行き場をなくした物語【短編集】

小谷杏子

Many y“ear”s ago

 古くから、私たちの種族は人間の耳を住居としてきた。

 しかし、二十世紀後半にはその生活が脅かされていたらしい。


 耳の中というのは真っ暗で暖かい。

 毛深い人間の耳は、柱のような毛が生えそろっているため定期的に刈り取らなければならない。だが、そこが問題ではないのだ。


 文明というものは恐ろしい。

 ある日、柴田さん家のお父さんの耳に住むマーちゃんが泣きながら、私の家である祥介さんの耳に潜り込んできた。


「あたしゃ、もうあそこには住めねぇ」


 そう言って泣き喚くものだから、祥介さんは時折耳の中に指を突っ込んでいた。


「なんでまた」

「だってよぅ、柴田の親父、最近になって何か変な爆音の機械を耳ん中に突っ込んできて」

「爆音の機械?」

「そうだぁ。あんなのあったら掃除も出来ねぇし、うるさいし」


 なんのこっちゃ分からない。

 マーちゃんはそれから三日三晩泣き止まず、私と祥介さんを困らせた。


 それから数日後、彼女が「んじゃ、違う耳を探すよぅ」と出て行ってすぐ、私はその正体を知る。


「イヤホン……?」


 祥介さんが最近購入したというイヤホン。

 それまで、ヘッドホンという存在はなんとなく知ってはいたのだが……どうも、耳の穴を塞いで音を聴く機械ものらしい。


「ミイには悪いんだけど、少しだけ使ってもいいかな?」


 祥介さんは、柴田の親父のように無礼な人間ではない。私の存在をきちんと理解して、たまに話しかけてくれる。


 そんな彼が一度、耳に水を入れた時があり大事故を起こしたのだが、このイヤホンも相当の災いを巻き起こした。


「二度と使わないで!」


 祥介さんは私の言う通り、一生イヤホンを使うことはなかった。

 そのおかげかどうか、彼の耳は遠くならずに済んだらしい。


「ミイのおかげで、孫の声もよく聴こえるよ。ありがとう」


 その言葉を最後に彼の声を聞くことはなかった。


 あの、ふわりと体が浮き上がるような、耳の中を響かせる低い音が全然聴こえない。彼はどこに行ってしまったのだろう。

 それに、近頃はマーちゃんや仲間からの連絡がない。みんな、どこへ行ってしまったのだろう。

 耳の中は暖かいはずなのに、何故こんなに冷え切ってしまったのか。

 いつの間に、私は取り残されてしまったのか。



 文明というものは恐ろしい。

 流れに追いつかなければ、気づかないうちに置いてけぼりにされてしまう。

 私の居場所が、もうどこにもないということにさえ気づけないのだから。

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