終章 今

第90話 地球へ

【紀元前9588年 いて座Aスター


―――ここは?

一角獣リオコルノが気付いたとき、そこは極限の放射線に満たされた地獄だった。振り返ればとてつもなく巨大な構造体。

銀河系中央に存在する、最大の天体。角運動量が重力に対して優勢になるほど高速で自転している。すなわち、遠心力によってリング状に引き延ばされた特異点が事象の地平線の外側へと、確認されている限り唯一の超巨大ブラックホールだった。

裸の特異点。

自然に誕生したものなのか、それとも人工物なのか。

によって作られた、という噂が、まことしとやかに囁かれている。銀河系最大の謎ともいわれる構造体。

重力に引き寄せられたガスや天体が巡る、一種異様な光景がそこにはあった。

―――長い、夢を見ていた気がする。

時計を見れば、時からほとんど時間が経っていない。おかしなものだ。記憶に間違いがなければ、超巨大ブラックホールに落ち込んだはずなのだが。から敗走し、機械生命体マシンヘッドどもの追撃から逃れる最中の出来事である。

釈然としないが、まぁよい。

体を見下ろす。

そこに突き立っていたは、いずれも消滅していた。これならば自己修復も叶うであろう。

生き延びたことに安堵すると、友軍と合流すべく、彼女は超光速機関を活性化。速やかにその場を退去した。

彼女が―――金属生命体群突撃型指揮個体"わざわいの角"、個体名"角禍つのか"が、自らの内側に圧縮されたの膨大な記録と、ブラックホールに住まう超知性体からのメッセージ。そして、食い違う二つの時間軸の記憶に気付くのは、ずっと先の話である。


  ◇


【西暦2019年2月 花園】


めらめらと、小さな太陽が燃えていた。

それを取り囲む天地あめつちはまん丸で、どちらを見ても青々と茂った枝葉。太陽の向こう側にも枝葉の大地が見えた。内向きに広がる世界なのだ。

直径が二百キロもある空間で、シズクは今日も空を見上げる。

ここでの生活には随分と慣れて来た。どうやら自分はここ6000年くらいの記憶を失ってしまったようで、まだまだ不知火には迷惑をかけっぱなしだけれど。

それにしても、この世界は凄い。不知火と自分。ふたりがかり、5000年近くかけてこの大きさまで育て上げたと聞いたけど、自分にその記憶はない。こんな大きな宇宙樹が存在するだなんて。

いいお天気だ。世界は陽光を吸い上げて、末端までもその活力を分け与えるだろう。

がさがさと枝葉をゆすりながら動く生き物たち。そこかしこで作業をしているロボットたち。そして、世界そのものたる宇宙樹。いずれもが、雫には愛おしい。

もちろん、一番大切なのは不知火だけれど。

こんな平和な日々がずっと、続けばいいのに。

浮かび上がってくる不穏な考えを振り払い、仕事道具を構える。

その先端から放つべきレーザー光は強烈だ。加減を間違えると大変なことになる。だから彼女は精神を集中した。

その時のこと。

小さな揺れを感じた。途轍もなく小さい、しかし世界全体を揺るがす時空の歪み。───重力波を。

『―――!?』

敵か!?

雫は詭弁ドライヴを活性化。巨大なパワーが衝突し、湧き上がった抜け穴ワームホールを負のエネルギーで拡張する。

完成した空間のトンネルは、創造主を通すとそのまま縮小。消滅した。


  ◇


『……』

『……』

船だった。

枝葉に絡まっているのは全長が3キロメートルはある大型艦。地球人に見せれば「魚みたいだ」という感想が返ってくるだろう。それもヒラメっぽい。

詭弁ドライヴによる跳躍に失敗して、ここに突き刺さったのであろうことは容易に想像がついた。

不知火と雫。枝の一本に降り立った二人が見上げるそれは、知らない船だった。

先程から通信を送っているが返答はない。このまま反応がなければ、実力行使するしかないか?と不知火が思案し始めた頃。

衝撃が走った。

船殻がたわむ。転換装甲でできているのであろう構造がきしんだ。

顔を見合わせる二人。

二発目。

明らかに、構造が歪み始めた。それも内側からの打撃によって。

身構える機械生命体マシンヘッドたち。雫が銃剣を構え、不知火が尾を前に向けて並ぶ。

三発目。

とうとう、船体の側面が吹っ飛んだ。凄まじい暴力に耐えきれなかったのだ。

『―――やれやれ。このポンコツめ』

破壊された構造から、下手人が顔を出す。

桜花に彩られた、巨体だった。

まず出て来たのは頭部である。顔を覆うのはダイヤモンド型のフェイスカバー。後頭部から長い尾を髪のように伸ばしたそれは、まるで人間の女性であるかのよう。

あとから出て来た部分も、その印象を裏切ることはなかった。

華奢な肩幅。繊手と言ってよいであろう両腕は砲を内蔵している。スカート状に折り畳まれた副腕サブアーム。強烈な打撃武器であろう美脚。

見たことのない機械生命体マシンヘッドだった。先日たちが残していった最新データにも該当する機体はない。

『あらあらまあまあ。ひとのいるところに落ちるなんて。すみませんねえ。すぐにどかせますから』

警戒心を最大限に膨れ上がらせるふたりに気付くと、そいつは、あっけらかんと言った。

―――不知火たちの知らない言葉で。

いや。はある。今は滅んだはずの種族の一言語。時の流れに晒され、変形しきったその名残を、不知火の言語解析エンジンは読み取っていた。しかしいや。まさか。

得たサンプルを分析しつつ、不知火は要求を出した。

『―――あ~、すまんがその言語は分からん。違うので頼む』

何万という言語から適当なものを幾つか抽出。同じ意味の違う言葉が何回も繰り返された。

返答は、最も意外な言語で来た。

『すみませんねえ。お手間を取らせまして。

それで、重ね重ね申し訳ないのですが、ここはどこでしょうか?

いやね、跳躍に失敗しまして座標が分からないんですよ。困ったもんです』

商業種族の覇権メジャーな言語。12000年前に滅んだ種族の言葉を、そいつは話した。

不知火は困惑しつつも同じ言語で返す。

『ここは花園だ。

私は不知火。不知火級突撃型ユニット。こっちが雫。学術種族に建造された』

『はて?おかしいですわねえ。不知火級も雫級も存じ上げませんが。少数生産の試作機でしょうか?』

再び顔を見合わせる不知火と雫。

不知火はともかく雫は初期型から含めれば百二十万機以上建造されている。少数生産などと言われるほど少なくはないはずだが。

『そんなん知るか。それよりあんたは何者だ』

『あらやだ。これは失礼を。

私は"桜花"。桜花級突撃型ユニット1号機。家政婦でございます。お見知りおきを』

『……家政婦?』

また謎な単語が出て来た。どこのどいつだ。高価な機械生命体マシンヘッドを家政婦にしているアホは。

不知火の正直な感想である。

幸いと言っていいのか、の顔を拝む機会はすぐにやって来た。

ぷしゅー。

そんな音を立てて、船体の一角にあるハッチが開く。

いや、開こうとして途中で止まった。引っかかったのだろうか。船殻が歪んでいるからさもありなん。

『あらあらまあまあ』などと言いながら桜花が手をかけ、力づくでハッチを引きはがした。

奥の通路から出てきたのは、二つの宇宙服姿。四肢と頭部を持つ標準的なヒューマノイドタイプであるが、顔はシールドされているため見えない。

そしてその身長差。2倍以上も違うのだ。種族が異なるのだろう。

大きい方がまず、ヘルメットを脱いだ。

地球人に見せれば、まずまちがいなくこう言うに違いない。

「芋だ……」と。

それくらい、彼の顔は芋。それもジャガイモに似ていた。

植物系の知的生命体であろう。不知火は、そいつの属する恒星間種族を知っていた。

『葉齢種族……!』

まだ生き残っていたのか、と驚愕する彼女を意に介さず、彼は「やれやれ。酷い目に遭ったぞ」などとのたまっている。かなり変形した葉齢種族語だが、不知火たちが知っているのは6000年以上前のものだからやむを得まい。

されど。それをも遥かに上回る驚愕が、不知火たちを襲った。

隣のが、ヘルメットを脱いだ。

現れたのは、カワウソにも似た、毛むくじゃらの顔。

『―――嘘。そんな。だって』

雫の呟き。不知火もまったくもって同じ気持ちだった。

『商業種族……馬鹿な。滅んだはずじゃなかったのか』

不知火の呟きを桜花が拾い、出て来たふたりの異種族へと翻訳する。

聞きとがめたは、不知火とそして雫を順番に見上げ、答えを返した。

「うん?誰が滅んだって?この通りピンピンしてるよ」

『よく、生き残ったもんだ。どうやって金属生命体群にやられず、ここまで来た?』

「?金属生命体群?連中がどうかしたか?」

『どうかって……戦争中だろ』

「……?ちょっと待て。なんかおかしいぞおい。

金属生命体群ならとっくの昔にだろう。あんた何を言ってる?」

今度こそ、不知火と雫はぽかーんとした。

この男は今、一体なんと言った?

『奴らが降伏しただと!?いったいいつ、誰に対して!?』

「戦争が終わったのなんてだぞ?

あー。そのぶんじゃあ、銀河諸種族連合も知らないか?」

『なんだそれは』

、138の恒星間種族の連合体だ」

「最近1つ増えたから139だ」

芋男の補足は、不知火の耳に入っていなかった。何故ならば、事ここに至って彼女は、極めて重要な推測に辿り着いていたからである。

『―――そうか。なんてこった。あいつらやりやがった。

歴史を改変するのに成功しやがったのか……っ!!』

―――だが、どうして私たちは消えていない?時間遡行攻撃によって歴史が改変されたのならばなぜ、二つの異なる歴史の産物が出会っている?

浮かんでは消えていく疑問。

考えてもわからない。分からないなら、確かめなければならない。

結論付けると、不知火は、異なる歴史からの来訪者たちへと尋ねた。

『なあ。

あんたたち、地球って知ってるか?』

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