬がほんのりとサーモンピンク色に染まっている。もしかして、照れているのだろうか。

 私は再びピンクの水玉柄のお弁当箱からマリーのビスケットの入っている赤い袋を出して、彼女の目の前に差し出した。堀込桃は乱暴にそれを受け取ると、中に入っているビスケットを2枚をつまみ、丸ごとハムスターのように頬張った。無表情で噛み締めて、咀嚼する。次々に堀込桃の口に消えるビスケットは、気づくと最後の一枚を残すのみとなっていた。


「もうないのか」


 堀込桃はぶっきらぼうに、でも少しだけ甘えたような口調でそう言った。

 後で食べようと思って残しておいたチョコレートを一粒手のひらに載せてやると、彼女は飲み込むようにそれを口に入れた。全然美味しくなさそうな顔をしながら、もっとよこせと言わんばかりに、空になった手のひらを私に向ける。


 そうしている内に、だんだんと、彼女の瞳から鋭い光が消え、私に慣れていくのが分かった。それはなかなか人に懐かない獰猛な生き物を手なずけたようで、クラスメイトの知らない堀込桃を発見した私はほんの少し得意になった。

 次の日から、私のお弁当箱は二倍の大きさになり、入れるお菓子の量もまた、二人分になった。私とくいしんぼうのももとの出会いは、とどのつまり、このような餌付けから始まった。

 強い日差しに照らされて、脱毛後の肌にうっすらと汗が浮かんでしみる、暑い夏の日だった。


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