第88話 変貌

凶悪な連続攻撃が、叩き込まれた。

角が突き込まれる。左腕からレーザーが放たれ、ぐるりと旋回からの尾が鶫の躯体を撥ね飛ばす。勢いに押され、鶫は防戦一方だ。

『鶫!?』

『下がって!』

亜光速での激しい格闘戦。副砲を失った遥が助けに入る余地はない。

『―――やめてくれ!誤解なんだ!!我々にあなたと戦う意図はない!!』

一角獣リオコルノへと叫びながらも、それが通じることはなかろう。と、遥の醒めた部分は現状を冷静に認識していた。

この遭遇が運命であるならば、遥たちと一角獣リオコルノは共倒れになるはずである。そうでなければ歴史の改変が成功するからだ。恐らく彼我の言葉も通じない。

手を出しかねている間にも、戦いは急速に進んでいく。

―――光は、通りうる経路を辿る。されど観測できるのはひとつ。他の経路を辿る可能性同士が干渉してからだ。

その推測にたどり着いたとき、遥は背筋をぞくり。と震わせた。

―――そうだ。何故気付かなかった。不知火の未来予知でも得られる結果はひとつだけ。

未来は確率論的だ。だから本来、無限の選択肢があるはずなのに!!

自分たちが過去にたどり着くただひとつの可能性ではないことは明らかだった。きっとどこかには成功した幸運な―――ただ一人あるいは一組の―――時間遡行者もいるのだろうが。

望む未来を作ることは、できない。

『―――くそったれ!』

遥は今。初めて、運命を呪った。


  ◇


突撃型の指揮個体や機械生命体マシンヘッドには様々なレイアウトが存在しうる。特に問題をややこしくしているのはボース=アインシュタイン凝縮による防御である。物質を波とする事で直接的な打撃では破壊不可能とするこのシステムは、攻撃への投影面積に比例して防御効果が増加するのだ。されど、波に干渉する強力な光子や荷電粒子ビームには無力である。面積が小さい方が被弾率は下がるから、どちらへの防御を優先するかは常に技術者を悩ませてきた。

その点では、一角獣リオコルノの設計者は対ビーム・レーザー防御を優先させたらしい。角。背骨。尾の先端までが一直線である。砲を内蔵した腕とそして後肢以外の全てが角の陰に隠れるのだ。衝角の頑強さと相まって、それは格闘に対しても高い防御力を発揮する。

突き込まれた衝角が、刃の脚で受け流された。

恐ろしく間合いが長い。40メートル近いそれは、ほぼ、鶫の身長にも匹敵する。

副腕サブアームで回り込もうとすれば邪魔をするのは両腕。それぞれ荷電粒子砲、レーザー砲を内蔵しているのだ。それに体側からの攻撃は通用しない。"波"と化した構造の面積が最大になる上、凶悪な両足や尾は恐ろしく厄介だった。よくできている。隙がない。

だから、鶫は隙を作ることにした。

角を抱き抱える。相手の動きを封じる。刃の両足で相手の首の付け根を狙う。

―――ごめんなさい。

異なる歴史の自分(と同じ役割を持つ存在)に対して申し訳無さを感じながらも、その手は全く緩むことはなかった。

だから。

不覚を取ったのは、鶫の責任ではない。

角が、。抱え込まれた衝角。複雑な形状のそれが、無数の関節を内蔵した、まるで鞭のような構造物へと変化する。

逃げようとした時には既に、手遅れだった。

鞭へと変じた角が鶫に絡み付き、そして切り裂いた。

腕が飛ぶ。顔が斜めにえぐり取られ、胸郭が破壊されてほとんど両断寸前となる。

跳ね飛ばされる鶫。

瀕死だった。

―――形態変換開始。

一角獣リオコルノの変化は続く。両の脚が折り畳まれ、スカート状に。代わりに尾が二つに割れ、しなやかな二本の脚となる。角の付け根がへとスライドする。

そこにいたのは既に、一角獣リオコルノではなかった。スカート状に変化した副腕を腰に持ち、ハイヒールを思わせる踵を備えたしなやかな脚と、形のよい両手。後頭部からポニーテールのように鞭を伸ばし、そして顔と双眸をダイヤモンド型のフェイスカバーで隠した姿。

麗しき肢体を持つ女が、そこにはいた。

―――まさか、一角獣リオコルノが変形するとは。

先程までの荒々しい戦いぶりから一転。一角獣リオコルノは、正確な一撃を繰り出した。そう。鶫に止めを刺すべく、さっきまで脚だった副腕サブアームを伸ばして。回避の余地はない。

強烈な攻撃が鶫を破壊する。

その、瞬間。

そいつは、不思議そうに自らの背後へと振り向いた。真正面から―――鶫の体を貫通し、自身をも貫いて、後頭部からたなびかせている髪のごとき角へと突き刺さった、空間的には小さな小さな。しかし320トンもの質量を備える、内側へ無限に閉じた点へと。

何かする暇などなかった。

特異点砲の弾丸たるマイクロブラックホールは、その質量を急速に蒸発。放射へと転換しながら消滅していき、それと等量のエネルギーが爆発的に膨れ上がる。

それは、を内破。どころか、一角獣リオコルノの全身へと襲い掛かったのだ。

破壊的な閃光は紅の肢体を呑み込み、そして広がっていった。


  ◇


『……み。鶫!聞こえるか!?』

『……せん、ぱい……?』

鶫が息を吹き返した時、時間はほとんど進んでいなかった。いや、この世界では時計がどれだけあてになるかは疑問だが。

自己診断を行う。致命傷はどうやら免れたらしい。そこかしこに応急処置の痕が見て取れた。遥には己の暗号鍵を渡してある(逆に鶫も遥の暗号鍵を持っている)から、彼女はやろうと思えばそのまま鶫を同化吸収してしまう事すらできる。それを利用して最低限の修理をしたのだろう。

それにしても。

ログをたどりながら鶫は苦笑。まさか自分越しに、一角獣リオコルノへ特異点砲を命中させるとは。さすが遥というべきだろう。いかに膨大な仮装戦艦の共有記憶をも受け継いでいるとはいえ、なかなかできる事ではない。マイクロブラックホールはあらゆる物質を貫通するが、無限小に等しい小ささ故に被害を与えることはない。あくまでも破壊力の本体はホーキング放射なのである。

『鶫!よかった、意識が戻ったのか』

『はい……でも、まわりが見えなくて……ごめんなさい、感覚器が死んでるみたいです……』

『仕方ないさ。酷い怪我だ』

『別の歴史の私たちと戦ったんですものね……』

鶫は、一角獣リオコルノがたどって来たのであろう道程へと思いを馳せた。恐らく自分たちに匹敵するほどの試練を潜り抜けて来た筈である。異なる歴史からの来訪者である以上、その目的が自分たちと同様かどうかは分からぬにしても。

『先輩』

『なんだい?』

『先輩は、やっぱり凄いです。いつもいつも、わたしにはできないことをやってのける……』

回線の向こう側。遥は苦笑したようだった。

『買いかぶりすぎだ。私はただの人間の小娘にすぎないさ。金属生命体の精神と肉体を得た今でも、ね。できないことはたくさんある』

『でも。先輩は、運命に抗ったじゃないですか。あいつは。あの機械生命体マシンヘッド―――金属生命体かもしれませんけど―――を退けて、わたしを助けてくれたじゃないですか』

『……そうだな』

返答は、一拍遅れた。

他の者ならば気付かぬであろう小さな差。されど、鶫は敏感にその違いを感じ取ってのけた。

『先輩……?』

『……』

『―――すいません先輩。感覚器、お借りしていいですか?』

『君には私の全てを与えた。好きに使うといい』

遥の感覚器を借用した鶫は、即座に現状を把握した。

遥かな下方―――特異点をとした場合―――を落下していくのは、一角獣リオコルノの亡骸。

長大な角は半ば欠け、右脚と左腕を失い、全身に無数の傷が刻まれ、そして。

そいつの左胸を貫いているのは鶫の脱落した右腕だろう。遥が用いたに違いない。彼女は鶫と違って手があるから、掴んで刃物として利用できないことはないはずだ。暗号鍵があるから活性化させることもできる。それにしても無茶だが。

それはよい。戦えば手足の一本くらい飛ぶものだ。自分の体は遥のものである。有効活用されるなら何の問題もなかった。しかし。

一角獣リオコルノの腹部。そして尾を貫いているのはなんだ。大きな塊から伸びているようにも見える。いや、あれは仮装戦艦の胸郭と、そこから伸びている左腕ではないか。もう片方は、同じく仮装戦艦の、右脚では。

遥へと、目をやる。

その姿は、控えめに言っても残骸だった。下手をすれば鶫自身よりも損傷の度合いは激しい。復旧は絶望的だろう。

『……せん……ぱい……?』

『すまない。相討ちに持ち込むのが精一杯だった』

『……ああ。なんてこと』

鶫は、何があったかを察した。遥の砲撃は、一角獣リオコルノを仕留めきれなかったのだ。だから残された手立ては白兵戦だけだったのだろう。仮装戦艦の貧弱な格闘戦能力で。その結果が、相討ちであっても誰が彼女を責められようか。

時間遡行攻撃の目論見は潰えた。ふたりの詭弁ドライヴは全滅だ。仮に復旧できたとして、先ほどの激しい戦いと機動のせいで、今いる座標はもう分からぬ。すなわちいて座Aスターの外へ出ようにも、望みの時代へ行くことは出来ない。下手をすると異なる世界。あの一角獣リオコルノが来たような別の歴史に行くことにすらなるかもしれぬ。それにこの損傷では、降着円盤の放射に耐えられないだろう。修復には質量が絶対的に足りぬ。残った二人ぶんを合わせたとしてもだ。

万事休す。

『済まなかった。

もう。我々に打つ手はない』

『……先輩。謝らないで』

もはや出来ることはあまりない。二人の躯体を繋ぎ止め、この空間に留まり続けるのがせいぜいだ。

視界の隅で、一角獣リオコルノが回転しながら堕ちて行くのが見える。あのまま、特異点の果て。別の時空へと旅立つのだろう。

『私は、全てを取り戻したかった。平和だった地球を。失われた世界を』

『私もです。あの光景が蘇ればいい。そこに自分がいなくても、そうするだけの価値がある。そう、思ってたんです』

『―――残念だ』

見上げた天に広がるのは、光で出来た蜘蛛の巣。ちっぽけな少女たちを見下ろすそれは、視覚化された宇宙の歴史そのものである。

ふたりは、歴史から拒絶されたのだ。

やがて。

静かなすすり泣きが、どちらからともなく響き始めた。

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