第57話 開戦準備

【花園・衛星地表】


氷原だった。昏い夜空は、暗黒星雲に星の光が減衰させられているが故。随分と寂しい光景である。

こんもりと盛り上がった山に見えるのは氷のドックだった。いや、つい先日までそこは本当にただの氷山だったのだが。中を掘り抜いてドックに仕立て上げただけなのだから。

今。そこからにゅっ、と顔を出した者の姿があった。不知火である。

物質透過で壁をそのまま抜けて来た彼女は、ふと顔を上げた。主星である花園より感知した電磁波へと、顔そのものであるアンテナを向けたのである。

秘匿通信。それを手順通りに復号した不知火は、面食らう羽目になった。

───ふええええええええんっ……!

泣き声である。それもよく聞き覚えのある

───なんだどうした!?おい、雫!?

焦りまくる不知火。訳が分からない。雫とともにいるのは地球人だけである。もちろん生身の有機生命が機械生命体マシンヘッド相手になにかできるはずもない。何か泣かせるようなことを奴が言ったのか?

そこまでを光速の思考回路で判断すると、不知火は問い返した。秘匿通信の焦点をこちらに合わせるよう命じた上で。

───地球人か? 何をされた?

───ち、違うの…わたしが勝手に、遥の記憶を覗いたの……わたしが悪いの…

───脳内情報を勝手に読んだのか!?

不知火はた。大抵の恒星間種族にとってそれは大変な不快感を持たれる行為である。不作法と見られても仕方なかった。更に彼女は高度に秘匿されるべき軍事行動の途中のはずである。最悪、自分たちだけではない。学術種族全体による、人類に対する敵対行為と見られかねない。

───ええい! 仕方ない、連中には秘密にしろ。それと、何を覗いたか知らんが落ち着け……!

───うん。ごめんね……。すごく綺麗なね。町がね。星がね。光に包まれて、みんな、なぎ倒されて………それで、私、訳が分からなく……

───星が吹っ飛ばされる所を見たのか……

不知火は内心で渋面を作った。銀河ではありふれた光景。金属生命体群に特異点砲を撃ち込まれて破壊される天体を、彼女は今まで何度も見てきた。あの遥という有機生命も同様の体験をしたのだろう。悲しいことだがしかし、それを止める術はない。

不知火は雫が動揺した理由に得心したが、話はそれで終わりではなかった。

───それでね。遥はね。人類を救うつもりなの。

───救う?

奇妙な言い回しに引っかかりを覚える不知火。遥の言っていた軍事行動のことだろうか。

───うん。遥は、種族の最後の生き残りなの。

―――最後?最後と言ったか!?

―――人類は、惑星間航行も実現してないから……星を壊されたから、全滅しちゃったの……

―――なんてこった……

それはすなわち、あの金属生命体がいなければ文字通り絶滅していたという事である。恒星間種族とはよく言ったものだ。遥は、己の背後にその存在をほのめかしていたが、実際には不知火たちが誤解するよう誘導していたわけだ。

まんまと騙されたわけだが、怒りは湧いてこなかった。生き延びるためならそりゃあなんだってするだろう。

だが、それならばわからないのは目的だった。論理的に考えれば、金属生命体群から逃れることを選ぶだろう。どうして銀河中心へと向かう?人類を救うとは?

不知火の疑問に、雫は答えた。恐るべき返答を口にしたのである。

―――遥は、歴史を変えるつもり。銀河中心に行って。

───時間遡航攻撃……っ!!

自らも時間兵器の端くれである不知火は、雫が何を言っているかを理解してのけた。それがどんな災いを引き起こすかも。

───生データを寄越せ。お前が見たって記憶全部を!

―――う、うん。

不知火の剣幕に驚いたか、雫が送ってきたのは膨大なデータである。添付された復号方法でそれを解きほぐした不知火はしばし黙考。

次に彼女が動き出したとき、覚悟は既に済んでいた。

───地球人を押さえろ!逃がすんじゃねえぞ!

不知火は、命令を下す。それもこの6000年間一度も使ったことのない優先コードで。

敵は強い。一人では不安があるのは前回の事で分かった。確実を期さねばならない。

―――不知火? どうするの?

困惑する雫に対し、不知火は笑う。鮫のように。

―――突撃型指揮個体を始末する。準備してろ。

通信を終えた不知火は、横へ顔を向けた。そこから遅れて出てきたのは金属生命体泣き女バンシィ級。個体名鴇崎鶫。

今のやり取りは1マイクロ秒に満たない。途中から指向性通信に切り替えもした。聞かれてはおらぬはず。

『―――?どうされました?』

『何でもない。戻ろう』

『はい』

何も知らぬ鶫に先行し、不知火はふわり、と浮かび上がった。

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