第45話 天の川銀河

うなだれた船首像。胸を穿たれた彼女に、遥は戦いの終わりを知った。

眼前で、化身アヴァターの姿も崩れていく。その両手が動き、そして人間の少女の頬に触れた。

そうする間にも崩壊は進み、そして。

『───どこで、私たちは間違えたのだろう……』

強大なる金属生命体は、果てた。

「―――彼女は、一体」

「……譲歩してくれたんです。私たちと同じ道を進むことはできなくても、私たちを理解はしてくれました」

「そうか」

驚くほど人間の女性に似た、思考中枢の亡骸。彼女に対して哀悼の意を表した遥に向け、鶫は告げた。

「敵が来ます。この体では彼らと戦えません」

「ふむん?だが君の事だ。逃げる算段は付いているんだろう?」

「もちろん。アインシュタイン=ローゼン橋ワームホールで超光速航行を決行します。どこに出るかは運しだいですが」

「おいおい。そんな不安定な代物なのか」

遥は苦笑。道理で500光年も離れたはくちょう座W星などにたどり着くわけだ。

鶫は首を振る。

「統計的な手法で出現地点を特定するんですが、本来は3光年先に跳躍する場合でも入念な下準備が必要です。元々至近距離、精々惑星間向けですから。もうここには多分、戻って来られません。覚悟はしておいてください」

「分かった」

遥は周囲を見回した。金属の蔦に覆われた広大な空間。ここで、あの化身アヴァターは何を思っていたのであろうか。

そしてその外。赤色巨星で今も戦っているもふもふたちにももう、会えない。彼らに武運があればよいのだが。出来ることはやった。後は運を天に祈るよりほかない。

幾つもの想いを抱えながら、天文学的なエネルギーが集中。生じたワームホールが負のエネルギーで拡張され、二つの精神とその器たる碧の躯体を呑み込んでいく。

それが閉じ切ったとき、幾つもの特異点が空間へ飛び込み、そしてエネルギーを炸裂させた。

全てが、光に呑み込まれて行く。


  ◇


『敵、旗艦の撃沈が確認されました』

「よし。全軍に伝えろ。混乱に乗じて奴らを叩き潰すぞ」

機械知性パウリの報告に頷き、市長は矢継ぎ早に指示を下した。まだ予断は許されないが、戦局が大幅に好転したのは確かだった。

彼らは賭に勝ったのだ。

「やれやれ。皿まで無事に食べ終わりましたな」

「全くだ。腹を壊すことにならずにすんでよかった」

軽口を叩く教授に市長は答え、指揮官用のシートにどっしりる。吸着具合が心地よかった。

あの異邦人。地球人アーシアンたちは無事だろうか。逃げ延びてくれていればよいのだが。

指示を終え、どっしりと構えた市長。彼はふと何かを思い出すと、機械知性パウリへ尋ねた。

「そう言えば、彼女がお前に与えたニックネーム。あれの意味は何だ」

『人名です。彼女の種族の偉大な物理学者だそうです。控えめで、ほかの科学者たちの助けに徹した人物だとか』

「ほお」

『そしてもう一つ。実験がものすごく下手で、彼が関わるとどんな実験器具も壊れたそうです。親しい人たちや同業者はそれを皮肉って、彼の周りで物が壊れるのを【パウリ効果】と呼んだと』

「物が壊れる、か……」

市長は思い返す。あの壊れた突撃型指揮個体を。

なかなかに諧謔の効いたネーミングではないか。

「発音できないのが悔やまれますな。公称として採用しても面白そうですぞ」

「違いない」

教授に答えを返し、市長は仕事に専念した。


  ◇


そこは、光の海だった。

「───ここは」

。様々な色合いで全方位よりライトアップされた雲は、途方もない巨大さ。それが何光年という広さを備える塵の集まりであるということを、遥は知っていた。

「散光星雲……?」

「あ、先輩。目が覚めましたか?」

声をかけてきたのは鶫。相変わらず狩衣を身につけた彼女は、自らの体をしきりに点検していた。

「傷は大丈夫か」

「はい。放熱が済んだら再生に取りかかります。今、体温が六千度くらいあるんですよ」

「……!」

遥は、鶫を抱きしめた。この金属生命が肉体的───肉がないのにこの表現もよく考えたら変だが───苦痛を感じるのかどうかは分からなかったが、そうしなければならないと思ったのだ。

「平気です。ちょっと、疲れましたけど」

「そうか」

「ここがどこかも確認しなきゃ」

「後でいい。休みたまえ」

「……はい」

ふたりは虚空に腰掛けた。広がる星々の大海。遥か遠方には、輝ける膨らみがある。途轍もない力が噴き出していることが察せられた。

「あれ……いて座Aスターです。よかった。少なくともここ、天の川銀河ですよ、先輩」

「……あれがか」

それは、太陽系が属する銀河と、その中心に存在している超巨大ブラックホールの名だった。

地球から二万六千光年の彼方にある、この宇宙の果て。

「鶫。前にした話を覚えているかな?」

「はい?ブラックホールと時間のお話、ですか?」

「ああ。電荷を持ち、自転するブラックホール。その内側に広がる特異点はリング状になる、というのが私の理解だ。合っているかな?」

「はい」

「そこを潜った先は、時間と空間の役割が入れ替わる。空間的な移動が時間的な移動となるんだ。これも、正しいかな?」

「その、通りです」

「ならば、理屈の上では、ブラックホールに入り込めば時間を遡行し、過去の世界に戻れる。そこから出られれば、歴史を改変できる。起きてしまったことを

そうだな?」

「ええ」

「もちろん、ブラックホールから出ることは出来ない。質量が空間を歪め、そこを脱出するには必要があるからだ。だが、君は光速を越えられる。そうだな?」

「脱出は、理論的には可能です。先例はないですが」

「十分だよ。

では、最も重要な質問だ。

鶫。君は、ブラックホールに入り込み、それをタイムマシンとして運用できる。

過去の世界に戻ることが出来るんだ。

そうだな?」

意図を悟った金属生命体は、声に出しては答えなかった。ただ、こくり、と首肯したのみ。

「よろしい。ならば我々の今後の指針は定まった」

鶫は、待った。遥の言葉。今まで誰も挑んだことのない、破壊的行為を開始する、という宣言を。

「我々は、金属生命体群に対する時間遡行攻撃を実行する。目的地は銀河中心。いて座Aスターだ」


  ◇


時間は全てを解決する。

少女たちは今。時間を取り戻べく、ふたりぼっちの旅に出た。

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