第44話 船首像
「
遥の呟き。
そこは、広大な空間だった。キロメートル単位はあろう球形のスペース。その内部を這っているのは、無数の鈍色の蔦である。ケーブルなのであろう蔦は上から垂れ下がり、下から伸びあがって中央にて寄り集まり、一本の柱と化していた。中央に存在する者を支えているのだ。
金属生命体群の指揮官。その思考中枢は、驚くほどに人間の女性に似ていた。そう。鶫に酷似した形態を備えていたのである。無数のケーブルによって束縛された、鈍色の女体だった。まさしく
彼女は、視線をこちら―――鶫に向ける。
そうと気付いた時には、全てが終わっていた。
鶫の左腕が脱落。強烈なレーザー投射によるものだと認識する以前に胸部が陥没した。次いで右足が吹き飛ぶ。頭部が蒸発する。鶫の武装が次々と破壊されていく。
恐るべきエネルギー。襲撃型指揮個体の主砲に匹敵する威力だった。
吹き飛ばされ、壁面へと叩きつけられる碧の巨体。その姿は既に満身創痍である。
立て続けの攻撃に、鶫は悟った。思考中枢のあの姿は、戦うため。自分たちを迎え撃つべく、自己を武装化した形態なのだ。35メートル級指揮個体を形どったのであろう。
巨大な船体より受けるエネルギー供給と放熱。それに支えられた思考中枢の火力は、鶫を大きく上回っていた。
全身を破壊された鶫。力を失った五体が、宙を漂う。
次の攻撃はレーザー砲ではなかった。思考中枢は、自らの手を伸ばし、鶫の体を鷲掴みとしたのである。
そう。壁面を這っている無数のケーブル。それがうぞうぞと蠢きだし、かと思えば生命ある触手であるかのように伸びたのだ。
一本ではない。何本。いや、何十、何百という鋼の触手。
抵抗の余地はなかった。
腕が。首が。脚が。胴体が。
たちまちのうちに全身を絡めとられ、無力化した突撃型指揮個体は抱き上げられる。凄まじい力。
絡めとられた鶫は思考中枢の眼前へ運ばれる。
敵手の顔が近づき、鶫の顔を覗き込んだ。
◇
―――ああ。ここまでか。
鶫の内心。現状はどう考えても絶望的だ。敵は強い。自らの五体は破壊され、もはや武器は残っていなかった。後はできる事と言えば自爆だけだが、それすらも封じようと、敵の電子攻撃がこちらを盛んに責め立てる。情報処理能力が違いすぎた。艦隊指揮に特化した艦艇サイズの金属生命体相手では勝てない。
このまま己は自我を消去されてしまうのだろうか。そうなれば遥も消えてしまう。今の彼女は己の内に、データとしてのみ存在するのだから。
ああ。嫌だ。死にたくない。死んだら約束を果たせない。遥を。大切なせんぱいを、宇宙の果てまで連れて行くと約束したのに。
鶫の内に、諦観が広がった時だった。
そっと。後ろから抱きしめられる。
「……せん、ぱい……?」
「―――大丈夫。だいじょうぶだ。君だけを戦わせたりはしない」
遥は、鶫を抱きしめた手を優しく離すと、前へ出た。敵、思考中枢の眼前。情報攻撃の矢面へと立ったのである。
その時、周辺映像にノイズが走った。鶫が限界を迎えつつあったのだ。
異変はそれにとどまらず、眼前。巨大な
闇よりも尚、昏い向こう側が見える。そこに在るのは虚無なのだろうか。
いや。
裂け目から伸びたのは、手。
鋼で出来たそれは、おぞましいほどにヒトのそれに似ていた。
手は、鶫を庇う遥。その頬に触れる。
ぞっとするような冷たさが、人間の娘を襲った。
それでも遥は、裂け目から目を逸らしたりしない。果敢に敵を睨みつける。
やがて、這い出してきたのは、裸身の少女だった。信じがたいほどに美しい、鋼で出来た彫像。まるで生物のようにふるまうそいつは、氷の眼で遥を睨みつける。
金属生命体群の指揮官。その思考中枢の
『……ニン、ゲン?何故、
そいつは、口を開いた。人類の言葉。英語を口にしたのである。意味を理解できた遥はだから、英語で言い返した。
「初めまして、かな。思えば鶫以外の金属生命体と話をするのは初めてだ」
『―――お前は、何者だ』
「見ての通り、ただの地球人だよ。それで足りないならば、そうだな。
北城大附属高校二年生。天文学部長、
『……この娘。突撃型指揮個体の事を言っているのか』
「うむ」
『馬鹿な。地球人の技術レベルでは、我が同胞を
遥には、金属生命体の戸惑いが見て取れた。こいつは迷っている。つまり、付け入る余地がある。口車に乗せれば、時間が稼げる。
「
彼女は自発的に、私を助けてくれた」
『―――ありえぬ』
「嘘じゃあない。私は彼女と友達だ。一緒に珠屋で桜餅を食べたし、流星雨を見に行きもした。同じ部屋で一緒に寝たし、宇宙物理学について何度も議論を重ねた。すこぶる平和的に」
『ありえぬ。そのようなことはあり得ぬ。我らが自発的に、異種族に従うなど』
「従う、というのはまあ違うかな。あくまでも対等の関係だよ。すこぶる平和的な」
『ありえぬ。ありえぬ。ありえぬ!!』
「なら、見てみればいい。彼女がこの十年、どう生きてきたかを。
―――鶫。見せてやってはくれないか?」
「―――はい。先輩」
そして、光が広がった。
◇
そこは、青空の下に広がる港町だった。
千年の歴史を誇る港湾。新旧の建造物が入り乱れた美しい市街には人が溢れている。
その光景を、
いや。彼女の姿は先ほどまでの彫像のそれではない。
ブレザーを身に着けた黒髪の少女。それは鶫の、人間社会で選んだ姿である。
これは、鶫の人生の追体験なのだ、ということに、
地を這う者どもの営み。ちっぽけだ、と思う。
なのになぜ。伝わってくる気持ちは、こんなにも穏やかで満ち足りているのだろう。ここにはないのだ。恐怖が。
そんなはずはない。こいつらは知らないだけだ。無知故に恐怖を感じていない。そのはずだ。
場面が切り替わる。
そこは、狭い部屋だった。四角く区切られ、左側一面にはガラス張りの窓。多数の机が並べられた中には30人ほどのニンゲンが座り、前方を見つめている。
黒板に
学校の授業。歴史を教えているのだった。
手元にある、世界史の参考書に目を落とす。パラパラとめくっただけでも、それは闘争の歴史だった。同族同士ですらこれほどまでに殺し合うとは。
しかし。
後半。人類がついに自らを滅ぼすほどの力を得た時代。彼らは均衡を作り出した。
―――なんだ。これは。
参考書を読み進める。理解できない。同族同士の戦いを経験したことのない金属生命体群には発明できなかった概念が、無数にそこには存在していた。参考書だけでは足りない。この世界。鶫内部の
不幸なことに、彼女にはその全てを理解できるだけの高い知性が備わっていた。
―――なんだ。なんなんだ。これは。ああ。馬鹿みたいだ。私たちは、一体何をしていたのだろう。
金属生命体は、悟った。協調の可能性を。恐怖を捨てられるということを。
しかし、恐怖に突き動かされて今まで生きてきたというのに、恐怖を捨てることなどできはしない。そうなってしまえば、自分は。いや、我が種族はどうなってしまうのだろうか?
―――恐怖のない世界では、私は。私たちは生きられない。そんなに私たちは強くない。
恐怖は種族に深く根付いた本能だ。金属生命体群全体を突き動かす強力な衝動。それが今日まで己らを盲目としていたのであれば滑稽だが。
眼前の同胞はそんな恐怖から逃れるという偉業を成し遂げたのだ。驚くべきことだがしかし、それは希少な例外に過ぎぬ。
その事実がどこまでも、悲しかった。
だから、
『―――行け。同胞よ。我が屍を乗り越え、宇宙の果てまでも。その人間を連れて行くがいい』
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