第55話 暴かれた宝箱
花吹雪く世界を妖精が舞う。
どこまでも幻想的な世界。色とりどりの、見たこともないような植物たち。花々の間を取り持つのは不可思議な昆虫たちである。まるで楽園にいるかのような、途方もなく美しい光景だった。
自然が生み出した景色ではない。神の御業かと見紛う世界を育て上げたのは、機械仕掛けの人形たちなのだ。
花園。造物主たる滴と不知火は、ここをそう呼ぶ。それはそのまま惑星の名でもあった。
宙を舞い、鳥たちと戯れる滴の巨体はまさしく妖精と呼ぶにふさわしい。蝶の羽。幼い少女に酷似した肢体。
それを見上げていた遥の
そっと目の端を拭うと、遥は感嘆の溜息を付いた。
「まるで、天国みたいだ」
忘れていたものを思い出す。世界とは、とても綺麗なものだったのだということを。
視線の先。いきものたちと戯れていた滴は、こちらを振り返ると手を振った。
◇
遥は客人として扱われていた。不知火が鶫と共に船の修理に出掛けてからすでに数日。時折メッセージは交わす(SNS形式である)ものの直接には会っていない。星の外だからやむを得なかったが。その間の遥の世話係を仰せつかったのが雫であり、遥もありがたくそれを受け入れていた。何せ初めて生身で異星を脚で踏んだのである。学術種族の母星の生態系を、可能な限り再現した天体。それはもふもふ族の
花園は、基本的にはスカスカな構造をしている。その大半が巨大な人工生物である宇宙樹なのだ。中心に存在する人工太陽の光を受けてエネルギーを得ているらしい。それを聞いた遥が最初に想像したのはダイソン球。恒星を太陽光パネルですっぽり覆ってしまうことで、放射されるエネルギー全てを使おうというSF的アイデアである。唯一の欠点はダイソン球を作れる知的種族にダイソン球を作る動機がないであろうということ。そんな何天文単位もする構造物を作るよりもっと効率的なエネルギー確保手段は実際、幾らでもある。
だから花園の構造は発想の転換と言えただろう。恒星を覆うダイソン球は確かに非経済的だが、それと比較して花園は十分に小さい。限られた人工太陽の出力を余すところなく使い切り、さらには外部の観測からその放射を隠すのにこれほど優れたアイデアもあるまい。熱は暗黒星雲に吸収、再発散される過程でノイズに紛れる。最大の驚異はこれをたった二人で作り上げた
雫は遥をもてなした。たどたどしい言葉遣いと裏腹に、彼女は大変理知的だった。無邪気でもあったわけだが。手料理を振る舞い、快適な寝床を提供し、よき話し相手となり、排泄物を処理し、花園じゅうを案内してくれた。遥としては久方振りのキャンプをしている気分。すばらしい自然に囲まれ、最高にリラックスする事が出来た。
この地を訪れる羽目になった経緯を帳消しにできるほどのよき体験。あまりに楽しくて、衛星で船の修理に邁進している鶫に申し訳なくなってくる程である。まぁ遥がいても、あの規模の修理では足手まといだろうが。
つくづく自分は無力だな。
遥はそんなことを思う。鶫という友人がいなければ、一秒たりとも生きてはおられぬ脆弱な存在。この一年弱、遥はずっと鶫にシミュレーションされている状態だった。すなわち思考するのにすら鶫の力が必要だったのだ。この状況で遥が正気を保っていられたのは、鶫が細心の注意を払って遥に快適な環境を提供してくれたからである。衣食住だけではない。あらゆる欲求を充足させてくれたのだ。
なのに、自分が彼女のために出来ることと言えば、身を盾とすることくらい。
頭を振りそんな考えを払い落とす。自分は地球最後の生命体なのだ。あらゆる手段を正当化してでも生き延びる義務がある。鶫の保持している情報にもある程度の遺伝子プールはあるらしいが、それとて地球の種の1%に満たない。元通りの地球はもう戻ってこないのだ。
この旅を完遂しない限り。
だから、自分たちの目的。銀河の歴史を変えるという目的は、決して雫や不知火に知られるわけには行かなかった。知られれば彼女らは再び敵に回る。それは彼女らを殺し、花園を消し去るのと同義だったから。
そう。自分は、この美しい
こちらを向く雫へ手を振る。
笑顔を取り繕う自分に、吐き気がした。
◇
巨大な洞穴だった。
氷山に掘り抜かれたそこでは多数のロボットが忙しく動き回り、中央に鎮座在している構造物に手を加えつつある。
船の修理だった。
破断した部位にとりついたロボットたちは、その口にあたる部位から分泌物を吐き出し、損傷部位を再構築していく。原理的には人類の知る3Dプリンターにも近しいであろう。それを、ネットワークに繋がった機械たちが連携しながら行うのである。
他にも歪んだ船体のメインフレームを修正している個体群もいるし、細々とした点検を行う一群もいる。あとは放っておいても勝手に修理を終えるだろう。
『とりあえず、一息付けますね』
『ああ。一度花園に戻るか』
修理が軌道に乗った今、後は遠隔で監視するだけでも問題ない。
二人は、氷の床を歩き、壁を透過していった。
◇
───ああ。楽しいな。
雫は心底そう思っていた。不知火のことは大好きだが、流石に刺激が足りない。そこへやってきた遥の話は大変に興味深かったし、彼女へこの星のことを教えると大変喜んでくれた。
───もっと、遥のこと。人類のことを知りたい。
だが彼女らは、近いうちに旅立ってしまう。船が直ればすぐにでも。そうなっては遥の話を聞けない。
だから雫は悪戦苦闘していた。先日スキャンした遥のデータ。構成原子、ニューロンの結節までも忠実に再現したモデルの脳を読み解こうと苦労していたのである。遥が眠って暇なうちに。もちろん彼女の意識までは再現しないように気をつける。用があるのはあくまでも記憶だから。
ここしばらくの苦労は報われ、そろそろ個別のエピソード記憶を読み出せそうにはなっているのだが。なかなかに難しい。
───えいっ!とりゃっ!たぁ!
火の落ちていた人工太陽が、再び光を取り戻さんというとき。
───お?
見えたのは、見たこともないような都市の映像。多くの人類が楽しそうにし、せわしなく歩き回っている。電光掲示板には2017年5月3日とあった。視覚的な記憶だろう。とうとう雫は宝箱の鍵を開けたのだ。
どうやら日時は一年ほど前のようだ。待ち合わせの最中らしい。相手は黒髪の女の子。タグには鶫とあるから、あの金属生命体の
素晴らしい。異星の光景がここにはあるのだ。
雫は、遥の記憶を読み解いていった。この後何を見ることになるのかも知らずに。
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