42 美しい絵画と永遠の1秒前

 寒風吹きすさぶ中央ラグビー場には、試合開始前から多くの観客が詰めかけている。

 1、2回戦を圧勝したスリーアローズが王者周防高校といかに戦うか、注目の高さがうかがえる。

 三谷は、観客席に目を遣る。もちろん、奈緒美を探しているのだ。ストールを首に巻き、控えめに応援している彼女の姿を。

 だが、学校関係者や生徒など、こっちに手を挙げる人はいても、肝心の奈緒美はいない。いるはずがないのだ……

 今日は、選手たちにとっても、自分自身にとっても、人生をかけた決戦の日だ。煩悩ぼんのうにとらわれることなく、この試合だけに全身全霊を傾けようと言い聞かせ、グラウンドに視線を戻す。


 ウォーミングアップは太多が仕切ってくれる。彼はトップリーグのシーズン中にもかかわらず、時間を作ってくれた。福岡レッドドラゴンズのコーチが高校生を指導しているというだけで、場内は騒然としている。

「いいかい、試合まであと30分あるんだ。緊張するのはまだ早いぜ」

 太多は時折ジョークを交えながらコントロールする。DVDを再現するかのように、10ヶ月かけてやってきた動きを1つ1つ確認している。

 太多もかなりの意気込みをもってこの試合に臨んでくれているのだ。


 ウォーミングアップが終わると選手たちはいったんロッカールームに引き上げる。ここで太多はすべての引導を三谷に返す。

 試合用の朱色のジャージに身を包み、マウスガードを入れた選手たちの表情は引き締まっている。

 チームメイト同士しっかりと肩をつかみ合い、石のように強固な円陣を組む。三谷もその中に加わる。大切なメッセージは学校でのミーティングで全て伝えた。細かい指示などいらない。

「みんな、目を閉じよう。そして、入部してからのことを思い浮かべよう」

 円陣はぴたりと止まり、音が消滅する。

「苦しいこともたくさんあったけど、君たちはチャレンジし続けた。パイオニア精神を持ち続けて困難に立ち向かった。そして今、ここにいる。スリーアローズは仲間だ。1人じゃない。仲間を信じろ! 最後までみんなで戦い抜くぞ!」

 三谷がすべての力を込めて叫ぶと、選手たちの声はロッカールームを突き抜けて、グラウンドまで響き渡る。

 新キャプテンの白石が続く。

「これまでやってきたことをすべて出しましょう。ずらすラグビー、シンキングラグビー、パイオニア精神。僕は命がけで闘います。今日は絶対に勝ちましょう!」

 最後に神村が叫ぶ。

「勝つのは俺たちだ。絶対に、絶対に、絶対に、絶対に、花園に行こう!」

 号泣してかすれた神村の声に、再び全員が絶叫する。あまりの大音量にカオスができあがる。選手たちは雄叫びをあげて泣いている。

 三谷は自分がこの場にいることを一瞬見失う。そして、高校時代の最後のゲームを思い出す。あの日もこうして円陣を組みながら泣いた。そこには太多一成もいた。

 17年前の光景がゆっくりと近づいてきて、心の上にぴったりとオーバーラップする。時間の経過の早さに、足が震える。


 薄曇りのピッチに出たとき、観客席からは大きな拍手がわき起こる。

 選手たちの背中を見ながら、三谷はゆっくりとベンチに腰を下ろす。隣には太多が座っている。涙に濡れた頬が晩秋の風にさらされる。

 スリーアローズと周防高校が中央に並んで整列した時、場内は申し合わせたかのように静まりかえる。

 三谷にはこの光景がまるで1枚の絵画のように感じられる。この後の人生において決して脳裏に焼き付いて離れないであろう、永遠の絵画だ。

 ジャンケンで勝った神村はあえて風下の陣地を取る。ここのグラウンドの風向きはほとんど変わらない。つまり後半に風上に立って勝負をかけるという事前のプラン通りだ。


 かくして、14時ちょうどに、周防高校ボールのキックオフで試合が始まる。

 レフリーのホイッスルが高らかに鳴り響く中、相手スタンドオフの藤澤峻一はいつも通り、ロングキックを蹴り込んでくる。ボールは風に乗ってぐんぐん伸びるが、コースを予測していたフルバック白石が落ち着いてキャッチし、十分に助走を付けてから低い弾道で蹴り返す。風下を意識してのクレバーなキックが相手陣内に力強く転がる。

 三室戸を先頭に、スリーアローズのFWがしっかりプレッシャーをかけたために、藤澤峻一は窮屈な体勢で蹴り返すことしかできない。

 この後しばらくキック合戦が続くことになるが、神村が冷静にタッチラインに蹴り出し、一旦プレーを中断させる。場内からはパラパラと拍手が起こる。

 陣地は中盤。周防高校のラインアウトからゲームはリスタートする。スローワーは長身の加藤雄大にボールを合わせ、クリーンキャッチする。

 相手BKSがライン攻撃の陣形を整えた時、神村が、ほとんど無意識のうちに、大声を張り上げる。

「J!」

 スリーアローズの選手たちも反射的に「J」と声をかける。それは瞬く間に、まるで電気信号のように、全員に意思統一される。

 周防高校のBKSは予定通りにパスを回し、13番と15番の間に12番が突入してくる。

 その時だった。何かが横切る。

 浦だ。

 猛烈なタックルが、走り込んできた相手12番に突き刺さり、肉体がぶつかり合う音を残して、相手のノックオンを誘う。

 あまりの凄まじさに、場内は鍋が沸騰するようなどよめきが起こる。

 何食わぬ顔で土を払い定位置に戻っていく浦とは対照的に、相手12番は起き上がることすらできない。身体を丸めてうずくまっている。

 そのうちドクターが駆けつける。

 場内は恐ろしいくらいに静まりかえっている。

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