第48話 不知火

めらめらと、小さな太陽が燃えていた。

それを取り囲む天地あめつちはまん丸で、どちらを見ても青々と茂った枝葉。太陽の向こう側にも枝葉の大地が見えた。内向きに広がる世界なのだ。

直径が二百キロもある空間で、シズクは今日も空を見上げる。

いいお天気だ。世界は陽光を吸い上げて、末端までもその活力を分け与えるだろう。

雫は小柄である。35メートルしかない躯体。蝶のような大きな羽。鋭利な四肢。丸みを帯び、けれどくびれた体。手に持っている長大な機械はだ。これで時々枝葉を剪定してやらないと、陽光が末端まで届かなくなって世界が元気をなくしてしまう。

よっこいしょ、と立ち上がる。

世界は強い重力が全方位よりかかっている。だから結果的にそれが打ち消しあい、見た目上0Gとなっていることを彼女は知っていた。

この奇妙な世界に住まう生き物も、それに適応した一族である。

がさがさ、と枝葉のはるか下を行くのは四本足の巨大な節足動物たち。幹を自在に行き来する彼らの図体はなんと二メートルもある。

その腹に住み着いているのは、ぐねぐねとした白い芋虫モドキ。宿主の体液を啜って生きている彼らは、代償にその排泄物を提供する。宿主が合成できぬ分子成分を彼らは作るのだ。

この層には大気がないし、重力も働いていないから飛行生物の類はいない。しかし遥かな下層、重力とそれによって留まる大気の層の中にはまた別の生命が息づいている。

雫は、この世界が大好きだった。平和な世界。自分の存在が求められる世界。

このまま時が果てるまで、自分はここの園丁として生きるだろう。

そんなことを思う。

そのことに不満はない。友達もいる。やるべき事がある。毎日は楽しい。

けれど、6000年も生きていると、何か刺激が欲しくなるのも確かだった。

───何か面白いこと起きないかなあ。誰かお客さんが来るとか。

外の世界は怖い怪物で一杯だ、と不知火シラヌイは言っていた。だからこれは不謹慎な妄想なのは分かっているのだがつい、そんなことを想像してしまう。

考えを振り払い、仕事道具を構える。

その先端から放つべきレーザー光は強烈だ。加減を間違えると大変なことになる。だから彼女は精神を集中した。

その時のこと。

小さな揺れを感じた。途轍もなく小さい、しかし世界全体を揺るがす時空の歪み。───重力波を。

それは世界そのものすらほんの少しだけ動かす。気付いた者は恐らく、鋭敏極まりない雫くらいのものだろうけど。

何かが出現したのだ。この世界のすぐ外側に。

こうしてはいられない。怖いものなら排除しなければならないし、怖くないものなら。

たっぷりのお花と、たくさんのお話でお迎えしてあげないといけなかったから。

雫は。遠い昔に壊れた機械生命体マシンヘッドは、枝葉の隙間に飛び込んだ。


  ◇


慣性系同調航法は、独特の違和感を伴う。

位置エネルギー的に均一な同士で位置を置き換えるにもかかわらず、何故そのような影響が生じるのかは不明である。しかし金属生命体ですらもその違和感からは逃れられないらしい。

「……毛をむしり取られた二点間が嫌がらせしてるんじゃないかね」

「『ブラックホールには毛が三本』、ですか」

ブラックホールにはみっつしか個性がない。角運動量。質量。そして電荷である。ブラックホールの命名者であるホィーラーは、それを『ブラックホールには毛が三本』と表現した。3本のを引き抜かれればブラックホールごとの個体差を判別することは不可能である。それをブラックホール脱毛定理とも呼ぶ。

遥の表現は、それをもじったものだった。位置エネルギーという個性を引き抜かれた二点間は、見た目上区別がつかない。慣性系同調航法はその区別をごまかすことで移動するのである。言い得て妙と言えよう。

ここは先日発掘し復元した貨物船。その本来であればコンテナを積載するべき場所に、鶫の本体は腰かけているのだった。

今会話している、2機のサイバネティクス連結体がいるのはブリッジである。船内はかなり修復されているが与圧はしてない。生命維持系を修復するとさらに時間がかかるし、保守の手間がかかるからだった。

全身の感覚を没入させることができるこの機械人形は大変便利だった。ほとんど生身と変わらないのだ。これらを船内で活動させている理由は船の保守と運行である。元々が操縦する構造のため、スタッフが乗っている方が便利なのだ。

船が跳躍した先は、星系の外縁。太陽の重力によって生じる重力レンズを宇宙望遠鏡として利用する腹積もりだった。とはいえもうしばらく航行せねばならないが。

ちりやガスで視界のあまりよくないここには、何か潜んでいそうな気もする。

「左斜め上方、惑星がありますね。最接近時は0.12天文単位AUのあたりになりますよ」

「どれどれ。……ぼんやりとしか見えないな」

「視界が悪いですから」

船はのんびり、光速の40%ほどの速度で進んでいく。目的地を観測するのにちょうどよい地点までは後数日かかった。

「……ふぁ。今何時かな」

「午後九時です。そろそろお休みしますか」

「うん」

頷いた遥は、体をベルトでシートに固定した。

今の遥はデータのみの存在だが、精神には休息が必要だ。やろうと思えば休憩をすることも可能ではあったが。

「じゃあ、あとは頼むよ」

「はい……あら?」

鶫が声を上げたその刹那。

船が、揺れた。いや。質量制御によって威力を増強された一撃が船体構造を破壊したのだ、ということを、鶫だけが理解していた。

「失礼します!」

2体のサイバネティクス連結体よりコントロールを強制的に引き上げた直後。

強烈な踵落としがブリッジにめり込み、抜け殻となった体諸共に破壊し尽くした。


  ◇


───金属生命体どもめ!とうとうこんなところまで!!

不知火シラヌイは毒づいた。

彼女がたった今、得意の踵落としで破壊した船はデータになかったが、金属生命体群のものに相違あるまい。ここ数日あれを観察していたが、保守管理に動き回っていたのは突撃型指揮個体なのだ。それでも部隊規模ならば見つからぬよう息を潜めるしかなかったが、あれはどうやら。船は恐らく鹵獲したものだろう。本隊に合流しようとしているに違いない。

そこまで判断した不知火はだから、奇襲に出た。まずは船を修復可能な程度に破壊したのだ。これで奴は逃げられない。船を守るためにこちらへ向かってくるだろう。

果たして、船体中央から飛び出してきたのは四つの攻撃肢と二基の副腕、小型の主砲塔で武装した泣き女バンシィ級。最初期の強力な突撃型だが、問題ない。不知火はあれを潰すために誕生したのだから。

超予測装置は正常。閉じた時間の環CTLは安定している。1対1であれに負ける要素はない。

さぁ。狩りの時間だ。


  ◇


「なんだ!?どうした!?」

正規の手順を経ずに体から引きはがされた遥はパニックに陥った。神経系が混乱し、ありとあらゆる不快感が合唱する様子は最悪のハーモニーだ。

「敵です!」

最小の言葉で事態を伝え終えつつ、鶫は無慣性状態にシフト。両腕を真上に振り上げた。

激突。

分散しきれない衝撃が鶫の全身をシェイクし吹き飛ばす。質量とは動かしがたさでもある。突撃型や襲撃型の武装が激突しあっても互いに破壊されないのは、共に質量を増加しているからだ。にも関わらず、鶫は一方的に吹き飛ばされた。なんという威力!!

さらに立て続けの攻撃が来る。必死に前方投影面積を変更しつつ、あるものは受け流しあるものはと化した構造で破壊を防ぎつつも鶫は後退。荷電粒子砲の一撃で相手の姿勢を崩し、何とか距離をとる。

この時点でようやく、鶫は敵手の全貌を目の当たりにした。

人間の女性に似ている。柔らかな肢体を包む白い皮膜はまるでボディスーツ。頭部の仮面はアンテナだろうか。両足は、膝より先が鋭く長いブレードとなっていた。

両腕はない。代わりに腰より伸びている三本の長大な尾は、先端ほど広がっておりまるでロングスカートを思わせる。各々に生やした爪の威力は抜群だろう。

だが、最も目を引く部分。

背面に装備された、身長を越えるであろう直径を持つ装置は───

「───光背?」

遥のつぶやきの通りの特徴を備えた円環は、不気味な威圧感をそいつに与えていた。

「金属生命体、か?」

「いえ。

───学術種族軍の機械生命体マシンヘッド。不知火級突撃型ユニットです」

機械生命体マシンヘッドは、無言のまま尾を振りかぶった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る