夕景に溶ける君と嘘

 いつものように昇降口へ行くと、彼が待っている。

 隣のクラスの五十嵐いがらし誠道せいどうは、私より少しだけ背が高く、私よりも線が細く、不健康そうで頼りない。

「ごめん、待った?」

「ううん。いま着いたところ」

 そっけなく言う彼に、私は苦笑い。

 五十嵐がおずおずと手を差し出してくる。私はその手を申し訳ない気持ちで取る。二人そろって校舎から出た。

 その時、

瑞穂みずほ、またねー!」

 背後から元気な声で私を呼ぶのは、友達の石丸いしまる七海ななみだった。思わぬ声に私はドキドキしながら振り返る。午後の授業ほとんど寝ていたからか七海は元気よくバスケ部の練習へ消えた。

「石丸さんって神出鬼没しんしゅつきぼつだよな……」

「そう、だね」

 本当に心臓に悪いんだから。

 私と五十嵐はそれから無言で学校から出て、駅まで歩いた。別にもう手を離してもいいのに、なぜだか駅までお互いに離せないでいる。

 手をつないでいたら、ちゃんと恋人っぽく見えるのだろうか。

 五分間。たった五分間が長く感じる。

 車が行き交う道路を横切って、制服で賑わう駅が見えてくる。電車の音が近くなると、私は罪悪感から解放された。

「じゃ、また明日」

 手を解いて、私は逃げるように五十嵐から離れる。これに、彼はぎこちない苦笑いを返してくる。

「うん、気をつけて」

 その言葉に軽く手を振って、私は駅の中へ逃げた。

 いつまでこんな生活を続けたらいいんだろう。それもこれも全部、私たちのせいなんだけど。


 入学してからしばらくは友達の七海と帰っていたけど、毎日中身のない「彼氏欲しい談義」に付き合わされるので、それから逃げるために面倒な口実を作ってしまった。

 五十嵐は、私の偽装彼氏だ。

 そもそも、私は恋愛ごとにうとくて、好きなひとがいない。なのに見栄みえを張って「彼氏できたから」なんてのたまったことから「じゃあ、彼氏見せて」から「彼氏いるなら邪魔できないね」までの道のりを歩む羽目になった。

 七海は悪い子じゃない。ただ、ちょっとノリが合わないなぁと思うだけ。だからといって、無下にはできない。

 そんな七海払いに抜擢ばってきされたのが、五十嵐だった。

 朝、駅で見かけた彼を写真に撮って七海に見せたら、勝手に調べられてSNSに『瑞穂に彼氏ができたってー!』と、まさかの写真つきで投稿された。さすがに投稿の削除をしてもらったけど、翌日になればクラスのほとんどが知るところとなり、ついに本人にまで言及されたのが一ヶ月前のことだった。

「――なんか、俺たち付き合ってることになってるんだけど」

 五十嵐はバツが悪そうに切り出した。涼しげな顔で言われると、私は怯んでしまう。

「まさか、隣のクラスのひとだとは知らず……ただ、彼氏がいないと、いろいろ面倒なことがあって」

「彼氏がいないといろいろ面倒なこと? どんなこと?」

 怒ってる、よね。やばい。ここは正直に言わないと。

「えっと……勝手に写真上げたあの子から逃げるために彼氏を偽装しました。ごめんなさい」

 素直に頭を下げる。

 すると、五十嵐は慌てて私の肩をつかんだ。

「いや、別に謝ってほしいわけじゃないんだ」

「はい?」

「実は……」

 そう言って、五十嵐は口元を引きつらせた。スマートフォンを出して、私に見せる。SNSのタイムライン。そこには、五十嵐ではない誰かのアカウント名で写真が投稿されている。そこには、私の後ろ姿があった。

「俺も、彼女いるって嘘ついてたから」

 そうして五十嵐はスマートフォンをポケットにしまい、唖然あぜんとする私から目をそらした。

「ごめんなさい。俺も、彼女がいるって嘘ついてて。そしたらそいつが俺たちが偶然並んでるとこを見つけたみたいで……」

 まさか私と同じような状況になっていたとは知らず、しかも同時期に同じような投稿をネットにさらされるなんて。これはもしや、友達に嘘をついた罰なんだろうか。

 私は頭を抱えた。そして、最低な案を思いつく。

「い、いっそ、付き合ってみる? もうこの際、本当の恋人になったほうが良くない?」

 すると、五十嵐は不満そうに眉をひそめた。

「それは無理だろ。そもそも俺、横山よこやまのこと、タイプじゃないし」

「はぁぁ? 私だって、タイプじゃないんですけど!」

「じゃあ、やめたほうがいいよ。俺たち、気が合わない」

「そうあっさり言われると余計に悔しいんだけど」

 どこまでも冷静な五十嵐。対して、私は釈然しゃくぜんとしない。勝手に私の写真を使われて腹が立っているのも含むけど、こうも真っ向から「タイプじゃない」と言われたら素直にムカつく。

「じゃあ、素直にみんなに謝る? て言うか、これって私たちが謝んなきゃいけないの?」

 元はと言えば、お互いのお節介な友人が招いた迷惑行為のせいだ。私たちが嘘をついたのも悪いけど、それで勝手に騒ぐ外野もめんどくさい。

 すると、五十嵐が呆れたように息をついた。

「普通にスルーしようよ。めんどくさいし。お互いなにもありませんって顔しとこう。めんどくさいし」

「めんどくさいを二回も言うな。私だってめんどくさいし……」

 そんな言い争いをしていると、校舎のほうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

逢引あいびき現場だー!」

 この事件の犯人、七海が登場。どうしよう、逃げ場がない。

「んもう、みんなにバレバレなんだから、堂々とイチャイチャしなさいよ!」

 誰が勝手にばらまいたと思ってるんだ。と言いたい気持ちを我慢がまんする。

「……えっと、そうなの。こちら、彼氏の五十嵐くん」

 しまった。思わず口走ってしまった。横に立つ五十嵐の顔が見られず、私は七海のノリについていくしかない。

「五十嵐くん、こんちはー! ごめんね、うちの瑞穂に彼氏ができたって聞いたから、いてもたってもいられなくてー、つい写真載っけちゃった」

「いえ……まぁ、これからは気をつけてくれれば」

 五十嵐の声が固い。罪悪感を覚え、手のひらがじっとりと汗ばんでいくのを感じながら、私はテンション高く笑った。

「あはは、もう七海ったらー」

「ごめんごめん。んじゃ、二人きりのところを邪魔じゃましちゃ悪いから。またねー!」

 手を大げさに振って七海を追い払う。姿が見えなくなり、私は作っていた笑顔をすぐに崩した。

「……横山って、あの子の前ではすげー気ぃ使うんだな」

 五十嵐が意外そうに言う。そこには同情の色があった。

「でも、それ俺もわかる。ひとごとに思えない」

 こいつ、かなりテンション低いけど、友達の前では私みたいに振る舞ってるんだろうか。下手に笑う五十嵐の顔から、私もひとごととは思えない空気を感じ取った。

「しかしこれ、本当に付き合わなきゃいけない感じ?」

 一転してめんどくさそうに言われる。私は腕を組んで考えた。

「うーん……まぁ、放課後一緒に帰るだけで、ほとぼり冷めたら別れたってことにしようよ」

「さっきから失礼すぎる提案ばかりしてくるな」

「お互いタイプじゃないんなら、別に気を使わなくても良くない?」

「……確かに」

 五十嵐は細い目を見開いて合点した。


 そうして、私たちはいまに至る――

 きちんと付き合ってるわけじゃないし、お互いに罪悪感を感じながら放課後だけ会って五分間、手をつないで帰るだけ。

 私は中学のときも彼氏なんていたことがない。だから、別れようと言うタイミングがつかめない。一ヶ月も一緒に帰っていれば謎の義務感が発生してしまい、自然に淡々と過ぎていく。

 でも、一ヶ月付き合っただけですぐ別れるのってどうなんだろう。私のクラスで彼氏がいる子たちは毎日仲良さげに過ごしているし、一向に別れる気配がない。いや、好き同士なら当たり前か。私がおかしいだけなんだよね……はぁ。困った。五十嵐といつ別れたらいいんだろう。


 ***


 友人、長尾ながお由季暢ゆきのぶの空気の読めなさには日頃から辟易へきえきするものだが、無下にあしらうこともできない。しかし、他人を勝手に巻き込むのはダメだ。だって、めんどくさい。そりゃ、おだてられて見栄を張った自分のせいなんだけど。

 昼休み、食堂で玉子丼を食っていると由季暢は女子の群れを見ながら言った。

「誠道ってイケメンだよねー。ミステリアスっていうの? そういう感じが女子にウケる」

 由季暢のイケメン定義はわからない。

「オレなんてさー、女の子から友達感覚にしか思われないんだよねー。いいなー、彼女持ち。うらやましー」

「別に、彼女いるからっていいことは」

「出たー! いいなぁ、オレもそういうこと言ってみてーよ」

「……まぁ、彼女いると安心感あるよな。おまえも早く彼女作れよ」

 見栄を張るというより、口が滑りやすいんだよな……はぁ、なんでいつもこんななんだろうな、俺は。場をしらけさせるのが嫌だから、どうしても空気を読んでしまう。

「へぇ。彼女がいると安心感あるんだ」

 唐突に背後から女子の声が聞こえた。それは俺の偽装彼女、横山瑞穂。俺たちの後ろの席に座っている。

「ゴフッ」

 米が気管に詰まり、俺はすぐに顔を背けた。

「あれー、瑞穂ちゃんだー」

 由季暢が無邪気に絡みにいく。すかさず横山は、俺に浴びせた冷ややかさをかき消し、百点満点の笑顔を作った。

 こいつも難儀な性格だよな……。


 放課後はまたあのぎこちない時間がやってくる。横山と一緒に帰るようになってから二ヶ月以上経ったが、手をつないで五分間だけの恋人になるのも自然な流れとなった。

 しかし、気の利いた会話ができるはずがなく、結局無言で駅まで送り届けるだけ――

「ねぇ」

 ふいに横山が声をかけてきたのは、信号ひとつ渡れば駅につく時だった。

「昼間のあれ、嘘だよね?」

「えっ?」

 思わずドギマギしてしまう。あんなクソみたいな発言をしたから余計に恥ずかしい。それに、幻滅されたくない。

「あー、うん。そりゃ、まぁ」

 口はまったく素直じゃなかった。

 すると、横山が鼻で笑う。

「やっぱりそうだよね」

「当たり前だろ」

「タイプじゃないもんね」

 横山はぽつりと冷たく言った。目線を向けても、横山のまっすぐ整った前髪があるだけで、顔を覗き込まないと表情がわからない。

 信号が青に変わり、横山は俺の手を引っ張って歩いた。

「それじゃ、また明日」

 横山が手を振りほどく。肩にかかる髪の毛がさらっと風に流れ、横山は一切振り返らずにスタスタと駅まで歩いていった。その輪郭りんかくが夕景に溶けていく。

 タイプじゃないと最初に言ったのは俺だから、強気に出られない。好きにならないと宣言したようなものだ。いまさら横山のことが気になっているなんて言えない。

 あいつは、俺のことをどう思ってるんだろう。

 もうずっと一緒に帰っているけど、それ以上のことはない。だから、余計に気になってしまう。

 あいつが他の誰かと話している現場に居合わせると、なんだかムカついてしまう。俺よりも他の男のほうが横山と距離が近い。それがすごく嫌だ。付き合ってるわけじゃないのに。

 だったら、いっそ本当に――

「いやぁ……いまさらだよな」

 好きになりました、なんて言えるわけない。


 ***


 好きじゃないくせに、五十嵐は「彼女がいると安心感がある」と見栄を張る。

 いつも申し訳なさそうに手をつなぐし無言だし、仕方なく私の嘘に付き合ってるだけじゃん。あれもただ長尾くんの手前、適当に話を合わせていただけでしょ。ほんと、調子に乗らないで欲しい。でも、悪い気はしなくもない。

 こうして一緒に歩いて帰るのも、別れのタイミングをうかがっていること三ヶ月。手をつなぐことに抵抗はないけれど、私の気持ちは安堵に満ちていた。いまや、放課後が息抜きの時間になっている。

「気を使わなくていいからかなー」

「え?」

 私の突然の言葉に、五十嵐はこちらを見ずに反応する。

「いや、ほら、好きじゃない相手だから気を使わなくていいわけじゃん?」

「あー、うん。そうだな」

 相変わらずそっけない。私はもうなにも言うまいと口をつぐむ。

 すると、五十嵐は自嘲気味じちょうぎみに笑った。

「好きになるわけないもんな……じゃあさ、もうやめない?」

 思わぬ言葉に、私は道の真ん中で立ち止まった。すると五十嵐も立ち止まり、つながった手が空中で水平になる。

「もういいだろ、そろそろ」

 そう言う彼の声は、真っ赤に燃える夕焼けの中でも冷え冷えとしていた。逆光で彼の表情が見えず、私は急激に不安に襲われた。

「そう、だね……何ヶ月だっけ? 意外と続いたよねー。あはは」

 すぐに笑いがれる。

 あれ? おかしいな。私、どうして落ち込んでるんだろう。

「なぁ、横山」

「……なに?」

「なんで石丸さんとめんどくさい友達やってんの?」

 なんで急にそんなことを。

 五十嵐の問いに、私は言葉に詰まった。

 中学のときから男子と距離をとっていたけど、高校生になったら私も好きなひとができるんじゃないかと思っていた。でも、自然と男の子を好きになるなんて難しい。

 そんな時、

『瑞穂も男子と付き合えば世界が変わると思うよー?』

 高校に入学してすぐ、七海と仲良くなった。でも話が合わなくて困った。つまらないと思われたくない。私だって、ひとを好きになれる。でも、このままだったらどうしよう。その不安から私の狭い心が揺れた。

「ひとりになりたくない……」

 たとえ性格が合わなくても、ひとりになりたくない。そんな自分を認めたくなくて、嘘をついてしまった。まったく、なんでこんな繋ぎ止め方しかできないんだろう。呆れるほど馬鹿だ。

「まぁ、そんなところだよな。俺もそうだし」

 彼はなにやら含むように言った。そして、ズバリと指摘する。

「横山って、嘘がうまいよな」

 うん、そうだよ。そのせいで、自分の首を絞めている。

「でも、俺の前では嘘がつけない」

 そう言って五十嵐は私の前に戻ってくると、困ったように私を見下ろした。

 たぶん、私は泣きそうな顔だろう。涙をこらえようと踏ん張っている。ここでも私は自分に嘘をついていた。

 それを見透かすように、五十嵐が頬を緩める。

「俺さ、横山が好きになったんだ」

 静かな空間に、彼の言葉が浮かぶ。

 ん? いま、なんて言った?

「もう嘘つかなくていいよ。俺も嘘つきたくないし」

「待って待って。嘘でしょ? だって、私のこと好きじゃないって」

 どうしよう。意味がわかんない。なんでそうなった。私を好きにならないはずじゃなかったっけ?

 考えていると、五十嵐は柄にもなく大声で言った。

「いや、さすがに毎日一緒に帰ってたら嫌でも気になるだろ!」

「そう、なの?」

「そうだよ! 逆におまえはなんも感じないの?」

 その手は少し汗ばんでいる。彼の熱を直に感じていると、私の手まで熱くなった。

「あ、安心するかも……」

 自分でも気づかないうちにこの五分間が大事になっていた。私は、五十嵐のことが好きなのかもしれない。

「じゃあ、どうする? もう本当に付き合う?」

 そう言う彼の顔が、あまりにも嬉しそうだったので、私の口は照れ隠しに文句を言った。

「し、失礼な提案するなぁー」

「それはお互い様」

 うーん、ダメだ。言い返せない。

 駅までの五分間、私たちは嘘の恋人だった。でも、つないだ手はまだまだしばらく解けそうにはない。

 私たちの嘘は夕景に溶け、跡形あとかたもなく消えていった。

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