29 未来へのコミット

 中国大会予選を2週間後に控えた中間試験の期間に、臨時の父母会を開催した。

 チームのブランド化の一環として、今後、ゲームパンツやチームバッグに使用するためのロゴマークを決めることにしたのだ。

 デザイン案は3パターンあり、三谷と太多の高校時代の同級生で、上京して漫画家をやっているマスオという友人が無償で描いてくれた。


 ワイワイガヤガヤと協議した結果、最終的に3本の矢の中央に「Three Arrows」と鋭く描かれたデザインに決定した。

 満足そうに夜の学校を後にする父母の中で、神村の父親が話しかけてくる。

「先生、さすがに今年の3年は引退せんですよね?」

 三谷は足下に予期せぬタックルを喰らったかのような気分で、思わず聞き返す。

「まさか、息子さんは、引退するとおっしゃってるんですか?」

「いや、そこらへんがよく分からんのですよ。さすがにそれはないとは思うけど、3人とも担任からは受験のことでだいぶプレッシャーもかけられとるようでね。いや、先生ならそのへんのことを知っとってかなと思うただけなんです」


「もちろん僕は引退しませんよ。センター試験を受ける予定もありません」

 神村はそう言う。三谷は相談室のソファの冷たいアームレストに手を置き、目の前のキャプテンの顔を凝視する。

「ということは、推薦入試狙いということだな?」

「できれば」

「ラグビー推薦?」

「いえ、ラグビーは高校までにしようと考えています」

「大学に入って何かやりたいことがあるわけだ」

「いえ、まあ、特に……」

 神村の表情を見ながら、自分はラグビーに夢中になるあまりこの子たちの将来について本気で考えてこなかったという猛烈な反省を抱く。茨城と埼玉の高校では進学指導にも就職指導にも時間をかけてきた自分がいったいどうしたことかと愕然とする。

「ラグビーは、あくまで教育ツールなんだ」

 三谷は、そんな自分に言い聞かせるように語る。日焼けした神村は爽やかな瞳を向けてくる。

「憲治はチームメイトから信頼される人材だ。キャプテンとしても成長し続けているのは、お前が謙虚だからだ。だから、その人間性を生かせる仕事につくべきなんだろうな」

「でも、正直、将来の仕事まで考えていないですね。とりあえず経済学部に入って、そこで進路を絞っていこうと思っています」

「でもな、憲治。今、時代はものすごい勢いで変化してるんだ。すべてのモノはインターネットにつながって、人工知能が人間の仕事に取って代わるのは間違いないと言われてる。そう考えると、経済学部に入るのも1つの方法だし、たとえば国際関係の学部に入って、グローバルな視点での問題解決を研究するのもいいかもしれない。いずれにしても、今から将来へのこだわりを持っておいた方が後で焦らずに済むぞ」

 神村は神妙な面持ちで返事をする。それから、ありがとうございました、と言って面談室を後にする神村に向かって三谷は声をかける。

「もちろん、ラグビーも頑張ってくれよ」

 神村は足をぴたりと止めて返す。

「ラグビーをやっていなかったら、こんなに勉強していなかったです。花園に行ってラクビーに集中するためにも、絶対に推薦入試で合格したいんです」


「僕は大企業に入って、研究開発をやりたいです。そのために、大学では理系の学部に入ろうと思っています」

 浦は控えめでありながら、自分の言葉で言い切る。

「どんな研究をしたいんだ?」

「コンピュータ関係です。元々はゲームのプログラミングをやってみたかったんですが、今は自動運転とかの新しい技術にも興味があります」

 高校生にしてそこまで明確なビジョンを持っていることに、三谷は気づいてやれなかった。これまで自分が蓄えてきたキャリアカウンセラーとしてのノウハウを、スリーアローズの選手たちにも出していこうと心に誓う。

「じゃあ、寛哲ひろさとには、ヒントを与えよう。今、大企業と同じくらいに注目されている企業があることを知っているかい?」

 誰よりも真面目な浦は、そのきらりと光る目を細めて考える。答えが出てこないのを確認した三谷は、こう言う。

「ベンチャー企業だ。聞いたことあるか?」

「何となく聞いたことはありますが、それが何なのかはよく分かりません」

 そう答えるのも無理はない。日本の高校生は、アメリカや東アジアの高校生と比べて起業家精神が低いという調査結果がある。大企業への帰属意識が強いのだ。

「『アドベンチャー』のベンチャーだよ。つまり、新しい分野のビジネスについて自分で起業するんだ」

 浦は半信半疑の表情を向けている。

「たとえば、インスタグラムもベンチャーだ。スタンフォード大学の同級生が考案したアプリを、フェイスブック社が約800億円で買収したんだ」

「800億、ですか?」

「俺が一生かけて稼ぐ給料の何百倍もの金を、1つのアイデアで手に入れることもできるんだ。今、大企業は社内にベンチャーを持っていたり、社外の個人ベンチャーと技術連携したりしている」

「知らなかったです」

 浦は元々丸い目をさらに丸くする。

「つまり、お前が今しなければならないことは3つだ。1つめは勉強。大学に入るための学力がなければ何にもならない。勉強は将来への投資だ。2つめは自分にふさわしい大学を選ぶことだ。単に偏差値で大学を選ぶ時代はもう終わっていることを知っておいた方がいい。大事なのは研究室であり、教官だ。優れた研究室を見つける指標として、連携している企業の数に注目するといい」

 これまでの経験や大学時代の同級生たちから聞いた話が、ここで生きている。

「そうして3つめは、ラグビーだ。いつも言っているが、独創的なアイデアは1人では出てこない。仲間との対話の中から生まれるものなんだ。昔の高校生のように引きこもって勉強だけしていても、大学や社会で通用しないことがけっこうあるんだ。そう考えると、バナナラグビーも1つのビジョンだ。それを実現するには1人1人がアイデアを出し合って完成させなければならない。目標に向かって協働することが将来の自分にもつながっていることを意識しながらやると効果倍増だ」

 浦は背筋を伸ばし、切れの良い返事をする。


 3年生だけのつもりが、結局1年生を含めた全員とキャリアカウンセリングを行った。トコだけは、慣れない生活の不安が中心となった。

 それ以降、選手たちの動きは一段と上がったように感じる。そんな練習風景を眺めながら、ここに赴任してからというもの、自分の都合だけで生徒と接してきたような気がして、恥ずかしくなる。

 俺は教師だ。つねに生徒が中心だ。

 花園を目指すのも、紛れもなく、彼らのためなのだ。

 ぶれちゃいけない。

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