3 械放の刻(1)

 跳ね上がった右腕が歪な放物線を描いて落下した。

 酷く混乱しながらもどこか無感動に、単なる物理現象として僕は理解している。ああ、右腕が。千切れたな、と。

 被弾状況を知らせる警告表示アラート。その奥、はるか遠くに思える影がこちらを見つめている。

 「破壊、命令……」

 「そう、あなたは見捨てられた――いや、捨てられたんですよ。ほら」

 そこで彼は言葉を切り、大気中に画像が投影される。

 『破壊命令‥対象機体=50ー39XXR 背信・反乱行為が確認されたため、上記機体を見つけ次第、速やかに排除、破壊して下さい。帝国軍所属の全機体はこの命令に従う義務があります』

 司令部の緊急通信システムのログ。

 ――これは全部、でたらめだ。どう考えても捏造、改竄された命令だ。

 背信?反乱?そんな行為をいつ行ったというのだろう。

 僕は今まで、数え切れないほど人を殺してきた。それは純粋な戦闘行為で、単なる帝国兵としての役割だ。

 それが。どう論理を展開すれば背信に、反乱に結びつくのか――。

 「正確には背信・反乱ですよ。あなたをこれから破壊するのはつい先ほど確認されたシステムエラー……」

 「……どういうことだ」

 「あなたも不思議に思っているはずだ。何故敵味方識別IFFに突然エラーが生じたのか」

 機械の故障でそんなことが起こるわけがない。

 しかし、実際「それ」は起きた。

 あなた少女ヒトを撃てなかった。

 何故でしょう?


 ――何故。


 応援機は倒れたままの姿勢から起きあがる僕を制する訳でもなく、ただ銃口を冷たく向けている。

 いつでも殺せるように。

 ぐにゃり、と表情が歪む。

 これは嘲り。嗤い。心底下らないと感じたとき、大脳辺縁系が表出する情動。

 「まあ回りくどく言っても仕方ないし面倒だから率直に言うと、」


 ――われわれは人工知能AIではありません。


 えっ、と少女が息を飲むのが微かに聞こえた。

 ただそれだけ。

 蒸し暑い湿気も、舞う砂塵も、全てが一瞬にして特徴という特徴を失い、無へと還る。

 身体を構成するあらゆる部品が音を立てて剥がれ落ちていくような錯覚。

 逆回転。逆流。

 万物は一斉に秩序を失い、逆転する。


 「ああ、まさか戦闘にまともに投入できる人工知能が存在するとでも?残念ながら、技術的特異点シンギュラリティまであと半世紀は軽くかかるんですよ」

 ――嘘、だ。

 馬鹿げている。どうしようもなく馬鹿げている。

 そんな事があっていいはずがない。

 とっくにCPUは処理限界を超えキャパオーバー、足下では黒々とした奈落が口を開けている。

 ――墜ちてゆく、どこまでも。

 そして、その言葉はさながら迷宮に揺湯たうアリアドネの糸だ。

 

 「つまり、我々は」

 ――ただの人間ヒトです。

 *     *     *

 あの日私を見捨てていった家族は元気にしているだろうか。時々無意識にそんな益体もない事を思案していて、その度に一人私は苦笑する。

 あの人たちは私を裏切ったんだ。それなのに、もしまた会うことが出来るなら、私はきっと今まで味わった孤独、苦しみなんて瞬間に吹き消し、笑顔で。「ずっと会いたかったよ」なんて言葉を躊躇い無く口にするだろう。

 私はそういう、ある意味異常な人間だ。

 

 行き着いた先、難民キャンプで目覚める度、必ずあの光景が真っ先に脳の全てを支配した。

 なぜ。彼をあんなところに残し、私は生き延びてしまったのだろう。たとえ死んでしまうとしても、私はあそこに留まるべきだった。

 そう後悔しながらも、私は無様に生き続けた。気がつくと周りの人々と一緒に火を囲み、笑っている自分がいる。

 これは「悲しみ」の磨耗だ。

 

 難民キャンプの人々は新入りの私に対し、とても優しくしてくれた。彼らは飢えている人がいれば迷わず自分たちの僅かな食料を分け与えるような、そんな人種だ。

 もう肉体的なつらい思いはほとんどしなかった。

 心地良い。

 それでも。

 ここで私がのうのうと幸せを味わうことは、きっと許されない。フラッシュバックの光景がだんだん薄れていくにつれ、私のその感情はますます強くなっていった。

 ――私はあの別れの地、セラフィムに戻らなければならない。

 何があっても。そして、そこで私自身の命を絶つことが。唯一行える罪滅ぼしなのだろう。

 私が居なければ、彼は死ななかったのだ。彼を殺したのは私だ。だから。

 怖いけれど。恐ろしいけれど、私はそれをやってみせよう。

 

 最後の夜。一人テントを抜け出ると、別れも告げずに私は4年前来た道をゆっくりと辿った。

 温かさを捨て、孤独を選んだ。

 「……寒い、な」

 孤独はこんなにも冷たいことを、4年振りに思い出して私はそれでもゆらゆら歩き続けた。

 *     *     *

 「人脳を利用した戦闘システム――代替歩兵オルタナ。戦場で行き交う複雑な情報を総合的に判断し、戦闘する能力は人工知能には未だありません。そういうわけで、この計画にはどうしても人の脳が必要だったわけです。これはアイデアとしては既出で、技術的にも可能なラインに達していましたがここで重要なのはその『脳』を、思考ユニットをどこから調達するか、という問題です。ところがこれにはぴったりの解答がありました。だって、脳は。人は。そこら中に転がっていたのですから」

 ――吐き気。眩暈。震え。機械が味わうはずのないそれらがあらゆる感覚を圧倒し、気がつけば咆哮が飛び出している。

 ――僕は何を、何をしてきた?

 『帝国兵として、数え切れない人を』

 『30分前、9ミリパラベラム弾で一人の男を』

 殺した。

 嘘だ嘘だ嘘だ――――!

 ――――…………嘘、だ。

 空回りする思考だけが無言で抵抗している。

 真実は別にあるはずだ。そうに違いないと。でも、一方で僕は、彼の話が揺るぎない事実であることを知っている。いや、たった今のだった。

 「あの日、あなたの脳はまだ身体がぎりぎり息を保っている段階で摘出されました。その後、活性維持された脳から記憶を消し去る――即ち海馬の除去を行い、代わりに補助記憶装置とCPUを移植しました。そして機体と神経接続で繋げる――これで50ー39XXRの完成ですよ。ですが――」

 嗤い。

 「その様子だと、どういう訳か消した記憶が蘇っているようだ。奇跡、とでも呼んでおきましょうか」

 乾いた拍手。

 彼は何度かその拍手を続け、次いでその指で少女を差す。

 「さあ、この話にフィナーレを。完璧なサドエンドを。そのエンディングへのパスワードはもちろん、君がずっとこの4年間思い続けた「彼」の名だ」

 

 「――まさか、軌条レイ……なの?」

 呆然と。少女が、「君」が僕を見つめている。 

 *      *      *

 セラフィムに着くと、どこもかしこも自動車が道路から溢れ、大渋滞が起きていた。聞くと、ここにもうすぐ帝国軍がやってくるという噂が飛び交っているらしい。その噂の真偽がどうであれ、市民がここから大挙して避難している情景はあの日の再来を思わせた。

 4年前と同じだ。

 また、何もかも破壊されようとしている。

 これが戦争。戦争とは、破壊と殺戮が大手を振って歩くプロセスだ。

 私はそれを知っている。

 

 難民キャンプから歩き続けて二週間、その距離420キロ余り。さすがに私は疲れ切ってしまって、その日はなけなしのお金で、手近な安宿に泊まって夜をやりすごすことにした。

 その日は久しぶりによく眠れた。


 翌朝、起きてみれば数分とたたずに空爆が始まった。

 昨日のうちに噂を信じて、逃げ出した人は大正解だったわけだ。

 私はとりあえず宿を急いで出たが、既に避難する人々が大きなうねりとなって道を阻んでいた。

 流れに逆らって押しのけながら進む私はどう考えても不審だったろうが、生き延びることに必死な彼らにとって私など気にも留まらない存在なようだった。

 それでいい。生きる資格が無いのは私だけだ。

 東に進むに従って避難民の波は緩やかに消えていった。

 だからそこからはあまり時間はかからなかった。

 

 空爆の間を縫って、私はあの廃ビルに着く。

 全てが終わってしまった場所。私の時間が永遠に止まってしまった場所。

 私はここで、私自身を終わらせる。

 ポケットにはそのために持ってきたナイフがある。

 私の意志は、研ぎ澄まされたそのナイフと同じくらい堅かった。そう思っていた。

 ところが、結論から言えば結局私は自分では死ねなかったのだった。

 ビルに入ってすぐ、私は床に広がる大きな、古いシミを見つけた。それが何であるかは疑う余地もない、紛れもない「彼」の血痕だ。

 私はここに何をしにきたのか。贖罪するのではなかったか。なら早く、そのナイフを――。

 私の心がそう叫んでいる。

 しかしその血痕を見て、私はふと気づいた。気づかされたのだ。

 彼はここで、自分の命と引き替えにして。私を守った。

 私が今からやろうとしていることはそれを全て無に返すような真似じゃないだろうか。

 そんな思い自体はずっとしていた。

 ただ、古びた血痕が私の心の奥深くを掘り返してもう一度それを問いかけた。

 立ち尽くし、私は前にも後にも進めなくなった。

 もう何が正しいのか分からなかった。

 

 ――そして私は彼に会う。邂逅する。

* * *

 僕は首を縦に振った。声が出なかった。喉にだけ、重力が倍にかかっている気がした。

 4年間、世界はメリーゴーランドのようにぐるぐると回り、その実ここから1ミリも進んでいなかった。

 全てが繰り返されている。

 記憶を抹消され、同胞を何人も殺しながらそれでも僕の脳には微かに、数ビットだけ「僕」が焼き付いていた。敵味方識別IFFのエラーは、その領域が放った拒絶反応。

 だとしたら。そんなご都合主義が許されるのなら。

 そのご都合主義で、僕はもう一度あの日を繰り返そう。


 彼女は僕の無言の首肯だけで、そんな突拍子も無いいきさつを信じたようだった。

 「……そっか。嘘みたいだけど、久しぶり、だね」

 「……ああ」

 無機質で流暢で、人間に可能な限り擬態した人工音声。

 その声は、この顔は、胴は、手足は全て贋造フェイクだ。

 それでも、あらゆる部位が贋造フェイクでも。

 今、この脳だけは僕自身オリジナルだ。

 ――なら、起こすべき行動はたった一つに決まっている。

 「あの、私、ずっと言わなきゃいけないことが――」

 既に軽く涙を浮かべている彼女を、僕は片手を上げて制した。

 彼女はきっと、あの日のことを謝ろうとしている。

 でも、それはおかしな話だ。そもそも何が悪いとか悪くないとか、そんなこととっくに分かり切っている。

 戦争で人が何人も死んだ。「意識」を失っている間、僕も何人も殺した。それらは紛れもなく「悪」だ。

 悪いのはそれだけだ。それ以外、糾弾すべき物は残っていない。

 「もう何も謝らなくていい。……あの日、僕がとった行動は正しかった。何も間違いなんて無かった。何度同じ状況になったって、また僕は同じように繰り返してみせる。ちょうど、今のように」

 また、救ってみせる。

 僕が向き直るやいなや、「応援機」が嗤った。             

「ああ、もう終わりですか。とても残念ですよ、最高に嗤える場面シーンだというのに――まあ、流石にそろそろ任務を終えなければならないので、良い頃合いといえばそうですけれど、ね。」

 「――一つ、お前に聞きたいことがある」

 「この期に及んで何か気になることでも?」

 

 一拍置く。

 「何故、お前は全てを知っているのにずっと殺戮を止めない?」

 彼は表情一つ変えなかった。

 「簡単なことです――あなたは「偶然」記憶を取り戻したが、わたしは喪ったまま。もちろん、わたしも、わたしを含めた大勢の機械歩兵も皆かつてはこの国の市民だったのでしょう。そのことは論理的には理解できます。でも、今では自分はその中の誰だったのかということすら分かりません。ならば、帝国軍所属機体48ー02YBOとして、与えられたミッションをこなし、あなたを殺すまでだ」

 無表情で語る声にどこか悲痛の色が滲んでいる気がした。そうであってほしかった。

 僕は「彼」という存在に救いを少しでもいいから見いだしたかった。自分と同じ境遇、同じ運命を辿った者として。でも、きっと僕と彼、48ー02YBOは永遠に越えることができない、どうしようもない障壁を挟んで対峙している。

 だからこれで、彼が純粋な敵であることを理解して、僕はようやく最後の決意を固めることができた。

 「なるほど、じゃあ僕は――――」



 ――軌条レイとしてお前を殺すだけだ。



 刹那。

 銃口が微かに光ったのを見逃さず、瞬時に身を屈める。

 ――マズルフラッシュ。ほぼ同時に轟音。だがその光と音が到達するほんの僅かな時間差で、弾丸が0・02秒前まで僕の頭部があった空間を切り裂いた。

 遅い。初弾をかわした勢いを利用して天井近くまで跳ね上がる。フルオートに切り替えたのだろう、短機関銃の絶え間ない銃撃が正確に演算制御され、高角に放たれるが、その時既に僕は彼の直上に平行移動を完了している。

 ――代替歩兵は人工知能AIではなく、人脳を利用した不完全な戦闘システムだ。つまり、個体間に性能差が存在することが前提となっている。

 反応速度、処理能力、その全てにおいて僕は通常の機械歩兵よりも数段優れている。「ブラッディ・ブラッド」という異名で呼ばれるようになったのも、それが所以だ。

 従って、僕を殺すには彼は

 残された左腕で、銃を真上から真下に向ける。彼の反応速度がようやく追いつき、短機関銃が90度に上向くがそれはやはり、致命的に遅すぎる。

 あとは引き金を引くだけ――――



 『非破壊対象フレンドリィ・ファイア‥軍に所属する機体です。攻撃は認められません。』



 ――ああ、今度はエラーじゃないな。

 ここにきて、僕はどこまでも迂闊だった。形勢は真逆、致命的なミスを犯していたのは僕だった。

 考えてみれば当たり前、同じ帝国軍機を攻撃するなんて暴挙、敵味方識別IFFが許すはずがなかった。

 彼は僕を射殺するも斬殺するも自由だが、僕ははじめから銃弾一つ当てることすらできないように仕組まれていた。

 向かい合った時、既に僕は死んでいた。

 悟る。

 そして避ける間もなく弾丸が僕の胸部装甲を貫く。貫いている。

 全部、はじめから決まっていたことのように。

 「反乱兵に対するチート級鉄壁ガード――これこそがIFFの元々の目的。ブラッディ・ブラッド、君が機械歩兵である限り、わたしを殺すことは絶対、いや天地神明森羅万象有象無象に誓ってできない」

 ――それが運命ルールなのか。

 続いて耳をつんざくフルオートの銃撃。全身、そして推進機関ホバーエンジンを被弾し、気づけば僕はただ重力に従って自由落下していた。   

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