第2話


 夏が忘れられない季節になったのは、ももと出会った季節だからだ。

 それは忘れもしない、7月16日。もくもくとした入道雲が空を覆い隠しかけている真っ青な空が広がっていた夏の日だった。私はその紐変わらずいつものように、ファッション誌と水玉柄の日傘を手に、屋上に向かう長い階段を上っていた。


 二時間目と三時間目の間にある一時間のお昼休みは、自分の好きなものに囲まれて過ごす至福のひととき。お弁当代わりに詰め込んできた可愛らしい星型のビスケットやアラザン入りのチョコレートを口にするこの瞬間は、毎日をやり過ごすための私の糧になっていた。

 しかし、その日の屋上の様子はいつもと少し違っていた。

 初めての先客。照らされるアスファルトの上で横向きに寝転ぶ金髪の少女。それがももだった。一度も話したことはなかったけれど、彼女の悪評は教室でつまはじきにされている私の耳にも入ってくるくらい有名だった。


 堀込(ほりごめ)桃。頭皮に近い部分が黒くなっているプリン頭の金髪ショートカットは黒髪をストレートに伸ばしたクローンを思わせる女子中学生たちの中で一際目立っている。紫色に塗られた唇や、太めのアイライン、むき出しの筋肉質な太もも。彼女を構成する要素すべてが、この私立高校に通う温室育ちのお嬢様の目には攻撃的に映ったようだった。


 堀込さんのお父さんって、暴走族の総長だったの、知ってる?お母さんはレディースの元ヤンで、若くして堀込さんを産んだんだって。

 えー、そんなひと昔のドラマみたいなこと本当にあるんだ?

 堀込さんって、ものすごく喧嘩が強いんでしょう。

 そうそう。刃向かってくる子は暴力でねじ伏せるって聞いた。

 そんな人この学校にいるの?怖い…。


 少女たちの口にする好奇や、軽蔑や、侮辱の中に、堀込桃という少女はふわふわと存在した。本当の彼女の姿は、きっと誰も知らない。少女たちの送る視線を物ともせず、飄々としている堀込桃のことを、私は「同じ種類の女の子」だと思っていた。


 そんな彼女が今、私の楽園であるこの屋上でひとり、気持ちよさそうに寝転んでいる。少し迷ったけれど、結局気にしないことにして、私は角にしゃがみこむとファッション雑誌のページを捲って溶けかけたチョコレートを口に放り込んだ。

 フリルのてろんとしたブラウスやオーガンジー素材のふんわりしたスカート。ビジューのついたパステルニットに袖を通すことを想像すると心がときめいた。ふわふわと頼りない色や生地を纏うことが私は好きだった。

 気に入ったお洋服に出会ってしまったら最期。私は一日中、そのお洋服を手にいれる方法を必死で考える。どんな方法を使ってでも手に入れたい。お洋服に夢中になってしまうこの気持ちはまるで恋と同じだった。

 臭くて不潔で退屈な男の子は嫌いだし、人を差別するのが大好きな女の子のこともそんなに好きじゃない自分にとって、恋をする対象は色とりどりのお洋服なのかもしれないとさえ思っていた。


 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いて、私はスカートのおしりについた砂を振り払いながら立ち上がった。

 堀込桃は屋上に来た時と全く同じ体勢のまま、気持ちよさそうに眠りについている。呼吸とともに、女の子にしては大きな身体がわずかに上下している。私は堀込桃の子どものように無防備な寝顔をじっと見つめた。凶暴な動物や人殺しのように周囲を威嚇する雰囲気は消えている。少しかわいらしいとさえ思う。

 しばらく視線を送っていたが、全く起きる気配がない。話したこともないクラスメイトだ。起こす義理などなかったが、その寝顔に少し情が移って、そのまま放って帰ることに少しだけ躊躇してしまう。

 突っ立ったまま日傘を差していると、くぐもった低音が堀込桃のお腹のあたりから聞こえた。お腹が空いているのかと思い、私はお弁当箱からマリーのビスケットを一枚取り出すと、彼女の半開きの紫色の唇に差し込んで、夢から覚める瞬間を待った。恐怖と好奇心が半々、というところだった。

 だけど私の予想は裏切られ、彼女はサクサクという音を立てながらビスケットを咀嚼すると、そのまま嚥下した。決して小さくはないビスケット一枚が堀込桃の口に簡単に吸い込まれていく様を呆然と見ていた。

 目の前の少女は目を閉じたまま起きない。起きる気配すらなく、すやすやと呼吸している。色濃く塗られたマスカラは天を向くように直角にカールされている。


 何だろう、この生き物。へんなの。

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