第69話 墓所
それは、壁画だった。
神話の光景を描いたものであろうか。巨大な魚を担いで背を向けた、毛皮の獣人。それを追いかける、やはり獣人たち。湖岸あるいは海岸沿いにあるのは木造の家々だろう。モザイク。すなわちガラスやタイルといった小片を組み合わせて再現された光景は、1万2千年の時を越えてなお、生き生きと過去の様子を伝えている。
「―――魚泥棒。この絵画の題名です」
壁画の脇につけられたプレートを読み取り、鶫が遥へと告げる。
ここは、球形の建造物の中。商業種族の遺構で、ふたりの少女が操るサイバネティクス連結体は、絵を見ていたのだった。
「魚泥棒?」
「商業種族の神話です。世界最初に誕生した泥棒。魚とは、商業種族にとっては富の象徴です。彼らはもともと漁撈の民でしたから。それを奪い去り、風のように逃げていく。誰も追いつけない俊足だったそうですよ」
「……異種族も、考えることは人間とたいして変わらないな」
「まったくです」
遥は、過去に出会った人々を思い返した。もふもふたち。艦艇級の指揮個体。不知火。雫。それ以外にも、幾つもの種族と出会った。
いずれも、少なくとも遥に理解できる思考形態を備えていた。もちろん、全く人類とは異質な部分がなかったとは言えないが。
「商業種族は、人類とほぼ同一の生命構造を備えた種族です。彼らの食べ物を無加工で人類は食べられます。逆も可能です」
「そのわりには随分とおちびさんだったようだ」
鶫の説明を聞いていた遥は苦笑。この施設は狭かった。いや、正確を期すならば、天井が低いのだ。腰を屈めねば頭を打ち付ける場面が幾度もあった。
「そうですね。彼らは小学生並みの体格ですから。人類と比較して、争いは得意ではありませんでした」
体格の小ささは、エネルギーの消費量の少なさにも通じる。必要な物資が少なかったのだ。商業種族における同族間の争いは、人類のそれと比較して驚くほど少なかったようだ。だから、彼らが文明を進歩させる原動力となったのは、より豊かになりたいという欲求なのだろう。商業を発展させたのもそこに起因する。
この点においては彼らは学術種族よりもずっと、
もっとも、宇宙に飛び出てからも商売をやめなかったところを見ると、やはり根っからの商売好きだったのではないかという疑念は拭えないが。
遥は、周囲を見回した。
朽ちた通路はしかし、1万年を超えるものとは到底思えない。自己整備機能が限定的に、ではあるが生きていたのだ。そうでなければ、この環境下で機能を維持できたはずもない。
「やはり、放棄されたのかな、ここは」
「分かりません。もう少しばかり調べないと」
ふたりは、遺構内を探索した。扉を開き、倉庫の中に首を突っ込み、配管を検分し、資料室を漁った。
そして、入り込んだ一室。
かつての住人が、そこで待っていた。1万2千年の歳月を越えて。
ベッドだったのだろう。いかなる作用か腐食を免れていたそこに横たわっていたのは、驚くほどに保存状態の良い2体の
毛むくじゃらで、まるで人型のカワウソのような姿の彼らは、家族だったのだろうか。遠い昔に息絶えたのが察せられた。
「……鶫。……これは、一体」
呆然とする遥へ、鶫は首を振った。
「恐らく病死か、あるいは自然死でしょう。老衰かもしれません」
「ああ。ああ……なんということだ」
遥は、力なく項垂れた。ここが戦前に放棄されたはずがない。それならば遺体が放置されているはずがないからだ。異種族であろうとも、理由もなく遺体を居住区画に放置しておくことはまずありえない。衛生上の問題もあるし、スペースの問題もある。長い歴史を持つ恒星間種族ならば、独自の倫理観も持っているだろう。この辺は普遍的な真理だ。
だから、このひとたち。2体の遺体は、ここで最期を迎えねばならなかった事情があったはずだ。満足な医療を受けることは愚か、埋葬すらされないほどの事情が。
ふたりは、こうなった原因についてうすうす勘づきつつあった。
「記録を探しましょう。恐らくどこかにあるはずです」
「……ああ」
ふたりは、部屋を後にした。
◇
墓石だった。
そう呼んでいいのかどうかは議論が分かれるが、人類の基準に照らし合わせればそれは墓石、と呼ぶしかあるまい。
そう。多数の死者の名を刻み込まれた、一枚の
遺構の奥まったところ。比較的広いスペースをとられた、公園とも思われる場所に、この石碑はあった。
「ここに住んでいた人たちは、恐らく避難者なのでしょう。文明が崩壊し、必死の思いでここまで逃げて来たはずです」
「古い、放棄された施設を再整備して、か……?」
「恐らく」
遺構には生活痕があった。多数のひとびとが、長期間居住していた様子が見受けられたのである。恐らく何世代。いや、十数世代、そのコミュニティは続いたはずだ。
金属生命体群より逃れ、隠れ潜んでいた商業種族たち。人口が減少し、緩やかに衰亡していったのは明らかであった。その最後の一人が、どのような思いで世を去ったのかは分からない。
唯一の救いは、彼らが最後まで金属生命体群に発見されなかった、という事だろう。本来の建造意図とは異なるにしても、この施設は立派に役目を果たしたのだ。
「ああ……っ。ああああ……」
遥は、跪き、顔を覆った。口から漏れ出るのは嗚咽。その背を、金属生命体は抱きしめた。
泣き声は、いつまでも施設内で響いていた。
◇
ひとしきり嗚咽が続いた後。
遥は、ハンカチで顔をふき、そして立ち上がった。
「せんぱい。大丈夫ですか?」
「ああ。すまなかった。……さ。本来の目的に戻ろう」
「はい」
遥は、この代用に体に涙を流す機能を付加してくれた後輩に心から感謝した。合理的に考えればサイバネティクス連結体が涙を流す必然性などどこにもないというのに。
目的を果たさなければならなかった。施設の機能を停止させるのは気が進まない―――ここが墓所だと知った今ではなおさらだ―――が、そうしなければ敵に発見される危険が高まるだろう。ただでさえ金属生命体群は何万という大軍で周囲を取り囲んでいるのだから。
二人が動力室を探すべく、動き出そうとしたその時。
天から、強烈な光が降って来た。
―――え?
まるで時間が引き延ばされたかのように奇妙に、その光球はゆったりに見えた。
320トンもの質量を無限小の空間に押し込めたそいつは無慣性状態より復帰。周囲の真空よりエネルギーを剥ぎ取りながら急激に質量を低減していく。
何かする暇などなかった。
遥と鶫。彼女らの眼前で、特異点砲の弾丸―――マイクロブラックホールは、蒸発。すべてを呑み込んでいった。
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