第63話 夢から醒めて

太陽の恵み無き氷の衛星。

その地表にこんもりと出来た盛り上がりが、光を発した。

蒼い輝きとともに、氷の中より姿を現したのは鋼の骨でできた魚。鏡面のごとく星々を映し出す表面はまるで鏡のようだった。

水中から現れたようにも見える巨体は、実際には物質と物質の合間をすり抜けていた。大変ゆっくりな動きである。この機能の用途はエアロックの代わりから亜光速中の星間物質抵抗の無効化まで幅広いが、高密度・堅固な物体を高速では透過することが出来ないのだった。

浮かび上がりつつあるのは、遥たちの船である。修理が終わったのだ。

「やれやれ。今回はどうなる事かと思ったが。何事も経験しておくものだな」

飛び立ちつつある巨体を見上げながら遥が言っているのは、船を最初に修理した時のことであった。

誤解を恐れずに言い表せば、生命とは超精密な機械である。ならば逆に、十分に進歩した機械は生命以上の精密さを持つであろう。もちろん、それは生物が備える機能を付与することも可能になるはずだ。船は実際そのような代物だった。遥はそれら高度機械の構造や取り扱い方を、鶫より習いながら実地で学習した。不知火を曲りなりにも再起動させられたのもそこに起因する。自然発生生物より精密な機械、という意味では機械生命体マシンヘッドだって似たようなものである。本来は鶫が機能停止した際に応急処置できるように、とその辺を身に着けたわけだが、意外なところで役立った。もちろん機械生命体マシンヘッドと突撃型指揮個体の生命構造がほぼ同じだからできた芸当ではある。

遥がつぶやいた場所は既におなじみとなった内である。例によって肉体を解体された上でとりこまれているのだが、もはやそんな事は慣れっこになってしまった。便利だし。地球が健在であればこれだけで哲学的な論争が起きそうな塩梅である。まあ、考えようによっては遥の肉体は今、鶫の構成原子そのものだ。文字通り一心同体である。悪くはない。

隣でともに船を見上げている少女姿の鶫は、実際には氷原にて巨体を浮遊させていた。

「体調はどうだい?」

「はい。すごくいいです。分解整備オーバーホールなんて久しぶり。必要な者が優先されますから」

鶫曰く、分解整備オーバーホールは金属生命体にとってとてつもなく気持ちいいものなのだという。人間の遥にはどれくらいのものなのかちょっと想像がつかない。まさか分解整備されるわけにもいかない。

「ふむ。道中、余裕があれば極微作業工場をするのもいいかもしれないな」

「ああ、それは有難いですねえ」

遥の冗談にクスリと笑い、鶫の躯体はふわりと浮き上がった。そのまま、船へと飛び乗る。

機能を再確認した彼女は、旅立ちを命じた。船は船首を上に向け、そしてゆっくりと重力圏を離脱していく。

どんどん小さくなっていく衛星。そして、その主星たる花園を、金属生命体はいつまでも見つめていた。


  ◇


「―――行っちまった、か……」

珍しく雲が晴れた花園の地表。木の根で出来たそこから空を見上げ、不知火は呟いた。それも、音声で。

35メートルの巨体の肩に立っているのは、白い髪を持つ人間の童女。幾重もの薄桃色と白の衣を重ねた神霊のごとき彼女は、不知火がここしばらく操っていたサイバネティクス連結体である。遥の世話をするために使っていたものだった。

あどけない容姿に浮かべる彼女の表情は、厳しい。

結果的にではあるが、種族の不利益となることを黙認してしまった。いかに成功率が低いとはいえ、時間遡行攻撃による歴史改変は今いる全ての学術種族。いや、銀河の全種族に多大な影響を与えるはずである。どこまで被害が及ぶか、見当もつかない。計算不能と言ってよかった。複雑系カオスがもたらすバタフライ効果は、銀河を丸ごと呑み込むだろう。蟲一匹殺すために熱核弾頭を用いるようなものだ。まあ不知火や雫が消滅するのは間違いない。いや、現存する全ての機械生命体マシンヘッドが。

機械生命体マシンヘッドとは、金属生命体群どもと戦うために誕生した種族なのだから。

だが、それでも。あそこで死にたくはなかった。雫も、そして花園もあそこで終わらせたくはなかったのだ。

それに。

不知火は、兵器である。敵を滅ぼすために自らが破壊されるのは許容できた。誰の記憶にも、存在そのものが残らぬというのは業腹ではあったが。それも自らが、敵を滅ぼす一矢を解き放ったのだと思えば慰めにはなった。

だから、不知火は主人への裏切りともいえる行為をしたのだ。

もはや遥たちと会うことはあるまい。

残念ではあった。あれほど頭の回転が速く、勇敢で、機転が利き、強い女は初めてだった。閨の中以外でも彼女をぎゃふんと言わせてやりたかったのだが。

さすが、不知火をやり込めただけのことはある。

彼女たちならば本当に目的を達成してしまうかもしれない。

不知火は、ほんの少しだけ、遥の成功を願った。本当に、少しだけ。


  ◇


―――暖かい。

極微作業溶液の中で、雫は眠りに就いていた。死の眠り。重篤な損害を受けた彼女を、溶液は優しく包み込み、損傷は着実に癒えていく。

―――ああ。長い間、眠っていた気がする。

長い。本当に、何千年という歳月をまどろみの中で過ごしたような感覚。不思議な夢だった。この世の楽園のごとき場所。花が咲き乱れ、鳥や蟲が飛び交い、大気は甘い。信じがたいほどに美しい場所で、雫は永い刻を過ごしていたのだった。

自分は、破壊兵器のはずだったのに。

幸せだった。友達とふたり、仲良く暮らしていた。大切な後発機いもうとである、不知火とともに。

夢の中では、戦わなくてよかった。武器は高枝ハサミに変わり、命令してくる学術種族はおらず、もちろん襲い掛かってくる金属生命体群もいない。平和で温かい世界。素敵だった。

そんな場所で、自分の仕事はなんと。園丁なのだ。

全ての機械生命体マシンヘッドの、それは夢だった。戦いではない、平和な生活。小さな体躯に詰め込まれた高度極まりない機能の数々を、殺し合いではなく建設的な事業に振り向けること。

夢だから、醒めてしまうのは必然である。

雫は、閉鎖していたセンサー系を解放した。現在地は不明。駆動系は外部からロックされた状態。身動きできぬ。とはいえ学術種族の規格で作られた修復槽に、己は浮かんでいる。だから、戦闘で負傷し、修復を試みている途中なのだろう。先の戦闘、撤退していく部隊の殿を務めたというのに、友軍と合流できたとは。何たる幸運か。主人たちの技術力は優れている。自分がどれほどの損傷を受けたかは分からないが、傷は癒えるだろう。問題ない。

何の気なしに、時計へ目をやる。

6028年。

それが、あれから流れた時間だった。

混乱しつつ、外部へアクセス。どうやら己の時計は狂ってしまったらしい。そこの修復も含めて、要請せねば。

雫が送り出したメッセージ。それを受け取り、応対してきたのは管理AIでも、学術種族の技官でもなかった。

『―――雫!目が覚めたのか!!』

現れたのは、知った顔だった。不知火。妹のように思っている、突撃型ユニットだった。

『……不知火?何故あなたが?戦況は?ここはどこ。軍じゃなくて、ひょっとして移民船かなにかなの?』

『……覚えて、ないのか?』

『……長い。とても、永い夢を見ていた気がする……』

『そうか。ま、それならゆっくり休め。大丈夫だ。きっとな』

『……うん。分かった』

分からない。雫には分からなかったが、不知火の言葉を信じることとした。

一時は活性化した機能が、再び休眠状態へと移行していく。

『大丈夫。きっと。だから、お休み……』

『おやすみ、なさい……』

そして。

全てが、闇に包まれていった。

優しい眠りへと。


  ◇


時間は全てを解決する。

そう。生命さえあれば、やり直すことはできるのだ。

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