カゴノニワ 後編

 任務開始の日。船である1951号に乗り込み、私たちは一九五一年の世界へと降り立った。

 私たち1951G班は港町の小さな街で根城を造ることにした。

 戦後十年足らずでほとんどの復興が済んでいたこの街は、あちこちに店が建ち並んでいた。ただ、空き家が目立つのが戦後の爪痕を物語っている。

 出発前に在る程度の作戦は練っていた。そして、私たちはこの時代に溶け込む様に潜伏しなければならないので、表向きの設定を作った。

 その際に少々の揉め事はあったのだが……

「仕方ないだろう、アロワ。お前が一番ガキっぽいんだからさぁ」

 出発前、不機嫌な顔をするアロワにジャスミンがなだめる様に言った。

「だからって、僕はもう成人しているんだよ。いくらなんでも酷すぎると思うけれど」

 アロワの不機嫌の種は、班長の一言だった。

「ターゲットの中に学生が交じっているようだから、だれかこの中学校に行って欲しいんだよなぁ……よし、アロワ、お前に決定だ」

 理由は、ただ一つ。彼が童顔だからだった。

 ジャスミンは大笑いし、ユーリーは声を押し殺して笑っていた。

 私も思わず苦笑する。

「今のは絶対にパワハラだよ」

 アロワの機嫌はしばらく治りそうもなかった。

「ユカリじゃダメなのかな」

 なんだか飛び火してきそうな発言が聞こえてくる。するとジャスミンが笑い飛ばすように言った。

「ユカリはダメよ。あんな巨乳の中学生、いるわけないでしょ」

「うーん……でもさ、思春期の男子からしたら喜びそうなキャスティングだと思うんだけれど……」

 今のアロワの発言は明らかにセクハラだ。

 私は笑顔で彼の後頭部に銃口を突きつけた。

「撤回を要求致します」

「………」

 そんな殺伐とした空気の中、ユーリーが切り替える様に手を叩いた。

「はいはい、そこまで。では班長、アロワ以外のメンバーはどうしますか?」

 そう取り繕う様に言うけれど、彼だって人一倍笑っていた。アロワが益々不機嫌そうな顔をする。

「とりあえずアロワの保護者が必要だ──よし、俺がアロワのお父さんになろう」

 班長が楽しそうに言う。

「ジャスミンとユカリはアロワの姉でいいだろう」

「はぁ……」

 私とジャスミンは顔を見合わせる。

「問題はお母さんだ」

 班長は偉く真面目腐った顔で言い、チラリとユーリーを見る。

 私たち全員が彼を見た。

「え? 私ですか?」

 もの凄く嫌そうな顔で、ユーリーが言う。これで配役は決まった。

 しかし、不満そうなユーリーとアロワは一九五一年に降り立った今でもなかなか機嫌が治らなかった。

 根城は町中にある古い木造の店跡に決定した。

 一階が店で、二階が居住地になる。私たちは取り敢えず、二階のリビングでミーティングを行った。

「えーっと、毎度のことだが。任務中はコードネームを使わなければならない。なので、今からどうするか決めようか」

 任務中はいつ誰に目撃されるか分からない危険を伴う。本名で呼び合っていたら、この時代の政府に嗅ぎ付けられて面倒なことになる。それを避ける為の大事な規則だ。

「簡単でいいだろう。この国の言葉で分かりやすいやつで」

 班長が腰に手を当てて皆を見回す。

「それなら数字はどうですか?」

 ユーリーが提案する。すると班長は眉間に皺を寄せた。

「前回の任務も数字だったろう。どうせなら違う方がいい」

 班長のこだわりがよく分からない。ユーリーはやれやれと言わんばかりに溜め息をついた。

「じゃあ色の名前!」

 ジャスミンが元気良く言った。

「だって前回は数字でしょ? その前は頭文字、その前はアルファベット……色の名前は今まで使ってなかったじゃない」

「うむ。それでいこうか」

 あっさりと許可された。ジャスミンは喜んでいた。

「それならば、班長は『グリ』がよいかと」

 私も小さく手を挙げる。

「私、班長の瞳の色がとっても好きなのです。だから『灰色』」

「ユカリが言うならそうしようかな」

 班長はえらく気に入った様に、私の頭を撫でた。

「じゃあ、私は『ヴェール』ね! 旧祖国の国旗が『緑』だからさ。私の大好きな色!」

 ジャスミンが言った。

「好きな色でいいなら、僕は『ブラン』にするよ」

「茶色?」

 アロワの言葉にジャスミンが首を捻る。

「アンタ、茶色が好きなの?」

 そう問われると、アロワはきざったらしく人差し指を振った。

「僕のパーソナルカラーさ」

「ふうん。そう。まぁいいんじゃない?」

 ジャスミンは適当に言った。

「ユカリはどうする?」

 班長が聞いてきた。私は少し考える。

「黒はどうかな?」

 アロワの提案は勿論却下する。

「黒がいいよ。髪色も黒だし、君の名前は旧祖国の文字で黒を意味するんだろう?」

「黒なんてユカリには似合わないよ。馬鹿だねぇ」

 ジャスミンが笑い飛ばす様に、アロワに言う。

 しかし、癪だったので私は別の案を閃いた。

「『ヴィオレ』がいい」

「紫、か。黒とあんまり変わらないんじゃないか?」

 班長が訝しげに言う。しかし、私は首を振った。

「いいえ。ユカリという名前は旧祖国の文字で紫を意味します」

「へぇ。そうなんだ」

「はい」

 私は笑顔で言った。班員全員が納得する。

「じゃあユカリはヴィオレだな。あとは──」

 全員がユーリーを見る。

「私は何でも構いませんよ」

 彼は穏やかに言った。

「じゃあ、『ローズ』で」

「早すぎませんか!? もう少しよく考えてくださいよ!」

 班長の提案に、ユーリーが反論する。

「さっき何でも構わないと言っただろう」

「ですが! よりにもよってローズって……!」

 でも、彼にはぴったりだった。何しろ、彼はよく女装する。いや、これは任務の為に仕方なくしているわけで、あくまでそういう趣味を持っているわけではない……はずだ。中世的な顔立ちの彼は、色仕掛けの囮捜査が得意なのだ。

 私たちは笑い合った。時間が止まれば良いのにと、本気でそう思った。

 しかし、この楽しい時間はただの仮初。

 任務とは別の、私だけの任務がある。

 絶対に遂行させ、旧祖国を取り戻す。

 必ず。


 ***


『──ターゲットは南方向にて車で移動中。ヴィオレ、行けるかい?』

 耳に取り付けた耳栓型通信機から、アロワの声がする。

「もちろんです」

『上空にてヴェールが狙撃で援護する。君はそのままターゲットを追ってくれ』

「承知致しました」

 首都郊外の大通りを黒塗りの車が走る。その後ろを私はバイクに乗って後を追っていた。ジャスミンの遠方狙撃により、車のタイヤに弾が当たる。車はスピードを落としていった。

 私はバイクを運転したまま、銃を構える。

 後部座席に乗る人物に弾が当たった。私はもう一発狙った。

 すると、車が止まった。慌てて私もバイクを止める。

 銃を構えたまま待っていると、中から女が出てきた。

 その腕の中には赤ん坊がいる。女は泣きながら私に向かって叫んだ。私は構わず引き金を引いた。同時に、耳栓からアロワの声がしたが、今の私にはまったく聞こえていなかった。

 だからまさか、彼から『ユカリ、やめろ!』と言われたこと等分かる筈もなく、私は女とその赤ん坊を撃った。


「どうして撃った?」

 家に戻って、私はアロワからの叱責を受けた。その背後では黙って私を見る班長、ユーリー、ジャスミン。

「君はいつもそうだ。危険分子対象外までも葬ることはないだろう」

「例え、対象外でも危険分子の親族ならば根絶やしにする必要があると思いますが」

「そこまでのことを僕らは必要とされていない。いいか? これは重要機密任務なんだ。こんな大々的に仕事をしていたら班員までも危険に曝すことになるんだぞ」

「あなたからそんな言葉を聞くとは思いませんでした」

 私は冷ややかに言った。アロワが眉間に皺を寄せる。

「なんだって?」

 私は真っ向から彼を見据えて言った。

「昔はあんなにも協調性がなく、周囲を馬鹿にし、同級生をおどしていた貴方にそんなことを言われる筋合いがない、と言っているのです」

 その瞬間、アロワが私の頬を叩いた。

「アロワ!」

 背後で班長とユーリーが彼を咎める。

「お前、何も手を出さんでいいだろう。ユカリ、お前も口が悪いぞ。言い過ぎだ」

 班長が言うが、私は聞いちゃいなかった。

「アロワ、あなたは昔に比べたら随分と保守的になりました。あなたには正直がっかりです」

「君は昔に比べたら随分と自分勝手になったようだな。君がこんなにも傲慢で、強情だとは思わなかった。ユカリ、君には正直がっかりだよ」

「いい加減にしろ!」

 班長の怒号と拳骨によって、私とアロワの言い争いは中断された。

「班長、あなたが手を出したら説得力がありませんよ……」

 ユーリーの呆れた様な声が聞こえる。

「やかましい。こうなったら力づくでも止めんと収まらんだろう」

 班長の拳骨はなかなか痛い。アロワもうずくまって頭を抑えている。

 私も少し冷静になったが、アロワに対する疑心は晴れなかった。最も、危険分子以外の親族及び近親者を抹消しては行けないなどの規則はない。

 あんなにも彼が保守に拘るのは、自分の地位を危惧しているのだろうと思い込み、私はアロワを軽蔑していた。


 ***


 翌日、運命の日がやってきた。

 ターゲットは廃れた貴族の一家。主人である初老の男が今回の危険分子だ。私はアロワの指示で、強行突破に出た。

 応援で班長も合流するが、先に在る程度のことは済ませる。

 取り敢えず対象の近親者は早々に抹殺した。

 あとは危険分子のみになった時、対象者は薄ら笑いを浮かべて私を見た。既に動けないよう、足に二発弾は撃ち込んでいたのだが、彼は何故か私に勝ち誇った様な笑みを浮かべていた。

「何がおかしいのですか?」

 私はつい問いかけた。すると対象者は口の端をつり上げて言った。

「お嬢さん、いくら欲しい?」

「……は?」

「貴様、あれだろう。あいつら、奴隷共の仲間だろう? 私が苦しめてやったあの奴隷共の。最近、貴族狩りが行われているというが、貴様もその類だろう? だがな、こんなことをしても無駄だぞ。私のような者はいくら狩った所ですぐに湧いて出てくる。格差というものはなくならない。それならば、貴様ら奴隷は大人しく強い者の下についてれば幸せなのだ。違うかね?」

「うるさい……」

 私は怒りで震えそうになる右手を左手で押さえながら、銃を向けた。

「私はもう奴隷じゃない! 馬鹿にするな!」

 引き金を引いた。同時に対象者はゲラゲラと笑った。

 私が撃った弾は奴に命中した。確かに命中したのだが、どうやら奴は自らに爆弾を仕込んでいたようで、私は爆撃にふっ飛ばされた。耳の奥でアロワが叫ぶ声がしたが、今となってはもう分からない。多分、私の名前を呼んでいたのだろう。私は宙に舞う中で、先ほど男が言った言葉を思い返した。

 この世界は女神の支配下ではない。でも、結局女神が支配しようが人間が支配しようが、この世の混沌とした闇は変わらない。人類在る限り、人は自分よりも弱い者を見下し、侮辱し、支配していく──ならば、強い者を排除すれば良い。この世の強き者は全て排除すれば良い。くだらない縦方向の世界等、必要ない。女神だろうが、権力者だろうがもうどうでもいい。

 支配する者は全て──排除だ。

 目の前で強く激しく燃える炎は、まるで私の中に形成された黒い塊を燃え上がらせていくようだった。

 私は態勢を立て直し、宙を舞ったままの状態でバランスを保とうとした。

 しかし、爆風は私の想像を遥かに超えており、私は柱に打ち付けられた。咄嗟のことに思わず頭をぶつける。その衝撃で、耳に付けていた通信機が外れてしまった。

『──リ! 聞……え──!? 返──す……んだ!ユカリ!』

 通信機からは相変わらずアロワの声がしていた。途切れ途切れに聞こえてくる。私はズキズキ痛む頭を抑え、通信機にすがる様、手を伸ばした。

「──アロワ……聞こえています。私は大丈夫です……」

 しかし、応答しても彼には届いていないようで、アロワは尚も私に無事を確認していた。

「アロワ、聞こえていないのですか? 私は応答しています」

 無意味だった。彼にはまったく伝わっていない。通信機は壊れていた。

 やがて、アロワは諦めたのかもう言葉を発しなくなった。私ももう憔悴しきっていて、声を出すのが億劫になった。

 それから私は、重たい身体を引きずってその場を離れた。任務中に我を忘れることはしばしばあるが、こんなにも酷いダメージを受けたことはない。体中が痛み、全身にヒビが入ったみたいに気を抜いたら壊れてしまいそうだった。

 どうにか班に合流しようと思った。通信機は使えない。だが、私の体内に残っている探知剤で居場所は割り出せるだろうから、すぐにでも駆け付けてくるだろう。しばらくはそう考えていた。人目につかない森の中で私は身を隠して踞る。

 その時にぼんやりと考えていたのは、先ほど排除したあの貴族の男の言葉だった。

 私は過去の女神がいない世界に憧れていた。でも現実はそうじゃなくて、あまり未来と変わらない、ただ支配者が変わっただけで現状は何も進歩してはいなかったのだ。どれだけ地球が豊かになろうと、私たち人類は何も満たされないのだ。

 そんなことを考えていると、私は一体何をしているのだろうと虚無に苛まれた。

 人類の滅亡を阻止するなんて、大仰なことを言っておいて──今ではアロワの目論む人類滅亡に賛同さえしている。

 私は自嘲気味に笑った。

 ひとしきり笑ってまた思った。短かったけれど、家族で過ごした日々は紛れもなく本物ではなかったか、と。

 確かに、裕福でもなく地位もなかった私たちは奴隷のように差別や扱いを受けて来た。でも、温かかった母のぬくもりや弟と遊んだ日々は今も尚、褪せる事は無い。あれを守ることが出来るのなら、私がいるべき居場所はあんなきらびやかな所でも、嘘偽りで固められた世界でもない。女神の創る世界など、私は求めていない。それならば、創り変えればいい。

 私は懐に偲ばせていた、探知剤解毒を取り出した。小瓶に入った透明の液体を見つめる。私はコルクを抜くと、迷わず口に含んだ。むせ返る様な苦みが広がり、思わず戻しそうになったが堪えた。

 あの女、わざと味を。

 どうやら私もアロワ同様に嫌われていたらしい。さすが、頭頂区のエリートは奴隷の扱いに慣れている。私は全て飲み干すと苦笑した。

 元々、人類滅亡阻止をするために単独で行動するつもりではあった。その時が今だ。助けを待つ必要はない。

 探知剤を体内に留めている限り、私は単独行動は出来ない。常に探知機で見張っている女神やアロワの目をかいくぐるのは不可能だ。ならば、体内の探知剤を消すことが必要となる。

 私は今、体内に含まれていた探知剤を抹消することに成功した。

 その証拠を見届けるため、以前から本部でくすねていた旧式の小型探知機を起動させた。現在地を選択し、居場所を確認する。私に組み込まれていたはずの探知剤は確かに消え失せていた。空になった小瓶を見つめる。

 脳裏に班長やユーリー、ジャスミン、そしてアロワの顔を思い浮かべる。

 ほんのひとときだけ、私は彼らの家族だった。仮初の家族。もう二度と戻ることはできない──それでも、私は世界を取り戻すことを決めたから。

「──さようなら」

 頬を何かが伝い、静かに足元に滴り落ちていった。


 これは、私がたった一人で世界を敵に回す物語のほんの序章。

 カゴの中の庭である世界を解き放つまで、何度も世界を巡っていく。

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