第53話 水底の雑談

『なぁ?なんで、金属生命体群を裏切った?』

不知火の問いは、水中より発せられた。

仰向けでの状態。隣では鶫の巨体もまた同様に横になっている。まるで水に浮かんでいるかのような姿であるが、実際は水を透過してこの姿勢になっていた。体を支えているのは氷の。突撃型に限らず35メートル級は重い。小さな躯体に3万トンもの質量を詰め込んでいるのだからやむを得ないが。タンカー並みである。仮に人間同様の比重であればこの身長でも540トン程度なので凄まじい重量であった。まあ二人ともだからもうちょっと軽くなるかもしれないが。

もちろん水に浮かぶ道理はない。

不知火の胸郭。その内側で量子機械が活性化し、取り込んだ原子を構成する素粒子を組み替えていく。たちまちのうちに水の原子が転換され、配列を変更され、やがてそれは別の構造物へと有様を変えた。

胸元よりせり上がってくるのは四メートルほどの鋭角的な機械。

四肢とも脚とも見て取れる部位を備えたそれは、作業用のロボットである。生まれたばかりの彼は、その推進器を用いて浮上していった。

機械生命体マシンヘッドは高い作業能力を備えるが、大規模な工事は自分でやるよりは多数のロボットに任せた方が効率がよい。船の修理ロボットを作っているのだった。隣では鶫も同様のものを出現させている。

今日のところはこれらロボットを大量生産するのが目標である。

これはこれで結構高等な作業なのだが、寝転がったままひたすら体内でロボットを作っている当人たちからすると単純労働である。雑談の一つも始めたくもなる。

『どうして裏切ったか、ですか……』

どう答えたものか考え込む鶫。色々あるが、一言でまとめると。

『その場の勢い、というか。』

『い……勢い?』

返答にさせる不知火。

『ええ。

私は記憶を失って地球に漂着したんですが、そのときに人類の価値観を学んだんです。記憶を取り戻した後も金属生命体群の考えには馴染めなくて』

『……』

『自己認識だと私の母種族は人類です。だから人類の脅威である金属生命体群は敵です。

あ、もちろん他の恒星間種族とも仲良くしたいですよ。ほんとですよ。怖いことしませんから』

『ほんとにお前、変な突撃型指揮個体だなぁ』

『ですよね。やっぱり』

苦笑する鶫。その横顔を見ながら、不知火は内心の評価をほんの少しだけ上方修正した。

『ところで』

今度は鶫の方から聞いてきた。

『なんだ?』

『不知火さんと滴さんは、ずっとここで?』

『うん?ああ。

もう6000年くらい前か。原隊とはぐれてな。当時はバルジからの大脱出エクソダスの真っ最中だったから、友軍の位置なんざ分からなかった』

不知火の返答には、鶫も心当たりがあった。種族ぐるみで銀河中心より撤退していく学術種族の追撃に、ほかならぬ鶫自身も当たっていたから。

そんな内心を知ってか知らずか、不知火は言葉を続ける。

『部隊の殿しんがりだった私と滴は、何とか生き残った。とはいえそのままじゃ死ぬのは確実だったからな。流れ流れてここまでたどり着いて、隠れたんだ。好都合なことにガスが渦巻いてて外の星系からじゃ見えねえ。

まさかここまで長居することになるとは思わなかったが』

『ご苦労、なさったんですね……』

『よせやい。

ま、暇だったし、大破してた滴を修理してやらなきゃならなかったからな。せっかくなんでを撒いた。植物の生命構造を改造して作った宇宙樹を育てたんだ。見ろよ。でっかいだろ?』

ふたりが見上げる先。水の向こう、氷の地表の更に遠く。

そこにあるのは、暗雲に包まれ、中が伺い知れぬ惑星である。されどその中には、驚くほどに豊かな生物相が存在していることを鶫は知っていた。

『学術種族がまだ存続してた、って知って嬉しかったよ。

ありがとうな』

『どういたしまして』

不知火は、学術種族(の一部)と合流することはできないだろう。はくちょう座W星での決戦は1年も前の事だ。とっくの昔に彼らは逃げ去り、痕跡も残っていないはずだった。

それでも彼女は、同胞が生き延びていることを喜んだ。彼女の6000年前の戦いは無駄ではなかったのだから。

ふたりは、いつまでも氷の海の上を見上げていた。


  ◇


ぽつり。

上空より降ってきたのは雨滴。小さな小さなそれは、最初遠慮がちに。やがては激しく、降り注ぎ始めた。

枝葉の中に生まれた雲。そこから降り注ぐ雨は、複雑怪奇に絡み合いながらも星の中央から光の届く構造を抜け、遥かな下層へと容赦なく襲い掛かる。

それは、遥の眠っている階層にも降り注いだ。

『あ。雨だぁ』

呑気に顔を上げ、喜ぶ滴。それに対し、毛布にくるまったままの遥は気が付かない。深い眠りに就いた彼女の頬を雨滴が濡らす。足を。腰を。胴体を。

少しずつ遥を濡らしていった雨は、やがて勢いを増し、全身を激しく打ち据えていく。毛布がなければ痛みすらも感じていたかもしれない。

その様子を見て、滴はほんの少しだけ考えた。これはひょっとしてまずいのではないだろうか。先ほどまでと環境が変わっている。人類は寒いのが苦手なのは先のやりとりでも明らかだ。わざわざ毛布まで用いている。このままでは気化冷却で体温が低下するだろう。

だから彼女はそっと手を伸ばす。遥に届く雨滴を遮る位置に。物質波構造体ボース=アインシュタイン凝縮も停止する。あれは雨滴に対しても機能を発揮するのだ。作動させているとすり抜けてしまう。

巨大な手のひらの雨傘に守られ、安眠を貪るちっぽけな少女。

ふと思い立って、滴は遥をと観察する。センサーを総動員してスキャンしたのである。よく知った生物ならば脳内の情報から今何を考えているかまで分析できるが、人類のことはもちろんろくに知らないから今の物理的構造が分かるだけだ。理解を深めれば変わってくるだろうが。

雨は、滴の体を静かに打ち据えていった。

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