40 涙に揺れる女神

「大丈夫だろう。神村がいなくても、東萩高校には勝つよ。そもそもトップリーグの世界でも、チームの大黒柱が怪我とかで大事な試合に出られないことだってよくあるんだ。こういう事態を想定していたから、チームワークを強化してきたんじゃないか。ぶれちゃだめだって、三谷先生」

 太多はあっけらかんと言う。

「お前、ほんとにすごいな」

 湯船に浸かって通話しているために声が余計に響く。

「すごいも何も、目標を達成するんだろ? 11月に周防高校と東萩高校に勝って花園に行くんだよ。そのためのパイオニア精神じゃなかったのか? そのためのバナナラグビーじゃなかったのか? べつに神村がいなくても、バナナラグビーはできるだろう。だって、どの選手もすべてのプレーができるようになってるんだから」

 たしかに太多の言うとおりだ。

「でも、ただ1つ、ポジションだけは組み直さなきゃいけないね。スリーアローズにとっては、戦術の判断はスタンドオフが行うことになっているから、決勝戦で神村の代わりができる選手を作っとかなきゃいけない。候補は?」

「白石だ。練習試合でも何度かやったことがあるし、来年はあいつに任せようと思っている」

 太多はしばらく沈黙した後で声を上げる。

「よし分かった。準決勝の周防高校戦は神村を入れたベストメンバーで戦って、決勝の東萩高校戦だけは白石をスタンドオフにしよう。神村には、スタンドオフの理論を早急に白石に伝授するよう業務命令を出しておいてほしい。それと、もう1つ、キャプテンをどうするかだ」

 決勝戦だけ三室戸をキャプテンにしたいと提案すると、太多は、その理由は? と聞いてくる。キャプテンシーがあるからだと答えると、太多は再び沈黙する。

「スリーアローズのラグビーはスタンドオフがすべての起点となる。だから、スタンドオフの選手がキャプテンをやるのがふさわしい」

「ひょっとして、白石ということか?」

「そういうことになるね」

「あいつはまだ2年生だ」

「学年は関係ないよ。指示を出し続ける選手がキャプテンをするべきだ。その方が他の選手への影響が少ないだろうし。そのためには、さっそく明日から変えた方がいいね。決勝だけ変えると、特別なプレッシャーがかかるはずだから、的確な指示が出なくなる恐れがある」


 翌日の緊急ミーティングでそのことを告げると、白石は顔面を硬直させ、代わりに神村が肩を落とす。すると三室戸が声を上げる。

「僕はそれがいいと思います」

 教室の中が重苦しい空気に満たされる。

「これまで先生を信じて強くなってきたので、最後までついていくべきだと思うし、その考え方には納得もできます。スタンドオフからの指示が出なければチームとして戦えないから、バナナラグビーもできませんし。これから白石には頑張ってもらって、みんなでサポートをして、決勝で勝って、神村ともう一度、花園でラグビーをやりたいです」

 三室戸の発言に皆の心が1つになる。トコも蒔田あゆみの隣で力強く頷く。


 ところが、そのトコにも予期せぬアクシデントが起こる。

 夕方、自転車で下宿に帰っている途中に、原付バイクと接触事故を起こしてしまい、右肩を骨折してしまったのだ。全治2ヶ月。花園予選の出場は絶望的となった。

 トンガでは交通ルールが日本よりも厳密ではないために、右側通行をしていたのがいけなかった。おまけに無灯火で、黒い制服を来た浅黒い顔はバイクの運転手には認識できなかった。幸いバイクは直前でブレーキをかけたので運転手に怪我はなく、慌てふためいたトコの方が転倒してしまったというわけだ。

「ミナサン、ゴメンナサイ」

 厳重に包帯を巻いたトコがグラウンドに現れる。

「しょうがないよ。死ななくて良かったよ」

 浦がなだめるように言う。


「全く、役に立たん外国人や」

 宇田島は不機嫌さをにじませる。

「よりによってラグビー以外のところで怪我しやがって、いったいなんのためにここに呼んだんか、わからんやないか」

「チームにとっては大きな痛手ですが、もう前を向いていくしかないと思っています」

 三谷は言う。

「そりゃな、三谷先生にしてみればそうかもしれんが、わしからするとほんま腹が立つんですわ。あの子をトンガから連れてきたのはこのわしなんやから」

 トコは、自分が迷惑をかけてしまったことを痛いほど自覚しているらしく、蒔田と一緒に水を汲んだりボールに空気を入れたり、洗濯をしたりと、チームに貢献しようとしている。

 他の選手たちも、心から同情している。そして、大事な試合に出たくても出られない神村やトコのために、自分たちが身体を張らなければならないと覚悟を決めているように映る。

 いつしか、花園に出場してもう1度ベストメンバーで戦うことがチーム目標になっている。


 本番の直前には練習試合を2つ入れた。

 1つ目は島根の強豪、江の川国際高校との対戦だった。12対49で敗れはしたものの、花園常連校に対し、バナナラグビーで2本トライを取った。善戦と言える。

 翌週は北九州情報大学附属高校に行った。周防高校とよく似た、バランスの良いラグビーをするということで選んだ。2年前、河上屋や秋元がいた時に初遠征をしたチームでもある。その福岡県大会の上位校に対し、24対19で勝利した。

 この2試合では、後半は神村抜きで戦い、白石はスタンドオフとしてゲームをコントロールした。

 動画を見た太多からも及第点をもらう。

「スリーアローズの適応力は神ってるね。バナナラグビーが完成に近づいてるよ。三谷先生の指導力のたまものだよ」

 違うよ、太多。ボロボロになった俺に、立ち上がる勇気を与えてくれたのはお前だよ。

 心の中でそう唱えた時、涙があふれてくる。

 涙の中で、奈緒美の姿が徐々にぼやけて、遠ざかっていく……

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