第56話 宇宙樹

宇宙樹。宇宙進出技術のアイデアのひとつ。

宇宙に進出する際もっとも問題となるのは「いかにして脆弱な生命を生かし続けられる環境を創り上げるか」である。星と星を隔てる莫大な距離や、そもそもの重力圏を脱出することも、この命題と比較すれば些事に過ぎない。

惑星の生態系とは、極めて膨大な生命種の複雑怪奇な絡まり合いによって成り立っている。その巨大なピラミッドの一部分を抜き取れば、全体が崩壊することもあり得るのである。高度に発達した文明が環境保全と生物種の維持を行うのもそこに起因する。

機械でやるのは難しい。人類が行った幾つかの閉鎖環境系の実験は貴重な教訓を残しつつも無惨な結果に終わっている。将来的には課題点を解決しえたかもしれないが、それには大変な技術の蓄積が必要なのだ。

樹木を中心とした生態系を利用する、というアイデアはそんな中で生まれた。樹木とはそれ自体が完結した生態系である。陽光をエネルギーに変え、酸素を作り出し、大地より吸い上げた栄養素を変換して生きる。他の生物種に対して様々な資源を提供する。だから、改造した樹木自体を宇宙に浮かべてはどうか。そんな結論にたどり着くのは必然だったのだろう。

もちろん通常の方法では不可能だ。実現するとなれば、極めて高度な生命工学が必要となるだろう。ダイソン球を考案したフリードマン・ダイソンは彗星に根を張り、最終的には育った枝葉が彗星そのものをすっぽりと覆い尽くして気密構造を創り上げるダイソン・ツリーも発案したが、もちろんこれとて思考実験の枠を超えるものではなかった。

だが、恒星間種族にとっては、違う。ひとつの。あるいは複数の種子から育て上げ、あるいは接ぎ木で、あるいはナノテクで最初からある程度の大きさで。かつて銀河中心領域には様々な樹木宇宙船や宇宙樹が満ち溢れていたという。

花園を生み出した技術もその系譜にある。不知火がこの星系にたどり着いた時、彼女はひとりぼっちで、何の資材も備えてはいなかった。あるのは自身の肉体のみ。

されど、彼女は機械生命体マシンヘッドである。この世で最も完成された作業機械のひとつ。工兵として宇宙居留地セツルメントの工事や艦艇の修復までもを視野に入れて建造されていた彼女には、宇宙樹を創り上げて育てるだけの能力が備わっていた。学術種族が知識化した、ほぼあらゆるデータも。

ただ、隠れ潜むだけならば宇宙樹など創る必要はなかった。それこそ小惑星の陰で何千年だろうと眠っていてもよかっただろう。されど、機械生命体マシンヘッドも狂う。孤独に耐えきれぬ。

そもそも彼女らは本質的に人工物である。自然進化の洗礼を受けていないこの超生命体の心は、時に脆い。

だから、六千年前。敵地の真っただ中に一人取り残された不知火は、狂気と戦いながら種子を生み出した。小さな小さな、宇宙樹の種子を。体内で合成した種は何千年もの歳月を経て人が住める大きさにまで育つだろう。

彗星に種子を植え、人工灯でエネルギーを供給し、成長の糧となる元素を供給した。この、自分なしでは生きてはいけぬ小さな生命体を見守っている間だけは孤独を忘れられたのだ。

雫を修理したのもこの時期だった。いや、それは修理と呼べるものではなかったろう。何しろ雫は死んでいた。中枢であるコアにも重篤なダメージを負っていたのだから。

それはどちらかと言えば新造だった。蘇った彼女に、この小さな宇宙樹を見せてやりたい。その一心で作業ロボットを使役し、十数年もの歳月を費やして量子規模の工作が可能な微細作業工場を建築し、そして雫を再建した。

それはある意味では成功したが、ある意味では失敗だった。

壊れたコアから復元された彼女。器質的な修復は完璧だったはずの雫はしかし、本来の記憶と人格を失っていたのである。かつて不知火が知っていた雫とは別人になっていたのだ。

それでもよかった。生き返った同胞を、まるで娘のように育てながら、不知火は生きた。

やがて宇宙樹は巨大になり、人工灯は人工太陽となり、様々な生物種が追加されていった。

いずれは学術種族。主人たる種族の遺伝子を播くこともできるやもしれぬが、しかしそれは憚られた。外は敵だらけという環境である。この星から出ていくことができぬのに、好奇心の塊ともいえる種族を閉じ込めるのはなんと残酷なことか。

代わりに、花畑を幾つも作った。学術種族が好物とする、蜜を出す花々を植えたのだ。既に母星に匹敵する質量にまで育った宇宙樹を、花園と名付けた。

そうして千年が過ぎた頃。

客が、現れた。六千年ぶりに訪れた、悪魔ども。いや、そんな生易しいものではない。金属生命体群すらも凌駕する怪物。

壊れた悪鬼を従えた、地球人アーシアンという災厄を、ここに迎えたのだった。

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