5 この世からパワハラはなくならない
❶
4月3日には、朝イチから新年度最初の職員会議が行われた。
まず新着任の教師たちが前に整列させられ、校長から1人1人紹介を受ける。5人の着任者があるが、正採用の教師となると三谷1人に絞られる。つい先週までいた埼玉の高校と比べると、教職員の規模がずいぶんと小さい。
「三谷先生には国語を担当していただきます。他県でのキャリアも十分で、学習指導にはかなりの定評がおありです。部活動はラグビーです。ご自身も選手として活躍され、大学選手権にも出場されていますので、本校の活性化にとって、たいへん心強い人材に来ていただいたとうれしく思っています」
校長は誇らしげに紹介してくれる。三谷は深々と頭を下げる。
その後、本年度の教育方針の説明があり、各部から具体的な指導計画が出される。だが内容は全く入ってこない。学校を取り巻く風土が、前任校とは何から何まで違いすぎる。
教員たちが醸し出す雰囲気もそうだ。何となく、みんなうつむき加減で、発言者は基本的に資料に書いてあることを読み上げているだけ、といった感じだ。次々と意見が出て、時にプロレスの乱闘シーンさながらの場面もあった前任校の職員会議がどこか懐かしい。
配付された年間行事予定表を確認すると、1学期中間試験は5月13日から始まるようだ。その期間は部活動は中止になるだろうから、奈緒美に会いに行ける。あと1ヶ月とちょっとだ。そう思うと、少し元気になる。
冗長に続く説明を聞き流しながら、窓の外に目を遣ると、中庭の木の上には乾いた春の空が広がっている。本州の西の果てにいることを実感する。
大学院時代の恩師である坂口宏文教授は、我が国を代表する国語科教育学の権威で、三谷が実践研究者として大学の教官になることを支援してくれている。だが、恩師はすぐに大学に入ることを是としなかった。その前に、少なくとも10年間は実際の教育現場で勤務するべきだと進言した。
若い頃から自分のやりたいことだけをやりきってしまうと後が続かない、ポテンシャルはあるのに、伸び悩み、最後はスポイルされていった研究者を何人も見ている。教授はそう語った。
「国語学力とは、言葉を通して生き抜く力である」
坂口教授が永年の研究の末に到達した学力観だ。
言葉とは文字ではない。その真価とは、世界と自分とをつなぐことにこそあり、そういう意味で生きた言葉を獲得することは人生の価値に直結する。
もし教育学の研究者になりたいのであれば、生々しい社会に出て、生きた言葉を獲得してきなさい、それこそが将来的にあなた固有の財産となり武器となりますから。世の中の事実とは現場でこそ起こるのです。そう言って送り出された。
これまで高校教師として、茨城で2年、埼玉で5年のキャリアがある。あと3年で坂口教授が示した10年に達する。必要な論文を執筆し、学会発表も経験してきた。そう考えると、この向津具学園での勤務は3年が目安になるのだろうか?
その時、ふと宇田島が言ったことを思い出す。
「3年以内に花園に出場できなければラグビー部はつぶれてしまう」
❷
午後からは、学年会議の後、進路指導部の会議が行われた。
進路指導室に入り、着席してすぐ腕時計に目を落とすと、開始3分前だというのに、他の教員はすでに揃っている。他学年の会議は早く終わったらしい。そもそも2学年は新着任の三谷へのオリエンテーションも兼ねていたので、時間がかかったのも無理はないと心を鎮めながら、開始を待つ。
すると、進路部長と思しき男性教師が「全員揃ったようだな、それじゃ、はじめようか」と口を開く。その、授業の積み重ねで鍛えられたであろう低い声は会場の空気を一変させる。
「まず、全体計画だが、昨年と変更なしだ。みなさん、引き続きよろしく。それと、役割分担についてはそこに書いてあるとおり。分からんことがあれば、みんなで教え合ってやってくれ」
この
「さて、ここからが本論だ。皆さんご存じの通り、昨年の国公立大学への進学も過去最低を更新してしまった。3年生100人のうち15人、しかも一般入試での合格者となると6人。厳しい状況が続いている。生徒の質の低下がどんどん進んでいるが、そのくせ、プライドだけは高くて死ぬ気で努力せんやつが多すぎるんじゃ。まずは、
三谷は唖然とする。今の言葉を聞いただけで、この向津具学園の現状をつかんだ気がする。
「さてと、ほんじゃあ、今年から赴任した三谷さん、ちょっと起立してもらえるか」
三谷はふと我に戻る。
「さっき校長も言いよったが、この先生はラグビーでここに来られとるんやが、ついでに国語の指導もやってもらうことになっとる。簡単に自己紹介してもらえるかね」
三谷は上ずった返事をした後で、重岡からの無茶振りに対応する。
「三谷でございます。先月までは、埼玉県の
他の教員からパラパラと拍手が起こる中、三谷は席に着く。すると重岡は鋭い視線を向けてこう言う。
「ほう、学力向上って言ったな。よしわかった、あんたがどういうふうにそれをやるか、よう注目しとってやろう」
すると、自分でも予期せぬ言葉がこぼれる。
「いえ、私1人の力では……」
「あ?」
重岡は眉間に深い皺を刻み込み、猛禽類のような視線で睨み付ける。
「じゃ、あんた、ロボットとか人工知能でも雇うんか? オレたちじゃ指導できん生徒でも学力が上がる装置を引っ張ってくるんか?」
「あ、いえ、そうじゃなくて、ぜひ先生方に教えていただきながら、協力して一緒に……」
そう声を絞ると、重岡はテーブルを叩いてから噛みついてくる。
「あんたね、今言ったろうが。うちの学校の生徒の質は年々下がっとるんじゃ。オレたちが一生懸命やってきての結果なんじゃ。はっきり言ってな、指導しても無駄なんだよ。お前、オレの話を聞いとらんかったんか。それとも、オレらをバカにしとるんか、こら。何か言うてみい、このクソボケが」
今自分に浴びせられたのが現実の言葉であるらしいと悟ったとき、思考が完全に停止する。他の参加者は他人事のような顔をしてうつむいている。
こんなの無理だ、と思う。
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