第68話 遺構にて

潮汐力とは、複数の天体の相互作用によって生まれる。

重力の働き具合は距離によって異なる。月と地球の場合、月のある側と反対側の地表とでは、驚くべき差が生じるほどだった。地殻がたわみ、海が持ち上げられるほどに。それほどの力が相互の位置関係によって変わってくるのだからこれは、時に莫大な熱源ともなった。

そう。

今、少女たちの潜む海底。ドロドロに溶けた氷の奥底も、そのように生じた熱によって生まれたのである。


  ◇


墜ちていく。

一筋の光すら刺さぬ水の中。鶫の躯体は、凄まじい速度で下降していた。

彼女の体重は三万トンを超える。を遥に上回る高密度の肉体は、重力に引きずり込まれていくのだ。

鶫は、抗わなかった。ただ、自然の法則に身をゆだねるのみ。

一切の光も通さぬ水中を見通す助けは音波と、そして中性微子ニュートリノ。熱源。磁気。

生命など、ひとかけらも存在せぬの光景を、ふたりはただ、見ていた。

「一寸先は闇、か……」

遥の呟き。

この暗黒を生む分厚い水と氷は、敵の捜索から遥と鶫を覆い隠してくれる天祐でもあるはずなのだが。

まるで、ふたりの見通しの暗さを暗示しているかの如き視界だった。

とはいえ、何事にも終わりは来る。

随分と長い時間降下していた鶫はやがて、海底に。鋭利な爪先が体を支える。

「いつも不思議なんだが、何で地面にめり込まないのかね?」

鶫の足元を見ながらの遥の疑問。それに苦笑しながらも、鶫は答えた。

「私はんですよ。脚は武器ですから。歩いてるように見えて、いつも浮いてるんです」

「なるほどな」

考えてみればなるほど、突撃型指揮個体は宇宙兵器である。重力下を歩行することを想定する必然性はない。それにしてはよくぞここまで、人体とそっくりな形態になったと言えるが。

「さて。どうする?」

「しばらく活動を休止します。エネルギー放射を最小限にして、包囲が解かれるのを待ちましょう」

「了解した」

35m級指揮個体一般のエネルギー源は質量そのものである。素粒子を自在に組み替え、元素転換すら為し遂げる彼女らは、物質を直接エネルギーに変えることができるのだった。全身に偏在する量子機械で、自身の体をエネルギー化して活動するのだ。だから彼女らにはジェネレーターに相当するものがない。必要な部位から必要なだけのエネルギーを作ることができるからだった。彼女らの体重が3万トンもあるのもそこに起因する。構造の大半はそのまま燃料でもあるのだ。

先輩の了承を得た鶫は周囲を見回し、体を横たえるのにふさわしい場所を探す。その過程で、ふと違和感。

「……?」

怪訝な顔をした彼女は、センサーを集中した。―――そして、絶句。

「鶫?どうした?」

返答の代わりに、仮想空間内の画像がズームされ、一点が指し示された。

そこにあったのは―――

「……建物?」

幾つもの球体。金属でできた、何十メートルもある構造が連結された人工物は、そこに鎮座していた。


  ◇


「そんな馬鹿な。金属生命体の勢力圏にこんなものがあるなんて!」

遥は信じられない、と言うように首を振った。

それは、生命構造を持っていなかった。すなわち金属生命体群が建造したものではないのは明らかだ。きわめて高度な技術で作られた人工の建築物が、金属生命体群の勢力圏内。その、海底に沈んでいたのだ。

水圧に耐えるためであろう球形の構造物へと、鶫は慎重に歩み寄った。

「いいえ、先輩。この星系はかつて、私たちのものではなかった。他の恒星間種族が到達していたはずです」

「生き残った、というのかい?これが?」

「分かりません。見たところ、ずいぶんと古いもののようです。ほら、あそこ」

鶫が指した方向には、別の球体。何十メートルもあるそれは、原型を留めていなかった。圧壊し、無惨な内部構造を晒していたのである。周囲を見回せば、幾つもの壊れた構造物。時の流れに耐えられなかったのだ。

「───かつてこの近辺には、商業種族が進出していました。過酷な環境にすぐ撤退したようですが」

銀河中心領域。その中でも、いて座Aスターのすぐ近く、三百光年ほどの範囲はひとの居住に不向きである。強烈な放射線を遮蔽せねば生きることはかなわなかった。強靱な金属生命体ならともかく有機生命体が好き好んで住むような場所ではない。恒星間種族の技術力があれば住むこと自体は可能だとしても。

「では、戦争以前の遺跡なのか……」

「可能性はあります」

ようやく遥にも得心がいった。こんな隠れるように建物がある理由は、実際には異なる。分厚い氷と水で放射線より身を守るためなのだろう。

地熱からエネルギーを得ているらしい建築物は、未だに緩やかながら活動しているように見えた。

「先輩。どうしましょう。この施設、まだ一部は動いています」

敵の関心を惹くかもしれない。そう言われて、遥は思案。

「停止させよう。だが、なるべく破壊は避けたい。中を調べる準備を」

「分かりました」

後輩は頷くと、建築物───いや。遺跡へと入るための支度を始めた。

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