恐
口 ― くち ―
何かが落ちている。道の脇にあったそれに向かって、ぼくはゆっくりと近づいてみる。
「なんだこれ」
しゃがもうとすると、急に上からばさばさっと教科書が落ちてきた。しまった、ランドセルきちんと閉めてなかった。
足元に散らばっている教科書とノートを一つ一つ拾い上げる。と、その落ちていたものに目がいったので、その正体がなんなのか分かった。
それは、人の口だった。
なんでこんな道ばたに口が落ちているんだろう?
ランドセルを道に置き、教科書とノートをしまいながら、ぼくは「うーん」と考える。
なんだろう。だれかが落とした……ってことなのかな。
でも、口って落とすものかな。
もし、誰かの落とし物なら、しゃべれなくて困ってるはずだ。ご飯も食べられないし、おやつだって。のども、かわいてるかもしれない。
今度はきちんとランドセルを閉めて、僕はまたその落とし物に近づいた。
指でつつくのはなんだか怖かったので、近くにあった木の枝を拾う。
ちょんっと、つついてみようか。
うーん、でもいたかったらかわいそうだなぁ。じゃあ、いたくないようにしたらいいかな。
そっと、そっと、枝を近づけて、その口にさわった。
ぷにぷにしてる。ぼくのと同じくらい、やわらかい。
すると、口が少しだけ開いた。
「うわっ」
思わず、しりもちをついてしまう。びっくりした!
だって、どんどん口が開いてって、その中身が見えてしまったんだ。
ぼくはおしりをパンパンとはたいて、もう一度、その口を見てみる。
今度はびっくりしても、大丈夫なように座りこんだ。
口はもう閉まっていた。
いくら待っても開かない。じゃあ、やっぱり木の枝でつつくしかないな。
さっきは全然、中身が見えなかったけど、ちらりと見えたのは歯だった。口の中に歯があるのは当たり前なんだけど、もっと調べる必要がある。
木の枝を近づけて、えいっと刺す。ちょっとだけ、いたかったかもしれない。
でも、そんなことを考えている間に、口は大きくかぱっと開いた。
奥は真っ暗で何も見えない。でも、歯と
もう少しよく見よう。
ぼくは口に目を近づけた――でも、それは出来なかった。急に後ろから手首を引っぱられたからだ。
「航太! あんた何してんの!」
そんな大声が耳の奥へキーンと響いていく。
「姉ちゃん?」
中学生の制服を着た姉が、ぼくの手をぐいっとつかむからランドセルごとひっくり返ってしまった。
「ほら、早く立って! 帰るよ!」
「ええ〜なんで……」
「いいから早く!」
姉の怒った声は、今までケンカした中でも聞いたことがないくらい、こわかった。もう口ごたえせず、命令にしたがう。
起き上がるとすぐに、姉はぼくの手首を引っ張って走った。なんだか、にげるように。
「ねぇ、どうしたの?」
ずっと足元を見て走っていたから、顔を上げて聞いてみる。すると、姉のまだ怒っているような横顔が見えた。
「あんた、あれに触ったでしょ」
「え?」
「口よ、あの口」
「うん……さわったけど、なんで? ダメなの?」
「駄目に決まってるでしょ!」
走りながら、姉はまた怒鳴った。そんなに大声で言わなくても聞こえてるよ。こわいから口ごたえしないけど。
家の前までたどり着くと、姉はようやくぼくの手をはなした。そして、キッとつり目を見せてぼくをにらむ。
「いい? もう、あれに触ったら駄目だからね」
「なんで?」
どうしてそんなに怒るのか。
ぼくの「こうきしん」をふみにじろうとするなんて、例え姉でも許されないぞ。
そんな風に思っていると、姉はさっきとは逆に小さな声で何か言った。
「姉ちゃん、なんでダメなの?」
「……食べられちゃうから」
その声が耳に入った時、ぼくは一瞬だけ息を止めた。
「前にね、友達が食べられちゃったの。あの口が、まだあんなとこにあったなんて……だから、ね。もう絶対に近付かないでよ」
食べられちゃう……それを知ったぼくは、もう何も言えずに首を縦にぶんぶん振った。もう絶対に近づかない。
すると、姉はやっと怖い顔をやめて笑顔になった。
「よし。それじゃあ、おやつ食べよ。今日は確か、シュークリームがあったはず……」
玄関のドアを開けて、姉はさっさと家の中へ入って行った。ぼくもその後を追いかける。
それにしても、あれは、だれの口だったんだろう。
おやつのことよりも気になるけど、食べられてしまうなんて話を聞いたら、もう考えたくもなくなってくる。
姉はごきげんで、冷蔵庫からシュークリームを出していた。
自分の口よりも大きなシュークリームをぱくんと食べる。おいしそうだから、ぼくも早く手を洗いに行こう。
すぐに戻ると、姉はもうすでに一つ目を全部食べてしまっていた。
「――姉ちゃん」
「ん?」
「あのさぁ」
口の周りについたクリームをぺろりとなめる姉がぼくを見る。
「さっきの口……その、口に食べられちゃった友達ってどうなったの?」
「………」
しばらく、姉はだまっていた。だからぼくも、じっとだまっている。
姉はしゃべらないまんま、二つ目のシュークリームを取ると、大きく口を開けてかぶりついた。
「――うん……えっとね、知らない」
答えが返ってきたのは、二つ目を飲みこんだ後のこと。
「でも、多分、美味しかったと思うよ」
笑顔でそう言ってしまう姉が、ぼくは一番こわいと思った。なんでかは分からないけど、肩がぞくっとした。
それきり姉は何も話さない。おやつを食べ終えると、もうぼくのことなんか気にせずに、自分の部屋へ上がっていく。
残されたぼくは、ゆっくりとシュークリームを食べながら考えた。
あの口に食べられてしまったら、どうなるんだろう。
食べられてしまった友達はどこに行ったんだろう。
姉は「知らない」としか言わないから、ぼくがそれを確かめるしかないんじゃないか。出来れば、助けてあげたいし。
もしかすると、この間から帰ってこないお父さんも、あの口に食べられてしまったのかもしれない。
明日、もう一回だけ行ってみようかな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます