47 残り火

 先生……


 先生、大丈夫ですか? 三谷先生……


 ふと前を向くと、ジャージを着た女の子がこっちを覗き込んでいる。

 それが蒔田あゆみだと気づくのに、少し時間がかかる。

「全員揃いました」

 彼女はもの寂しそうに報告する。

 そういえば、先に選手たちを学校のバスで帰らせることにしたのだった。自分は太多を新山口駅まで送らなければならない。明日の放課後に最後のミーティングをするから総括はその時にしようと、たった今伝えたばかりなのに。

 バスの窓からは戦いを終えた神村や浦の横顔が見える。気丈に振る舞っているようだが、心の中には大きな穴が開いている。これまで運命を共にしてきた三谷には、彼らの喪失感がひしひしと伝わってくる。 

「では、先生も、気をつけて帰ってくださいね」

 蒔田は、あたかも永遠の別れを惜しむかのように言い残した後、最後に乗車する。ドアが閉まり、バスが動き出したとき、三谷は思わず手を振る。最後尾に座っている三室戸が寂しそうな笑顔を向けながら頭を下げる。


 あぁ、やっぱり、すべてが終わったのだ……


 潮風で錆びた車体に記された「向津具学園高等学校」の文字が、国道を走る車の往来に消えたとき、事実が事実として、正式に腹に落ちる。

 中央ラグビー場の駐車場に取り残された三谷は、いつの間にか父母たちに囲まれている。

 白石の父は、いいゲームでした、とだけ言い、強く手を握る。

 三室戸の父も感極まっている。

「私は確信しましたよ。三谷先生がこのまま指導されれば、3年以内に花園に出場できる。その時には、みんなで応援に行きますよ。胴上げはその時に持ち越しだ」

 すると、浦の父がしみじみと続く。

「うちの子は、ラグビー部に入って、三谷先生と出会って、すごく成長しました。ほんとうに感謝しています」

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

「先生、ご迷惑をおかけして、申し訳なかったです」

 今度は神村の父が顔を出し、頭を下げて唇を噛みしめる。

「憲治君がいてくれたからこそのスリーアローズですよ」

 三谷はそう言い、握手をする。神村の父も徐々に力を入れる。

 振り向くと、秋元が立っている。

「すごく良い試合でした。周防高校と、差はなかったですね」

「お前がいた頃からすると、ずいぶん強くなっただろ。でも、それは、2年前に、お前たちが引退せずに最後まで頑張ったおかげなんだよ」

 すっかり大学生の顔つきになった秋元は、やさしい瞳で言葉を返す。

「ありがとうございます、そう言っていただけると、僕らもうれしいです」

 背後には河上屋と石巻もいて、控えめに礼をする。

 双子のマネージャーも駆けつけてくれている。2人とも髪が茶色になっているが、やはり日本人形のような雰囲気は変わっていない。瞳をわなわなと震わせて、じっと三谷を見つめている。

「ありがとう、よく来てくれたね」

 2人は無念さをにじませながら、揃って頭を下げる。

 

「いい夢を見させてもらったよ」

 太多はタバコに火を付け、戦いの終わったグラウンドに向けて目を細める。

 近隣の高校のラグビー部員が、働きアリのようにゴールとフラッグを撤収している。激戦の熱気が、まるでキャンプファイアーの残り火のようにくすぶっている。

 先日授業で取り扱ったばかりの、松尾芭蕉の俳句の一節が脳裏をよぎる。


 つわものどもが 夢の跡


 そういえば今年の2月、初めて太多と選手たちが出会ったのも、この中央ラグビー場だった。あの日始まったスリーアローズの物語は、思わぬ形で幕を閉じたのだ。

 太多は言う。

「最後は意地の差が出たんだ。向こうは連続で花園に出場をしてるから、絶対に負けられないと思ってプレーしていた。ほとんど気力だけでウチの連続攻撃を凌いだんだから、大したもんだよ」

 三谷は言葉を発することができずに、自分のランドクルーザーの横で立ちすくむ。太多と2人きりになると、やはり、まだ事実を受け容れることができない自分がいる。

 太多は、紫がかってきた西の空を見上げながら続ける。

「選手たちはほんとうによくやったよ。だって、ほとんど自陣に入られなかったんだから。ピンチらしいピンチは1つもなかった。彼らの闘争心と大学が提供してくれたデータがぴったりはまって、相手にラグビーをさせなかった。トップリーグでもなかなかお目にかかれない、すばらしい集中力のディフェンスだったよ。それに攻撃も最高だった。バナナラグビーでトライをしたしね。これまでの山口県の試合では決して見ることのできなかった、チームワークで取った完璧なトライだと思う」

「なんで負けたんだろう?」

 三谷はそうこぼす。

 太多は三谷の横顔に目を遣り、煙を空に向けて吐き出した後で言う。

「勝負っていうのは、こんなもんなんだよ」 


 新山口で太多を見送った後、1人きりになった三谷はこれから行くべき場所を見失う。このまま長門に帰ろうか、それとも、どこかでコーヒーでも飲もうか、と。

 外に立ったまま、バッグからスマートフォンを取り出す。すると、思わず、目を疑う。奈緒美から着信が入っている!

 咄嗟に電話をかける。だが、何度かけても、彼女は応答しない。

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