ダストボックス

 ゆっくりと顔を上げ、宙を見つめる。出入り口はない。何もない空っぽの箱。

 僕は冷たい底でジッと蹲って、濁った目を右へ動かした。


「ねぇ、誰かいないの?」


 また新しい犠牲者か。僕も最初は叫んでいたなぁ。


 この箱に入れられたのはいつだったか。

 僕は歳をとらない。みすぼらしい見た目も変わらない。穴の開いた靴は泥だらけで、つぎはぎの目立つ衣服を身に着けている。

 つくづく無力だ。そう思い知らされる。


「ねぇってばぁ!」


 その声の色は何ものにも染まらない白だった。


「だーれーかーっ!」


 ハキハキとした滑舌の良いその声は、無邪気で元気な女の子のもの。

 箱の辺を通り抜けて聴こえてくる誰かを呼ぶ声は、いつしか鼻歌へと変わった。


 自分の状況を分かっていないのか? いずれ、分かるだろうけれど……この独房に入ってしまえば、もう二度と抜け出せることはないから。


「あーっ! もう! ここはなんにもないのね! あーあ、お姉さまは私のことを探してくれるかしら?」


 今度は独り言だ。


「優しい私のお姉さま。目が覚めたら、バラはやっぱり赤色がいいって教えなくちゃ。あと、お帽子は羽根つきじゃないといけないの。でないと頭がさみしくって仕方がないわ。はぁ~お茶会に行きたい。あのへんてこりんなお茶会が今となってはとってもとっても――」


「君は、いつもそうやって一人でお喋りをするのかい?」


 堪らなくなって、僕は幾日かぶりの声を発した。壁に口をくっつけるように。

 女の子が大きく息を飲むのが分かった。


「やっぱり誰かいたのね! もう、なんでお返事してくれなかったの?」


 大きな声が耳をつんざく。


「ええ、そうよ。私はよくこうやってお喋りをしているのだけれどね、いつもお姉さまにうるさいと言われてしまうのよ。ピーチクパーチク、まるで雛鳥のようだわって。でも、お姉さまだってキーキーうるさいわ。私がこっそりお姉さまのベッドにイモムシを乗せたことをまだ根に持っているのかしら」


「……お姉さんがいるんだ」


「そうよ。お姉さまったら、バラは白がいいって言い張るの。私も合わせて白にしたけれど、女王様が赤にしなさい! って怒るから早く教えてあげなくちゃ」


 彼女の声は次から次へと色々な言葉を紡いでいく。どうして、こんなに言葉が絶え間なく出てくるのか、僕には分からない。


「……君はさぞかし裕福な家で育ったのだね」

「いいえ。お父さまはお家にいらっしゃらないし、私はいつも寂しいの。だからこうして寂しくならないようにお喋りしているのよ」


 寂しくないように、か……。

 僕にもそんな感情がどこかにあったんだけどな。僕の「寂しい」はどこに行ってしまったのだろう。


 あぁ、息が詰まる。上手く声が出せない。


「――君は、もうお家には帰れないよ」


 絞り出して、ようやく口から出てきた声。

 酷い、酷い、言葉セリフ


「君は、もういらない子なんだ」


 僕たちはいずれ、消されてしまう。最初から居ないものとして。


「どういうこと?」


 無邪気な明るい声には、何の曇り陰もない。だから、無性に腹の底がざわつく。


「いらなくなったんだよ。だからここにいる」


 僕は✖をつけられたもの。僕とは違うが今、にいる。

 彼女もきっとそうなんだろう。

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