第71話 遥かなる旅路
虚空を渡る一塊の光。波でもあり粒子でもあるそれは、長い旅を終えようとしていた。
20年という歳月をかけて飛び続けた光は随分と拡散してしまったものの、その保持していた情報。随分と小さな、しかし極めて厳重に冗長性を確保されたそれをしっかりと保持しつつゆっくりとバルジを横断しつつあったのだ。
そのままであれば、光は永遠に飛び続けたであろう。宇宙は広い。まっすぐ飛ぶ光が、他の物体に衝突する可能性は限りなく低い。
されど、犬も歩けば棒に当たる。
波長が一定に揃えられていた光は、拡散してなお十分なエネルギーを保持していた。信号という形で運んでいる乗客を復号し得るほど、十分に。大出力レーザー光線砲より放たれた断続的な信号は、とある星系を通り抜けようとしたところで、巨大な物体にその一部が衝突し、旅路を終えた。
問題の物体は、受信した信号が自らの用いている規格であることを認識すると同時に復号を試みる。信号は、復元された段階で自己展開を開始、同時に自身を受信した、というシステムの認識を殺す。無数の小さなサブシステムの集合体である物体。その総和たる一種の自意識は、自らの内側でそんな小さなやり取りが起こったことにも気付かず、自らの任務。すなわち天体観測及び哨戒を続行した。
彼女は、自分の内側で蘇りつつある小さな小さな魂の事など、想像だにしなかった。
◇
金属生命体群は、本来的に群知性である。宇宙という広大な環境に適応する過程で、天体ごとの司令塔としての指揮個体を頂点とするトップダウン式の集団構造へと変化していった―――突撃型指揮個体などの亜光速戦闘型はまた別で、惑星ひとつを管理し得るだけの情報処理能力が必要とされる―――が、彼女らにはもともと上下の別という概念が希薄である。
その星系に存在する、哨戒型下位個体群からなる自意識もそうだった。
彼女は、差し渡し0.05光年にも渡る星系に展開する観測網である。巨大なガス惑星や恒星に近すぎる岩石惑星などが存在するが、
だから、その日。自意識が自らの内より発見した不可解なデータも最初、その類だろうと思われていた。
―――なんだろう。これは?
彼女が見つけ出したのは何らかの分子の構造データ。複雑に絡み合ったそれはある種の有機物のようだ。二重に螺旋を描いた構造図?
ログを見たところ、しばらく前に受信した信号に収まっていたらしい。謎である。他の観測データと共に、特に興味を引くものはない、として中枢へと転送済み。
一度そのように結論付けたにも拘らず、今自分が興味を持っていることも謎であれば、そもそもこんなデータが紛れ込んでいること自体が謎である。金属生命体にも好奇心はあったから、彼女はデータを解きほぐしにかかった。
結果が出たのは、しばし経ってからの事。
比較検討用に他よりデータを取り寄せ、判明した事実。どうも生物の生命構造、分子レベルのそれに近い。特に、商業種族と酷似していた。
どこかから紛れ込んだ情報かあるいは、遠い昔に発された信号を今になって受信した、とも考えればつじつまが合う。それは最も妥当性の高い推測でもある。
この段階で自意識は、一旦このデータへの興味を喪失した。正体が分かってしまえばつまらないものである。謎は謎の段階が最も想像を膨らませる余地はあった。仕事へとその興味を移す。
彼女が再びその情報へと興味を持ったのは、更に何十年という後の事。
遠方で起きた、比較的最近の爆発。光速の数分の1にまで加速された荷電粒子は、以前に感知したことのあるものに遅れてやってきたに違いない。大規模な戦闘の余波であるそれを感知した時、何故か忘れていたあの、生き物の事を思い出したのだった。
どうしてだかは分からない。ただ、異常にその情報に惹かれるのだ。
放り出していた解析を再開する。構造を
悪戦苦闘する事数か月。仕事の合間、余剰の計算能力で行う作業は遅い。それはある種の趣味と言えただろう。
やがて完成した、
四肢がある。頭部がある。突撃型指揮個体にも似たフォルムは2メートルもない。頭部から伸びる体毛と、有機物の貧弱な皮膚によって内部構造を守り、複雑な細胞構造とカルシュウムを主成分とする骨格によって辛うじて崩壊を免れた、7割が水分からなる生命体。液状生命体と呼ぶべきであろう。
その頭蓋に収まる中枢神経系は、知性を持つのに十分な大きさと機能を備えている。恐らく優れた知性を備えるのであろう。哨戒型下位個体群の自意識が組み立てたそれはむろん、中身は空っぽであるが。
―――こんな生き物は知らない。
なのに、何故だろう。どこかで見たことがある。分からない。分からないときは調べるのが一番だ。
彼女は、このデータを受信した際の条件を注意深く探した。自らの内へと深く、深く潜っていく。やがて。
その時の状況が発見された。遠方より投じられたレーザー信号。拡散の度合いとドップラー偏移から、発信元は容易に特定できるだろう。しかし。
どうして、こんなものを自分は知らなかったのだろうか。探さなければ見つからない、ということは、認識したことすらなかったはずである。不可解な。
気持ち悪さを感じながらも、自意識はレーザーの発振元を探る。そちらの方向に存在する過去の記録を参照し、時に他所より照会して。
該当するデータを探し出した時、彼女は息を飲んだ。
碧の突撃型指揮個体。刃の四肢を備えた少女型フォルムが、多数の金属生命体と交戦している記録。
彼女の姿に、見覚えが、あった。
ああ。どうして忘れていたのだろうか。彼女は、友達。そのはずだ。他の何を忘れても、彼女の事だけは忘れてはならないはずなのに。
だが、自意識はその突撃型指揮個体と面識はなかった。もちろんすべての金属生命体は、密な信号網によって常に情報を交換してはいるが。
調べてみると、どうやら彼女は異種族に捕らえられ、
―――そうじゃない。彼女は自分の意志で、あそこまで、来た。
浮かんできたのは、推測を否定する言葉だった。だが、分からない。思い出せない。会ったこともない指揮個体。彼女を知っている自分は、何者だ?
嫌だ。知りたくない。知ってしまえば、心の平穏が破壊されてしまう。恐ろしい。怖い。
哨戒網に宿った自意識は、生まれて初めての恐怖を覚えた。異種族に対するそれではない。自分自身の
―――知りたくない。知りたくない。知りたくない。嫌だ。助けて。
それでも。
自意識にまるで抗うかのように、彼女自身のサブシステム群は、情報を解きほぐしていく。
そこから目を背けようとして、視界に入って来たのはあの、ちっぽけないきものの姿。
そこで、彼女は悟った。こいつが一体、何なのかを。
―――これは、私。私自身の肉体だ!!
呆然とする自意識。金属生命体群のフォーマットに変換され、その一角を極めて慎重に乗っ取った最後の人類。
20年の歳月をかけて虚空を渡り、そこからさらに107年の時を経て蘇った少女。
彼女は、自らが何者だったかを思い出していた。
金属生命体群の言語では表現しえぬ、自身の本来の名前までも。
角田遥は、いつまでも呆然としていた。
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