第84話 星空を見上げて

銀河中心は、星の誕生と死が盛んに繰り返されている世界である。

銀河面に沿って分布している分子雲は、数百万年の時を経て凝集。新たな星となるゆりかごであるし、既に寿命が尽きた超新星残骸に熱く照らされ、電離した水素ガスも広がっている。高エネルギーの電子の進路が磁場で捻じ曲げられた電波アークは強烈な光を発していた。

そして、いて座A。

太陽近くの1万倍も高密度な世界には、無数の恒星とガスやちりからなる複雑怪奇な構造を見て取ることができた。強烈な放射によって照らし出されたそれらは、驚くほどに美しく彩られた天然のカーテンだ。

膨大な星間物質の重力は更なる星間物質を引き寄せ、回転運動による遠心力が産み出す不可思議な安定を作り出している。

その中心を巡る、多数の恒星や、そして太陽質量の1300倍にも達するブラックホールすら、この地の主役ではない。彼らをその重力で従える、銀河の主。太陽質量の450万倍もの質量を備えた超巨大ブラックホールこそが、この世界の王なのだ。

その姿を目にすることは出来ない。ブラックホールとは、光すらも脱出することが叶わぬ時空の牢獄であるから。

されど、その周辺。莫大な星間物質が引き込まれる際に上げる断末魔は、超巨大ブラックホールの姿を露とするのだ。

今。この美しくも激しい、冥界のごとき世界は来客を迎えていた。


  ◇


太洋だった。

水平線の向こうから上っている星空は、まるで光のカーテン。強烈なエネルギーの濁流が全天より押し寄せ、大気の揺らぎを通して色鮮やかな姿を作り出している。それは澄み切った海面に反射され、水上と天上。双方を星空に挟み込まれる格好となる。

絶景であった。

信じ難いほどに美しいその光景はしかし、有機生命の生存を許すことのない死の輝きなのだ。

だから、その景色を楽しんでいる少女たちもまた、人では在り得なかった。

海上に突き出た岩塊。実のところ海底から顔を出した山の頂上に腰をかけた少女の一人は、銀。

小ぶりな頭部。顔の上半分をバイザーで隠し、後頭部からは髪のように伸びる複雑な放熱板。刃の四肢とスカート状に折りたたまれた副腕を差し引いても少女的シルエットを保つ彼女の体躯は、35メートルもある。

その隣でやはり星を見上げているのは、薄桃色の金属光沢を放つ肢体。

手首と足首には身長の3倍もの長さの機械を据え付けられ、背中には自身よりも大きいのではないかと思える、つぼみのごとき構造物を背負っている。

バイザーで顔を隠し、長い髪を伸ばした彼女は身長こそ銀の少女と等しかったが、しかしこうして並んでみると違いがよくわかった。体格が随分とがっしりしているのである。肉付きがよいとも言えた。銀の少女が華奢にも見える格好。

鶫と、そして遥だった。

あの戦いが終わったあと。二人は、即座に残った金属生命体を斃した。大して難しくはなかった。残った仮装戦艦たちは鶫が裏切ったことを知らない上に放熱処理も終えていなかったから。

追手を全滅させた少女たちは、自己修復を終えるとすぐさま、旅だった。慣性系同調航法のできる遥が鶫を運ぶ形である。鶫はその長い生涯で初めて、をされる、という経験をした。遥は「役得だな」と笑っていたが。

事前に遥が観測機を投射していた地点を中継点として数回の跳躍を終え、そして今。

いて座A*スターから100光年の距離で、ふたりは休憩を取っていた。次の跳躍に適した重力状況になるまでの時間待ちである。

この。生命が住まぬ、美しい水の惑星で。


  ◇


『いやはや。しかし、間近で見るといっそう激しいものだな』

遥の発言。

彼女には、もはやはっきりと見えていた。視線の先にある天体。すなわちいて座A*と、その周囲を巡る多数の星々やガス雲が作り出す、激しいダンスの様子が。

強大な重力によって生み出される運動エネルギーは、最終的に放射へと姿を変える。ガスが超巨大ブラックホールに落ち込む際のエネルギー変換効率は、40%にも及んだ。それこそが、強烈な電波源としての銀河中心。そのエネルギー源なのだ。

ブラックホールが周囲に作り出す降着円盤の温度は、数十万ケルビンにも達しよう。

事前の十分な準備と計算がなければ、転換装甲で鎧われた少女たちと言えどもさほど長くは生きられない。

ましてや、自分たちはブラックホールに飛び込み、そして脱出してこなければならないのだ。恐ろしく困難な事業だった。

『そうですね。でも、今までの道のりも同じくらい険しいものでした』

『うむ。

まぁ、死ぬのは覚悟していたがまさか、2000年も足止めを喰らうとはな』

『先輩……』

遥は笑っているが、実際のところその労苦は想像を絶して余りあるもののはずだった。

それに、もう。彼女は元の人間の肉体には戻れない。その事を、鶫は知っていた。

肉体を再構築することはできる。しかし、遥は金属生命体として長く生き過ぎた。人間として生きた年数よりも遥かに、長く。蓄積した記憶はあまりに多く、人間の小さな脳には収まらぬし、その大半は人間のものに変換のしようがなかった。金属生命の精神構造はあまりにも巨大で異質だったから。

それに、これから先生きていくには人間のちっぽけな肉体より、仮装戦艦の強靭なからだの方が便利なのは確かだった。

『心配しなくていい。金属生命でいるのも悪くはないよ。

それに、前よりスタイルは良くなった』

『もう。何言ってるんですか、先輩』

手で胸を強調する遥に、鶫は噴き出した。

確かに今の遥のスタイルはかなりよい。メリハリの効いたボディラインは、シルエットだけならモデルとも区別がつかぬであろう。身長35メートルでは着る服にも困ろうが。

『さて。まだもうしばらく時間はあるか。

珠屋の餅でも食べるかね。久しぶりに』

『はい』

ふたりは、時が来るのを待った。

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